やどり木

  

「ねえあなた、ちょっと髪が伸びてきたんじゃありません?」
 と、薄暗い室内で目を凝らすように、ロザリアはルヴァに言った。
 石造りの丸い部屋は、夜明け前の静けさと冷ややかな空気に包まれている。
 そして本来ならガラスがはめ込まれるだろう天窓には、薄手の白い布が貼られているだけ。
「えっ? そうですか〜? 気付きませんでした。」
 ルヴァは起きあがったままの中途半端な姿勢で、ターバンを取った髪に慌てて指を通した。言われて見れば確かに絡んで来る青緑の髪は、前よりも長い気がする。
「もうそろそろ新年を迎えるのですから、このあたりでこざっぱりと切ってしまいましょう。」
 有無を言わさず、ロザリアが言った。
「はぁ…。」
 自分としては、伸びていようが短かろうが、全く構わないのだけれど、ロザリアから見ればそれは『だらしない』ことになってしまうようだった。
「皆さんが起きてくる前に、さっさと済ませてしまわなければね。」
 天窓から落ちてくる光は、まだ夜明け前の青い光り。
 そしてロザリアはルヴァの隣から抜け出ると、部屋のどこからか大きめの布を持ってきて、ルヴァの肩にくるりと掛けた。
「さ、そっちへ歩いてくださいな。」
 ルヴァはロザリアに促がされ、寝ぼけ眼の足取りで、部屋の入り口へと歩いた。
 入り口には厚く重い帆布が掛けられている。
 少々の風では靡かないように。
 ロザリアは、ルヴァの手前でその帆布を大きくたくし上げた。
「あ〜…いい天気になりそうですねぇ。」
 ルヴァは目の前に広がる、夜明け前の青い砂漠を見て呟いた。
 少し離れた場所に、オアシスの木々と、そしてルヴァの率いる惑星開発団の小さな住居が肩を寄せ合うように建っている。
「見てください、ほら…。」
 ルヴァは、星の名残を目で追って、隣で椅子を用意するロザリアに話しかけた。だが。
「いいから、おすわりなさい。」
 肩を掴まれ、やや強引に座らせられて、きょとんとした顔をする。
 子供が座る、小さな椅子。
 ルヴァは思わず笑みが零した。
 彼女がこうして珍しく乱暴なのは、それは…本当は髪を切るのが苦手だから。
「さあ、大人しくなさいませ。それから…。」
「『どうなっても文句は言わないで』…でしょう?」
 ルヴァは、微笑みながら彼女を見上げた。
「…たとえ、耳が半分なくなってしまってもね。」
ロザリアは、薄らと頬を赤らめて、言った。「だから途中で眠らないで下さいな。…絶対に。」
 強く付け加えた一言に、ルヴァは恐縮したように首を竦める。
…シャク…  …シャキン…
 良く研がれた鋏が、頭の後ろの方で独特の音を立てる。
 それを聞きながら、ルヴァは眠らないようにぐっと我慢する。

 初めて彼女に髪を切って貰った時。
 その指の心地よさに、つい居眠りをしてしまった。
 そうしたら、ほんのちょっと…ほんのちょっとだけ。
 首がカクンとなった瞬間に、ロザリアの鋏が首筋を傷つけてしまって。
 それ以来、ロザリアは本気でルヴァの髪を切るようになってしまった。
 眉間に薄らとしわを寄せて。
 …本当に真剣な表情で。
 だから、悪いとは思うがやっぱりちょっと微笑んでしまう。

 けれど今も。
 彼女の靴が足元の砂を踏む音や。
 夜が開けて行くと共に強く吹き始めた風が、帆布をなびかせる音が。
 ルヴァの眠気を誘う。
「眠らないで下さいって、言っていますでしょう?」
「あ…はい、はい…。」
 ロザリアの叱咤する声さえも、なぜか酷く遠くに聞こえる。
 だからルヴァは薄らと目を開けて、目の前の風景に目を凝らした。
 なだらかに続く砂丘の端から、空がゆっくりと白んでくる。
 青から黄色、白…そして真昼の蒼穹に。
 ここでは風が無い日が、いい1日。
 懐かしい風景と、乾いた空気に混じるオアシスの匂い。
── 帰って来たんですねぇ…。
 もう馴れたと思ったのに、まだこうして実感する時がある。

「さあ、目を閉じてくださいな。」
 ロザリアが、言う。
 前髪を切るつもりらしい。
 ルヴァは大人しく目を閉じた。
 額に時折当たる冷たい鋏の刃。
 それから、彼女の指。

『今まではどうしてらっしゃったの?』
 唐突に、あの時の彼女の台詞が思い浮かぶ。
『あ〜…。それはまあ、昔は家族が切ってくれてましたが。こっちに来てからは自分で切ってました。』
『自分で?』
『そうです。こうして適当に掴んでなんとか…。』
短かったり、長すぎたりもしたけれど。『兎に角、見えている部分だけちゃんとしてればいいかなぁ…なんて思いまして。』
『…呆れた。』
 彼女は、可笑しげな顔をして笑った。
 そして、ルヴァの後ろ頭に指を通した。
『だからこんなにガタガタなんですのね。…人には見せられませんわ。』
『そんなに酷いですか〜?』
 ルヴァは困ったような顔をして聞いた。
 ロザリアは大きな溜息を付いて、そして答えた。
『………努力は認めて差し上げますわね…。』
『…お心遣い感謝します。』


「…目を開けて、ルヴァ…。」
 遠く、声が聞こえてルヴァは自分が、またしても一瞬の眠りに落ちていた事に気付いた。
「んっ? …あ〜…。有難うございました、ロザリア。」
「上出来ですわよ。」
 今まで前髪を切っていたせいか、ロザリアの整った顔が目の前にある。
 彼女は自分の腕の良さに満足したように、そのままの姿勢で微笑んだ。
 切った髪を払う為、細い指先をルヴァの髪に通して何度か梳き払う。
 出来あがりを確認する、上向きがちの何とも言えない美しい色の瞳。
 そして同じ色をした髪を、半分から下だけ薄布で巻いた、この土地独特の装束。
 それに露になった首筋とか。
 暑い気候であるが故に、眠る時は露出の多い服が。
 ルヴァを何故かどぎまぎさせて。
── あ〜…。連れ添ってもう何年も経つって言うのに…。
 ルヴァの心など知らず、手際良く肩布を外して髪を砂の上に払うロザリアの背中を、こっそりと追う。
── 未だに見蕩れちゃうんですからねぇ…私っていう人は。
「ロザリア。」
 ルヴァは、妻の後ろ姿に声を掛けた。
 そろそろ太陽が顔を出す、その前に。
「なんですの?」
 布を持ったまま、戻ってくる妻の手を、ルヴァはそっと取って引寄せた。
「お祝い、今しましょうか?」
「…?」
 困惑したようなロザリアを、ルヴァはそのまま引寄せて。
 唇を重ねた。
「……メリークリスマス、ロザリア。」
「そうでしたわね…メリークリスマス。」
 彼女が生まれ育った主星なら。
 今日は、お祝いの日。
 彼女が髪を切って身なりを整えようと言ったのも、多分、偶然じゃない。
「でも、やどり木が見当たりませんわよ。」
 ルヴァの腕の中でロザリアが照れたように言った。
「うーん、それはこれからの私達の努力いかんに掛かってますからねぇ…。」
 まだ、緑の少ないこの星に。
 これからの一生を掛けて、どれ位の木を増やせるだろうか。
「だから、それは後払いと言う事で。」
「…仕方ない人ね、もう…。」
 ロザリアの唇に微笑が乗り。
 ルヴァは、もう一度彼女に口付けようとして。


「あ〜〜っ!!」
 という少年の高い声に慌ててお互い飛び離れた。
「それ、僕の椅子! おとうさんが座っちゃダメ!!」
 石作りの家から駆け出してきた男の子の姿に向かって、ルヴァが微笑む。その深い青の柔らかい髪は、どちらかと母親譲りで。
「これは失敗しました〜。…今日は早起きですね。」
 小さな椅子から立ちあがり、子供に向かって腕を広げる。
「うん。だってお母さんが昨夜、明日の朝髪を切るから早く起きなさい。って言ったの。」
「おやおや…。」 
 やっぱり計画的でしたか。
 腕に飛び込んで来た子供を抱き上げながら、ルヴァは、ちょっと意地悪そうな目でロザリアを見た。
 ロザリアは知らん顔してそっぽを向いてしまう。
「でも、僕お父さんに切ってもらうほうがいい。お母さん、下手なんだもん…。」
 ルヴァはその言葉に目を丸くしてロザリアを見て。
 それから楽しげに笑った。
「あはははは…。」
「あなた!」
 恥かしげなロザリアの声に、ルヴァは笑いをかみ殺し。
「お父さん、やって?」
 という子供の声に、首を傾げて見せた。
「さて…。どうしましょうか。」
 砂の上に置かれた小さな椅子。
 白みはじめた空に、皆が気付いて起き出さないそのうちに。 
 大きな布を持ったまま、そこに困ったような微笑を乗せて立っている妻を振り返る。
「ロザリア、あなたの前髪も切ってあげましょう。…こっちにいらっしゃい。」
 そう言うと、ルヴァは子供を椅子に降ろしてロザリアを手招いた。

 オアシスから吹いてくるのは、砂漠のまだ冷たい風。

 
《FIN》

 



2001.12.23.〜12.25日の3日間限定開催された
「ルヴァロザ愛好会 クリスマスイベント」への投稿作品でした。
ルヴァロザというしっとりカップリングのせいか、企画に寄せられた作品はどれも素敵なものばかりで
読めて得しました。そんな素敵企画に参加できた事がなにより嬉しかったです。
終わっちゃって切ないわ〜(T_T)。
蒼太

UP 2001.12.26

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