君が微笑みを絶やさぬように

  

 君がそこに立ってる。そして俺を振り返って微笑む。
 それだけで、俺はなんだか幸せな気分になるんだ。それが分かるかい?

 こんなとき、思う。

── 君が、好きだよ。

 それだけが、誰より何より譲れない、俺の気持ち。

 ラ・ガが現れたことにより、ここアルカディアでの目的が決まった。かの存在を倒し、そして…それぞれの宇宙へ戻ること。この地に来てどれくらいの時が経ったのだろう。ランディたちはエルダやラ・ガの存在に振り回されながらも、ただ目の前にある問題に必死に立ち向かってきた。
 そして、ラ・ガがアンジェリークと彼女に協力する全員の力により倒されたその晩、ランディは一人銀の大樹の丘に寝転がり、木陰から透かし見える星空を見上げて居た。  銀の葉が風にそよそよと揺れ、小さな澄んだ葉ずれの音を立てるのを聞きながら、彼は腕を頭の後ろで組み、整った眉を僅かにひそめている。彼の私邸はこの大樹からはほど遠かったが、他の場所では誰かがくるような気がしてついここまで足を伸ばしていたのだ。


「…俺…どうしたらいいんだ……。」
 囁く様に呟いて、彼はそのまま体を丸めた。そして頭を支えた腕を軽く額に乗せ、丘に吹いて来る風に目を凝らす。
 ラ・ガは倒された。そして俺たちは明日、別れる。
── きっと今回の事件で本当に必死だったのは、きっと君だねアンジェリーク。
 女王アンジェリークとロザリアはこの世界の障壁を作るだけで力を消耗し、コレットは新しい宇宙と、アルカディア、そしてこの世界に飛ばされたランディたちの住む現宇宙の事まで、その細い体で受け止めなければならなかった。
── そして俺たちはそれをほんの少し手助けすることしかできなかった。
 そう思うのはランディゆえで、本当はそれ以上に助けられる事など、コレットにとっては無かったのだが、彼はなぜか空しさに囚われて、俯いた。
 けれどそれも、今日で終わり。
── 知っていたはずなのに。君とずっと一緒にいられるわけじゃないって。
── だけど…こんなのって無いよ。
 すでに二度の別れを経験した。彼女が女王となり、新宇宙へと旅立った時、そして皇帝アリオスを退けたあの日。
 いつも、もう二度と会えないと…これが永遠の別れになると覚悟して、彼女に微笑んで見せた。

『頑張れよ。いつだって君を…想ってるから。』
── だって、そう言うしかないじゃないか。君を連れ去りたいなんて言ったら…君を困らせてしまう。
 そんな俺に君はいつも、目元を涙に染め辛そうに微笑み返して、小さく、頷いた。その度俺はたまらない気持ちになって、君の折れそうに細い肩を、震える肩を抱きしめて、抱きしめるだけじゃ足りなくて…どうしても、君を自分のものにしたくて…君に口付けた。
 君が歩く道は君が選んだ道だ。邪魔なんてできない。君が女王になりたいと言うなら、君の宇宙へ戻りたいとそういうなら、俺には止められない。

『君だけを…ずっと想ってるから…。』

 俺はあんまり言葉が上手いほうじゃないよ。だけどもしオスカー様みたいに色々な言葉を知っていたら、全部君だけの為に使うのに。
 いけないことだけど…君が傍に居るなら、もし俺たちの宇宙の女王だったら…なんて思ったりもする。
 そしたら、俺はこの力、全部君だけの為に使うよ。そう誓える。
── こんな、気持ち。
 君に会うまでは知らなかった。君が俺にこの気持ちを教えたんだ。

 寝返りを打ちながら、ランディは女王試験の最中、アンジェリークが彼に言った言葉を思い返した。

『辛いときや悲しいとき…ランディ様のことを考えると、私頑張れる気がするんです。ランディ様は私の、元気の素なんです。』
『え…? 今なんて言ったんだい?』

 驚いてアンジェリークの横顔を見た俺に、君はおずおずと視線を上げて、それからそっと微笑んだ。
── …女の子って皆ああなのかな…。あんなふうに、君が突然綺麗に見えるなんて。それまでずっと、君は可愛い俺の妹みたいな存在だったのに。
 ここアルカディアで突然の再会をした時も、そう思った。
 君は綺麗になった。そして切なく別れたあの日よりもずっと華奢に、儚げになった。
 肩より伸びた栗色の髪のせいなのか、それとも……ねえ、俺との別れがそうさせたなんて…思っちゃダメかい?

 ランディは、すっくと体を起こして、眼下に広がるアルカディアの夜をじっと見詰めた。
 アルカディアでの再会の日、アンジェリークは居並ぶ全員に向って微笑んだ。
 その笑顔はどこか苦しげだったけれど、にもかかわらず、皆が不安を抱えて俯いて居る中、そこだけ空気が鮮やかに色づいたようにさえ見えた。

 そう……君は目元をどんなに潤ませても、決して涙をこぼさない。あんなに華奢なのに、あんなに危ういのに、君はいつだって心は誰よりも強いんだ。
── あの笑顔が、今の君の強さなら、俺はもっともっと強くならなきゃならない。君が不安に襲われないように、君をいつでも守り、支えられるように。


***

「やあ。来てくれたんだね。」
 日向の丘では、海からの風に吹かれて噴水の水が散っている。一見平穏にみえたこの公園もラ・ガの密かな圧迫感が消えてみれば、更に明るく澄んだ気配がした。
 アンジェリークは小さくうなづいてランディを見つめた。どこか不安そうな影がその目によぎる。
 細い顎をちょっとだけ引いておずおずとした様子を見せるのも、よく「覇気が足りない」などとジュリアスに怒られていた候補の頃から変わっていなかった。
「忙しくなかった? 呼び出してごめん。」
「ランディ様…。」
「…終わったね。全部。」
ランディは何か言いたげなアンジェリークの言葉をさえぎった。「よく頑張ったね、って君に一言だけ言いたかったんだ。辛いことも沢山あっただろ? でも君は最後まで頑張りぬいた。応援した甲斐があったよ。」
 風が一瞬強く吹き、彼女の髪を揺らす。その強さに彼女は蒼緑の瞳をきゅっとつぶって髪を押さえ、ランディを見上げる。
 彼女の瞳の色は不思議に深く、何かを訴えるようで、その目に飲み込まれそうな感覚を味わいながら、ランディはひとつ、呼吸をおいて次の言葉を口にした。
「また、…お別れだねアンジェリーク。」
「………。」
 今日はその言葉を、伝えるために君に会う。
「ほんの少しの間だったけど、君とまた会えてよかった。色んな話をして…君をまたもう少しだけ近くに感じることができるようになった…そんな気もするよ。」
 天使の広場、太陽の公園、花崗の道、水晶の宮…そしてここ、日向の丘。
「はは…デート…って言ってもいいのかな。俺たち、あんまりそういう時間なかっただろ? だから、俺…こんな時だっていうのに結構嬉しかったりしたんだ。」
 軽く頬を指先で掻き、ランディは軽くふざけるように肩をすくめた。
 だが、そんな彼をアンジェリークは無言で見つめるままだ。
 ランディはなぜかいたたまれなくなって、海へと体を向けた。
「この風景ともお別れだね。…寂しいけど、仕方ない…よな。」
 海風が少し癖のある前髪をなぶって行く。潮の香りが鼻腔をくすぐる。

「…ない?」

 その時、後ろで呟かれた小さな言葉に、ランディは振り返った。
 そして、目を見張る。
「仕方ない…事なんですか…?」
 アンジェリークは蒼緑の瞳を大きく見開いたまま、瞬きもせずにその白い頬へ涙を流していた。
「アンジェリーク…。」
 驚きに一歩彼女のほうへ足を踏み出した。だが、それからどうしていいか分からずに、触れようとした手が止まる。
「ランディ様は…それでいいんですか? 私は…私はもうイヤです…。別れるのは…いや…。」
 小さな桜色の唇から、押さえ切れずに言葉が漏れる。
 そして大きくひとつ瞬きすると、彼女はランディの胸の中に飛び込んだ。
「運命なんて…嫌いです。どうしてこんなに苦しい思いをしなくちゃならないんですか? 何度あきらめたらいいんですか…?」
 我慢していただけだった。どんなに辛いことがあっても泣かずに来れたのは、ランディのことを想って来たから。ただそれだけだった。
 だけど、もう限界だ。
「執務室を訪ねるたびに、それにデートしてても、私はいつも思ってました。これがいつまで続くのか、事件が終わって帰らなきゃならなくなるのは…お別れするのはいつなのか…」
手に触れた赤いマントにすがりつくように、アンジェリークはぎゅっとそれを握り締めた。「楽しかったり、嬉しかったりしたのは私も同じです…でも…しかって下さい私のこと…。私は…ずっとこのままで居られたら…ラ・ガを倒さずにずっと…ランディ様と一緒にいられたらって、何度もそう思ったんです。」

 こんな思いを抱えて、何が女王だというのだろう。
 自分が情けなくて、溢れる涙が止まらない。泣き声をもらしたくなくて、手を口元に持っていく。

「ランディ様が頑張れって…宇宙の女王になって、皆を幸せにって…そういうから…頑張ってきたのに。」
それは、半分は本当。でも半分は自分の意思できちんと決めたこと。だが今は、ランディに何もかもぶつけて、甘えてしまいたかった。「これが宇宙の意思なら、意地悪です…すごく、すごく意地悪です…。きっともう二度と会えない…今度こそ会えない…そんなの…。」

 しゃくりあげながらしがみ付いて来るアンジェリークの背中を、ランディは呆然と眺めていた。
 彼女がこうして泣くのを見るのは初めてだった。胸に抱えた思いをこらえきれずに吐き出す、その辛そうな表情。
「ゴメン……ごめん! アンジェリーク……」
 ずっと我慢していたんだろうか。…泣くことを。
 自分は彼女にずっと無理をさせていた……こんなにも。
 しゃくりあげる細い肩を、衝動的に抱きしめて、ランディはその耳元に囁いた。
「俺だって…俺だって同じ気持ちだよ。君が好きだ。ずっと、このまま離したくないくらいに」
 優しい笑顔、柔らかな髪、しなやかな腕、華奢な体。今この腕の中に居るのは確かなのに、明日から居なくなるなんて、思いたくない。
「……アンジェリーク」
 ランディは低く彼女の名を呼んだ。
── 俺は、強くなくちゃならない。君を守れるように、君よりも強くなりたいんだ。
「君を、今すぐさらって逃げる。どこへでもいい。君をもう二度とあの宇宙には帰さない。俺もあの宇宙には戻らない」
 腕の中ではっと身を堅くしたアンジェリークの肩を、ゆっくりと押し、ランディはまっすぐに彼女を見下ろした。はしばみ色の瞳は、アンジェリークを射抜いた。
「ラン…」
「だから、何もかも忘れて俺と一緒に生きていくことが出来ると、……そう誓って」
 強く肩をつかまれ、アンジェリークは息を呑んで彼の顔を見上げた。
「俺は本気だよアンジェリーク。君が今頷いてくれるなら、君をさらって何処まででも行ける。」

 その時、アンジェリークの脳裏にいくつもの情景がよぎった。よきライバルであり、親友であるレイチェルの姿、そして成長したアルフォンシアの姿。まだ成長途中の大事な宇宙のこと……。

「………一緒に行くかい?」
 アーモンド色の瞳、強く、まっすぐで正直な瞳。
 アンジェリークはじっとその目を見返した。

 時が、移る。
 初めて目を見交わした、謁見室での一瞬。
 森の湖での会話。
 女王になったときの、すれ違い。
 そして、冒険を通じて再び寄り添っていった心。

 yes か no か。
 だが、ランディの瞳は言っていた。君が選ぶ道は、決して間違ってなどいないと。

「……いいえ…。」
 アンジェリークは小さく首を横に振った。
「………そう。…そうだね。」
 ランディの手から、力が抜ける。
「ごめんなさい…。」
 残していくにはもう大きくなりすぎた新しい宇宙の存在。
「いいんだ。」
 そっと、包むようにランディの腕が体に回される。冷たい潮風からさえぎられ、暖かな彼の腕の中。
「君がそう答えるって、俺にはわかってたよ。…勿論、君が頷けば俺は本当に君を攫っていたけど…。」
「ランディ様…。」
「君が頷いてくれたら嬉しかったと思う。でもそれ以上にがっかりもしたと思う。君はこの宇宙を捨てて行くような子じゃないって、思ってたから。」
 耳元で囁かれる言葉はその熱に似合わず穏やかで、我知らず取り乱していたアンジェリークの心を凪に変えていった。だが、それに反するように、とめどなく涙が零れ落ちて行く。
「泣かないで、アンジェリーク。」
 そっと、涙の後を唇がぬぐう。肩頬ずつ、何度も何度もキスが落とされる。
「俺だって、寂しいよ。君とまた別れなきゃならない事。胸が張り裂けそうな位」
「ランディ様……」
「でも俺たちは、今は別れよう。……離れてても、君を離したりしない自信も、強さも、今の俺にはあるから…だから……」
 以前より、もっと強く、もっと愛しているといえる。
 二度と逢えないと思っていた人に、もう一度逢う事ができたから。
 忘れかけていた、『本当の気持ちを伝える』という事が出来た。
「…愛してる。アンジェリーク…。」
 その微笑を、いつだって見ていたい。何も負うことのない、ただ屈託のない君の本当の笑顔を、俺はいつも望んでるんだ。
 今は苦しめてしまうけど……。
── 別れることは、諦めと一緒じゃない。
「だから待ってて。俺は、きっと君を迎えに来る。……いつになるかはわからないけど、きっと、必ず」
 耳元で囁かれたランディの強い言葉に、アンジェリークが深く頷いた。

 この先がどうなるか、それは分らない。
 でも、きっとまた逢おう。


 いつか、どこかで、……必ず、君に。

 
<終わり>

私にしてはものすごく珍しい、ランディ×コレットです。一年以上前に、とある理由によりとある方への
贈り物として書かせていただきました。ランディの気持ちって難しい……むぅ
2002.03.08.

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