桜の花が咲く頃に。

  





 桜の花が咲く頃は、春と冬の間をさまようように、気まぐれな天気が続く。
花冷え。
 今日は曇り。けれどそのわずかな隙間には青空が見えるような曖昧な天気だった。普通なら出かけようとは思わないだろう。アンジェリーク・コレットは、もしもの為にと淡いオレンジ色の傘を片手に持って公園の一角に立っていた。
 こんな天気で人気が無い。もし晴れていれば花見の宴か家族連れ、もしくは恋人同士の姿が見られただろう…そう、自分たちのような。
 でも、アンジェリークの相手はもうずいぶん時間に遅れているようだ。手首に巻かれた細い腕時計をちらりと見るその頬に、栗色の素直な髪が落ちかかる。
『土曜に会えるか?』
 公園の中の舗装された道路の上には夕べの雨の名残が光っている。そんな地表をすれすれに吹いてくる風は、彼女にとって少し冷たすぎた。
 自分の腕時計と見比べた噴水脇の時刻も、もう2時。約束は一時間前。
 雨が、とうとう降ってきた。
「………。」
 オレンジ色の傘を開きながら、アンジェリークは軽く髪を整えた。こんなとき、普通だったらどうするんだろう。電話をしてみるのか、それとも怒って帰ってしまうのか。

 

  電話は。直通の番号を知っている。けど…。
── もしもお忙しかったらどうしよう…会議の最中だったら?
 帰ってしまう? こんなに待たされて、寒くて、それも当たり前かもしれない。 …でも…
── 遅れても、きっと来て下さるから。
 そう、何時間待ってもいい。ホント言うと待たされたのはこれが始めてじゃない。けれど、一度だってすっぽかされたことは無い。必ず、来てくれる。
 聖地から戻って将軍になったヴィクトールは前よりも何倍も忙しくなった。そしてアンジェリークもそれを知っている。だから余計に、一瞬でも二人だけでいられる時間があるなら、待っていたい。

 

── ドキドキする。
 なんど待っていても。これからどんなに何度も会っても、多分ずっとドキドキしている。
── 早く、会いたい…な。
 ヴィクトール様を待つのは好き。でも、待たされすぎると切なくなってしまう。今、自分のすぐ隣に彼が居ないことに気づいてしまうから。
 会えない。…我慢する。
 会いたい。……いつだって。
 アンジェリークはうつむいて足元に映る自分の姿を確かめた。雨粒にいくらか滲んでも、いつもよりおしゃれしている自分が分かる。
 少し肌寒いのを我慢しても、可愛い服を着たい。
 少し気恥ずかしくても、たまにはちょっとお化粧の仕方を変えてみる。
 そんな風に、ヴィクトール様に会うまでとは、少し違う自分。
 雨の重みに耐えかねて、桜の花びらが舞い落ち始めた。そして彼女の気づかぬうちに傘の上に降り積もっていく。

 

『アンジェリーク!!』
 声がして、振り返った先に公園の入り口から駆けてくる人影があった。執務服のままの、ヴィクトールの姿。
 心が、綻ぶ。
 自然と唇が緩んで、微笑が湧き上がる。
「ヴィクトール様…。」
 くるりと傘を回すように、駆け寄ってきたヴィクトールに傘を差しかけたら、しずくが手元に滴り落ちた。
「走ってらしたんですか?」
「すまん、こんなに遅くなって…」
 二人そろって口を開いて、目を見合す。
「ヴィクトール様こそお忙しいのに…。」
「そうだ。そこの入り口に車が…。」
 声が重なる。
 タイミングのよさに二人は一瞬見つめあい、そしてふっと微笑みあった。
「…お前は……。」
 言いかけて、ヴィクトールが口をつぐむ。言いたかった言葉は多分、「怒らないのか。」とか、もう一度の謝罪だったのだろうが…
 ただ、心から幸せそうな顔をして自分を見上げるアンジェリークの表情を見たら、喉の方へ戻ってしまったようだった。
 そして今は自分の呼びかけにきょとんと丸い目をしている。
 ヴィクトールは、一息ついてそんなアンジェリークに問いかけた。
「寒かっただろう…こんな日にそんな格好で。」
 言われてアンジェリークは自分の姿を見下ろした。薄いブラウスに白いカーディガンひとつ。やはり薄地のロングスカート。おしゃれをしたつもりだったが、逆に心配をかけてしまったのかと、彼女は困ったような顔をして顔を上げた。
 その、少し小首を傾げたような顔がかわいらしくて。
 … 瞬間。
 ヴィクトールはアンジェリークを執務服の中に抱き込んだ。
「あ…っ。」
 アンジェリークの小さな声が聞こえ、そんな彼女の耳元で、ヴィクトールは囁く様に言った。
「ずいぶん冷えてるな。…俺が待たせたせいで…。」
「…………。」
 暖かな上着の中で、ヴィクトールの胸に頬を寄せ、アンジェリークはふるふると首を横に振った。その気配にヴィクトールはもっと強くアンジェリークを抱きしめる。
 あんまり強く抱きしめられて、オレンジの傘が、握った細い指から離れる。心臓がはねる。
 気づいたヴィクトールが小さくつぶやいて、手を伸ばす。が、間に合わずに傘は彼女の後ろに落ちた。
 けれど、 腕の中の少女と傘を見比べて、そのまま。
「ヴィクトール様…濡れちゃう…。」
 自分はすっぽりと覆いこまれているだけだが…
「…いいから。」
 執務服とその下に着たアーミーグリーンの制服は、ちょっとした雨ならば防げる。
 一瞬の抵抗の後に、アンジェリークの体から、もう一度力が抜ける。夢の中を漂うように、暖かい。
 辺りに人影は無い。そして時間が流れる。
「ヴィクトール様…。」
 しばらくして、アンジェリークが顔を上げた。雨に打たれて澄んだ空気の中に、彼女の髪の香りがほんのりと漂う。
「ん?」
 ヴィクトールは少し体を引いて彼女の顔を覗き込んだ。
「桜が…。」
 胸元から腕を引き抜くようにあげて、彼女が背伸びした。そのしぐさで、ヴィクトールは自分の肩に積もった花びらに気づく。
 だから自然に腰をかがめた。…瞬間。
 唇に、暖かな感触。
 一瞬何をされたのか分からずに、ヴィクトールは目を丸くした。
 目の前ではアンジェリークが、目を伏せてうつむいている。
 頬は桜色に、執務服の襟を握った小さな手はこわばっていて。
「アンジェリーク…。」
 呆然としたような声で、彼女の名前を呼んだ。こんなことは、初めてだ。
 だから。
 まだ冷たい手に手を重ねる。そのまま、引き寄せるように、顔を上げさせる。
「桜?」
 少し意地悪に尋ねると、潤んだような目が自分を見上げた。
 肩まで伸びた髪、細い顎先。
「桜が…髪に……。」
 囁くような声でアンジェリークが訴える。
「そうか。」
 ヴィクトールは軽く頷いて、ふっと微笑んだ。
 そして、言う。
「アンジェリーク…お前も……花びらが、唇に……。」


 


二万ヒットを踏んでくださった直美さんから頂いたリクエストです。
これが萌え萌えな上にタイムリーでしてねぇ♪とてもいいお題をいただけて嬉しいです。
ちょっと抜粋させていただきますと。

「いつも大人の余裕をかましている(失礼)ヴィクトールへアンジェリークの逆襲・だまし討ちのキス」
「きれいな桜を見上げて見とれているアンジェにヴィクトールが奇襲でキス。
自分はドキドキしているのに余裕で笑っているヴィクトールにアンジェが仕返しで
『ヴィクトール様、髪に花びらが』とか言ってかがみこませたところを”Chu”」
アンジェリークの女の子の気持ちとして、ヴィクトールにもドキドキして欲しい、
ただ「守りたい」だけの存在じゃ嫌なんじゃないかなと思ってこんなのを考えてみました。
ヴィクトール様、ドキドキするんでしょうか? アンジェリークは確かめたくてもヴィク様の
顔を見たりできなさそうですよね。


全部こなせてません(げふ、済みません!!) ですが甘い〜甘いですねぇ。
リク下さった直美さんも痒いと仰ってましたが、書いた私も相当痒いです。
でも楽しんでいただけたら幸いです。

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