CAT'S 西の善き魔女


 

 商店街の丁度中ほどにある衣装店には、赤毛のオスカー猫が半野良として住み着いている。

 南の空き地に集まる猫たちが言うには、彼はとんでもないプレイボーイ(?)で、彼の通った後には女性の一人も残っていない、という話。
 彼女を取られて泣いた男も数知れず。
 だが赤毛のオスカー猫は町内で一二を争う爪さばきの持ち主であるゆえ、表立って彼にたてつこうなんていう馬鹿な猫はほとんどいないのだった。

 お陰様で町内で赤毛の子猫が生まれると

「今度ので何匹目の子供だ?」
「恋の季節は大忙しってもんだな」

 などとからかいの声が絶えない。けれども、実際のところ最近のオスカー猫は、恋の季節になるとふいとどこかにいなくなる。どの女性の元に通っているのかは毎回分らないことで、興味を持って後を付けた女性も男性も上手い具合に「巻かれて」しまい、季節が終われば何事も無かったように空き地に姿を現して、いつものように笑っている。

 ここしばらくの赤毛のオスカー猫の謎は、有名だった。

 

 

 

── とうとうまた恋の季節が来たな…。

 「落ち星」…水色のビー玉を巡る争いに決着が付いた日、オスカー猫は空気の中にそれを感じて空に鼻先を向け、くんくんと蠢かせた。
 大騒動の後でみな浮き足立っており、今空き地に二匹きりになっているアンジェリーク猫とヴィクトール猫以外は、気持ちが整っていない事だろう。

── 今のうちに逃げておかないとな。

 猫は、女性の呼びかけには逆らえないという不思議な習性を持っている。種の保存の為かそれとも誰かの悪戯なのか、どちらにせよオスカー猫にはありがた迷惑な話だった。
 昔からオスカー猫はどういうわけか女性にモテた。どこが魅力かと女性に問えば、あのピンと立った耳だとか、しなやかに動く尻尾がいいとか、ふと顔を洗う仕種が素敵がなんだとか、手放しで褒めてくれたものだ。
 だが、恋の季節になるやいなや、女性たちはここぞとばかりにオスカー猫を「襲いにやってくる」のだ。

 オスカー猫を巡る女性たちの争い…阿鼻叫喚・地獄絵図を目の前で見ながら、オスカー猫が女性不審にならなかったのは、奇跡ではあるが、かといって大人しく襲われているのも辛いところで……。

 それが、オスカー猫が、数年前からこの季節、本能のままに(笑)姿をくらます原因であった。

 では、この季節彼はいったいどこへ行っていたのであろう。

 まだ興奮の収まらぬ猫たちの間をこっそり抜けて、オスカー猫は、集会場から程近い、いつもの商店街へと戻ってきていった。すでに夜は明けきっており、行き交う人々は皆忙しそうだ。
 彼は、我が物顔でゆうゆうとそんな人間たちの足の間を通り抜け、たこ焼き屋の前も骨董品屋の前もおもちゃ屋の前も通り過ぎ、とうとう商店街の西の端までやってきた。

 ささっと身づくろいを済ませて、見上げた先には『翡翠亭』という看板のかけられた洋風菓子屋が一軒。
 緑の蔦に覆われた、落ち着きのある木の建物である。コンテナに植えられた花の中に、「今日のお勧めクッキー」なんて、黒板にかわいらしい文字が躍っている。

 ちらり、とその店の中ですでに人間が働き始めていることを確認し、オスカー猫は勝手知ったる様子でその店の裏に回った。

 花の咲き乱れる裏庭の柵に頭を押し込み、すり抜ける。柔らかな土の上を飛ぶような足取りで、奥へ。
 そこには日当たりの良い、ガラスのサンルームがひとつ。
 オスカー猫は、一番下にある猫玄関を押して、するりと中に入り込んだ。

「………」

 足音をしのばせる。一式揃えられたお茶用の椅子とテーブルは、この家の主人が人をもてなす為のものだ。が、今はほのかな紅茶の薫りと、椅子に置かれた籐の籠がひとつだけ。

 オスカー猫は、その籠に目を留めると、自分の予想が正しかったことに頷き、ト、と後ろ足に力を込めて籠のすぐ傍まで飛び上がった。そして、中を覗き込み満面の笑みを浮かべる。

「よう、お嬢ちゃん。今日も可愛いいな」
「ん…ううぅん?」

 籠の中には、ふわふわの毛をして、首にリボンを巻いた、まだ幼い猫が一匹。この猫の名前は、アンジェリーク・リモージュ。
 彼女は耳元で囁かれたオスカー猫の低い声に身じろいで、薄く目を開け、前足で軽くほほを擦った。

「……オスカー…?」

 そばにいるのが、赤毛のオスカーと気づくと、子猫は小さくその名を呼んで、また寝入りそうになる。まるで、そこに居るのがオスカーならば、それで安心よ、といわんばかりに。

「……っお嬢ちゃん……っ」

 寝起きのそのしぐさに、オスカー猫は我知らず息を呑む。
 リモージュ猫は、女性というにはまだ大分幼い子供猫である。しかし、実のところオスカー猫はここ最近この小さな白い猫にくびったけの、めろめろの、キュー。になっていた。
 年でいうならランディ猫やゼフェル猫と丁度同じくらいのこんな小さな猫に、プレイボーイ(?)で名をはせた自分がこれほど心奪われるなんて、なんて不思議な、と自分でも思うが、どうしようもない。
 その小さな前足、かわいらしいピンクの肉球、鼻先、無邪気で大きな碧の瞳。どれをとってもオスカー猫の理想にドンピシャリで、ふとこの裏庭を通りかかり、ガラスの向こうに彼女を見つけたその瞬間ときたら、まるで雷をこの身に食らったようだったと、オスカー猫は今でも思う。

 しかも、まだまだ子供で外に出た事が無いせいで、純粋培養。子猫だからオスカー猫を追っかけまわすということもない、という所も高ポイントであった。

「なぁに? オスカー…。こんな時間に」

 ひげを震わせ、何とか目を覚まそうとしているリモージュ猫はどうやら朝〜お昼寝の真ッ最中だったようだ。無理も無い。オスカー猫が空き地に戻ってきたのは早朝。元々猫は夜行性であるし、朝っぱらから彼女のところを訪れる方がいけない。
 オスカー猫は、だがリモージュ猫を鼻先で突付いた。

「起きてくれよ。今日は素敵なプレゼントを持ってきたんだぜ?」

 そう言って、オスカー猫は先程道端で摘んで来た野の花をリモージュ猫の寝床にぽとりと咥え落とす。が、いつもならぱっと目を覚まし、『素敵! だからオスカー、大好きよ』なんてぺろりと頬を一舐めし、いっぺんに目を覚ましてくれるはずのリモージュ猫は、うぅん…と軽くそのかわいらしい鼻先を蠢かせただけで、オスカーの期待通りに動いてはくれなかった。
 オスカー猫は、首をかしげる。

「どうしたんだ? 今日はやけに眠そうじゃないか」
「あのね、…なんだか身体が熱くって、眠くって、だるくって……どうしてかなぁ。凄く具合が悪いの…」

 それを聞いたオスカー猫の驚きようと言ったらなかった。

「な、な、なんだって!?」
「だから…からだがだるくって、気持ちがふわふわして、なんだかでも、むずむずして……」
「ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん!!」

 オスカー猫は悲鳴を上げそうになりながら、彼女の言葉を制した。

── まさか…まだまだだと思ってたのに、俺のお嬢ちゃんが……??

 見た目には、腕の中に一抱えにしてしまえそうな、小柄な体。
 見た目には、まったくそんな風に見えないのに。

── ああ、猫神さま!!

「お嬢ちゃん、今まで聞いたことがなかったが、お嬢ちゃんはいつの生まれなんだ?」
「去年の今ごろよ?」

 おそるおそる聞いた答えに、オスカー猫は度肝を抜かれた。
 彼女は……箱入り娘の彼女は、もうとっくに大人の女性だったのだ。
 ひそかに、『俺って実はロリコンだった?』などと思っていたオスカー猫が、心のどこかで軽く安心した、というのはおいておいて。
 きっと、自分でも知らないうちに、リモージュ猫も幾度かの恋の季節は経験していたのだろう。
 こうしてはいられない! オスカー猫は立ち上がると、彼女に圧し掛からんばかりに問い掛けた。

「お嬢ちゃん、君が今一番欲しいものは……?」

 と、言いかけて、思いとどまる。仮にも女性に大人気のこの自分が、こんな直接的な聞き方で、彼女の望むものを手に入れようなんて、それはあんまりじゃあないだろうか。

 猫には猫の、しきたりというものはある。気にしない猫は気にしないのだろうが、オスカー猫のような、プロポーズはこうしなければ! と思っているような猫には、「相手の気に入る贈り物」は必要不可欠だった。

 そして、リモージュ猫は、これまでにない程焦がれた女性。今まで、腕試し代わりに声をかけてきた女性とは訳が違う。本当の本当に、心底良いと思えるものを贈らなければ。それにもう、恋の季節は始まっているのだ。

「あ、いや……今一番興味のあるものって、一体、どんな物なんだ?」 

 慌ててしまった自分を抑え、軽く頭を振ると、オスカー猫はさりげなく彼女に尋ねた。
 世間話にしては唐突で、ずいぶん力の入ったたずね方であったろうが、リモージュ猫は気づかず無邪気に首をかしげた。

「そうね…うぅん…」
そして籐の籠の中、主人の作ってくれたふわふわの布団の中で、軽く考え込み、こう言った。「ロザリア猫がこの間言ってた、『落ち星』かなぁ……」

 

 

 

── なんてこった! なんてこった!

 リモージュ猫の答えを聞くや否や、彼女の家を飛び出したオスカー猫は、商店街を西へ東へ行ったり来たりしながらブツブツとつぶやきつづけていた。

── よりによって、あの『落ち星』だって? ……なんて難しい答えを出してくれるんだ、俺のお嬢ちゃんは。

 聞けば、リモージュ猫とロザリア猫の主人は、店の主人と客という間柄なのだそうで、先日のお茶会で初めて出会ったのだそうだ。
 ロザリア猫はその時点ではまだ「落ち星」を手にしていたし、あの騒ぎも起きる前。ルヴァからもらった事を、何かの拍子にリモージュ猫に話して聞かせたに違いない。

『きらきらしていてね、とっても素敵なものなんだって』
『青くって、透明に透き通っているんだって』

 悪気のない笑顔で話すリモージュ猫の顔はしかし、オスカー猫には逆らいがたいもので。
 オスカー猫は、寝不足の頭を抱えたまま、よし、とひとつうなづいて、たこ焼き屋『チャーさん』へと足を向けた。

 

 

「なんやなんや! 今寝た所やったのに」

 たこ焼き屋『チャーさん』に飼われている家猫チャーリーは、寝先をたたき起こされて不機嫌そうに縁側に姿をあらわした。夕べの格闘の名残が毛並みに残っているが、それ以上に疲れきったように見えるのは、その後の大宴会でハッスル(死語)しすぎたせいに違いないのだが。

「すまない。だが聞きたいことがあるんだ」

 『落ち星』について聞くと、彼は困ったように尻尾を振った。

「そりゃな、最後にあれを持っとったのはオレやけど、……あの時はじけて散ってもーたと思うけどなぁ」

 アンジェ猫の涙がほろりと落ちて、周りが明るくなり、奇跡が起きた。
 その後のどたばたで、落ち星がどうなったかなんて、オスカー猫を含めだれも見ては居なかったのだ。
 本当は、ヴィクトール猫かアンジェ猫に聞きに行くのが一番だったのだろうけれど、今ごろ二人は南の空き地でラブラブであろうし。

「本当に無くなったかどうかなんて、分からないだろう」
 なのに自分はどうしてリモージュ猫とラブラブしていないんだろう、と思ったオスカー猫は、ちょっと不機嫌にチャーリー猫に訴えた。するとチャーリー猫は、きょとんとして首をかしげる。
「なんでそうも落ち星にこだわるんや? ルヴァ猫にならまだしも、あんたはんには関係ないやろ」

 ぐ、と詰まる。そうだった。あの落ち星は、元はといえばルヴァ猫がロザリア猫に贈ったもの。いまさら取り戻したとしても、オスカー猫よりルヴァ猫にその所有権はあるのだ。

「ははぁ〜ん」
チャーリー猫の髭がツンと上がった。「なんか叶えたい願い事でもあるんやろ。なんや? お兄さんにだけコソーっと聞かせて〜な
「うっ……ま、また後でな!」

 文字通り猫なで声を出すチャーリー猫は、こう見えて優秀な情報屋だ。一体いつもどこから仕入れてくるのか知らないが、この猫にかかっては、この町のすべての情報が肉球の上。うかつな事は漏らせない。オスカー猫は何とかその場を取り繕うと、たこ焼き屋を後にしようと踵を返したが。

「しゃーないなぁ。まぁええわ。……探しもんなら、町外れの占い師に頼むんが一番ええと思うよ。さすがに『落ち星』は見つからへんとは思うけど」

 そんな声が背中にかけられ、オスカーは軽く振り向いて、お礼代わりにちらりと耳を傾けた。

 

 

 

 町の西のはずれに、小さな丘がある。丘といっても、どこぞの人間が戯れに街中に残した、小さな林の中の一角で、傍から見ればただの土くれの塊のようなものなのだが、その土くれの脇腹に、昔野ウサギが住んでいた穴があいている。
 その穴に住んでいるのが、『西の魔女』というあだ名で呼ばれる占い師だ。

── なるほど、これは思いつかなかった。

 商店街からは割と距離のあるその穴の前にオスカー猫がたどり着いたのは、午後も半ばを過ぎた頃になってからだった。林の中はすでに肌寒く、木々の葉っぱを揺らして落ちかかる日は微かになりかけていた。
 くる者も少ない、鄙びた場所。
 うわさによれば、この穴倉に住む猫の占いは滅法あたるとか。
 しかし、気に入らない猫には、占いのうの字もしてくれず、ひどい目に遭うこともあるのだとか。
 実際、占いに行った猫の中には、その経緯を話そうともしない猫が数匹いる。体に無数の傷を負ったもの、精神的に何かダメージを受けたらしいもの……。
 だがオスカー猫は自信たっぷりに穴の入り口をくぐり、底の方へ降りていった。

 暗い。少し湿った土の薫りと、はらりと落ちている木の根を分けて進んでいく。
 ウサギの穴は、思ったよりも奥深く、とても猫の住む場所ではないように思われた。

── さすがは魔女と呼ばれる猫の住処だな。

 暗闇に目を光らせながら、突き当たりに立ち止まる。
 と、更に奥から、低く、何か音がした。
 オスカー猫は身構えて、気配を殺す。無意識に、爪が出る。

「……あ、ぁ……っ」

 低い、押し殺したような声。
 数匹の気配。……占い師は一人のはずだ。
 『拷問』という言葉が真っ先に頭に浮かんで、毛並みが逆立つ。

「……いやぁよ♪ そんな所触っちゃぁっ」

 構えていたオスカー猫の膝がガクっ崩れた。

「だが、サラ……」
「いくら恋の季節だからって、少しは寝かせて欲しいわ。ハスパ」

 聞こえてきた会話に、ここに来た目的も忘れてつい、壁伝いに身を乗り出してしまうのは男の悲しい性か。

「すまない。久しぶりだったから加減ができなかった」
「うふっ。それって嬉しい一言よ」

── くそう。なんて羨ましい。

 これでは出るに出られない。どころか、色気に当てられて思わずリモージュ猫を思い出してしまう始末。
 形のいい鼻から赤い筋がぽたりと地面に吸い込まれた、そのとき。

「誰だっ!?」

 鼻血のせいだ、とは思いたくないが、オスカー猫の気配に気づいたのか、穴の奥から鋭い声と共に、一匹の大柄な猫が姿をあらわした。
 鋭い目つき、この辺りでは見かけない深い紺色の毛並み。

「どうしたの、ハスパ。誰か居たの?」

 その後ろから姿をあらわしたのは、オスカー猫に負けず劣らずの赤毛をした、豊かな体つきの女性だった。

「いつから居た?」

 男が威圧的に尋ねるもので、オスカー猫は反射的に腰をおろし、後ろ足で耳裏を掻くという、ふてぶてしい態度で答えた。……何気なく、流れた鼻血を前足でぬぐって。

「いつからでも構わないだろう。そっちがお取り込み中だったせいで、待たされたのは俺の方だ」

 チリッときつい視線が首筋を焼く。オスカーはそれを無視して、男の後ろに居たグラマー美女に声を掛けた。

「はじめまして、噂にたがわぬ美貌を拝見できてうれしいですよ」
「あら……」

 まんざらでもなさそうに目を細めた美女は、目つきの悪い大猫に寄りかかって、喉をかるくゴロリと鳴らすと彼を脇に侍らせたままでオスカー猫を見つめた。

「こんな時間にくるなんて、何か大事な占い事? 女たらしのオスカーさま?」
「女たらしの……?」

 それは兎も角なぜ俺の名を、と聞き返すと、サラと呼ばれた美女はくすりと笑った。

「あなたの占いをして欲しいという女の子はたくさんいるのよ。たとえば……恋の季節に一体あなたがどこにいるのか。とか」

 からかうような、試すような言葉に、オスカーは鼻を軽く鳴らした。

「どこにいるか。サラ、君にはお見通しなのかな。それとも……」
「私にわからない事なんてないわよ。そうね、たとえば翡翠亭のクッキーはとっても、とっても甘くて美味しい、とか」
「── なるほど」

 オスカー猫は軽くうなづき、改めて目の前の二人を見た。

「占って欲しい事がある」

 

 

 

 

 『落ち星』は……残念ね、もうこの世のどこにもないわ。

 

 それが、サラ猫の占いの結果だった。
 うすうす覚悟はしていたものの、がっくり方を落としたオスカー猫を見て、サラ猫ではなく、隣で事情を聞いていたハスパ猫が言った。

「この世にないものは、ない。それは仕方ないだろう。別のものを探したらどうだ」
「別のものと言ってもな」

 リモージュ猫が興味を持っていたのは、落ち星だ。だがその落ち星はすでになく、であれば、せめて落ち星以上に良いものを彼女に渡したいが、あの奇跡を目の前で見ていたオスカー猫にとっては、あれ以上のものをと言っても、おいそれと思いつけるものではなかった。

「そうだ、サラ。君の力で占ってくれないか。お嬢ちゃんが心から欲しがっているもの…彼女がこの世で一番欲しいものは一体なにか、俺に教えて欲しいんだ」

 そしてそれを持って会いに行こう。恋の季節はそこからだ。
 だが、答えを待つオスカーの前で、サラ猫とハスパ猫はお互いちらりと視線を交し合って、それからフと笑った。

「……もう邪魔するな、さっさと町に戻るんだな」
 ハスパ猫が尻尾で軽くサラ猫を促し、サラ猫がそれに答える。
「ちょっと待て、占いは……」
「しつこい男は嫌われるわよ。プレゼントなら自分でお考えなさいな」

 振り向いて微笑んだサラ猫はすでにハスパ猫に寄り添い、オスカー猫は完全に蚊帳の外となっていた。

 

 

 

 

 さて、どうするか。
 今日幾度目か分からない、この「どうする?」の思案顔のまま、オスカー猫は商店街へと戻っていった。
 帰り道、まだ青い猫じゃらしの出来具合を見てみたり、咲いてもいないマタタビに手を出したりもしてみたものの、すべてがどうも決め手に欠ける気がして、置いてきた。

 お嬢ちゃんが欲しがりそうなものは、何だろう。
 お嬢ちゃんが喜びそうなものは、どんなものだろう。

 考えて、考えて、思いつかないうちに、再び『翡翠亭』の裏庭。
 日が暮れてしばらく、明かりのついたサンルームに、細い女性の人影が見える。リモージュ猫はその膝に抱かれて、気持ちよさそうに目を細め、背をなでられている。

── お嬢ちゃん……。

 そうだ。彼女は家猫なんだ。
 オスカー猫は初めてそう思った。
 ガラスケースに囲まれて、誰の色にも染まらない真っ白なままで、花に囲まれた裏庭の奥深く。
 

 もしかしたら、このままが一番いいのかもしれない。
 もしかしたら、そのほうが彼女のためなのかもしれない。

 自分さえ、こうして見守っていれば。
 彼女は、彼女のままで。

 リモージュ猫の主人が、何か用事でもあったのだろうか、つと席を立つ。
 置いていかれたリモージュ猫は、まるでまだ眠いと言わんばかりに小さくあくびをひとつ。トッとテーブルにあがって、籠の中に入り込んだ。

「お嬢ちゃん……」

 その姿を見て胸が、突然苦しくなる。
 かつて、こんな気持ちになった事があっただろうか。
 苦しくて、切なくて、……少しだけ、甘い。

── それもこれも、お嬢ちゃん、相手がほかならぬ君だからだ。

 オスカー猫は、無意識にサンルームの一番下の猫玄関を押して、中に入り込んでいた。

「オスカー? どこ行ってたの? 朝は突然居なくなっちゃったから心配したわ」

 まだ、眠ってはいなかったリモージュ猫が、その気配に顔をあげる。オスカー猫は籠に近寄り、彼女の顔を間近に覗き込み、囁いた。

「お嬢ちゃんに、言いたい事があってな……」
「? 言いたい事? なら朝言ってくれたらよかったのに」

 無邪気に、とても難しい事を言う。
 オスカー猫は困ったようにリモージュ猫の鼻先に鼻を近づけて、スン、と摺り寄せた。
 慣れないしぐさに、リモージュ猫がくずぐったげに笑う。

「だが、それを言うために渡そうと思ったプレゼントが、見つからなくて……」

 どう言うわけだか、この年下のリモージュ猫が纏う薫りや、雰囲気や、やさしい笑顔は、いつもの『格好つけ』なオスカー猫を、素の彼にしてしまう。ちょっとした愚痴や、ちょっとした甘えが、先に立つ。
 以前は、「子供相手に不思議な事だ」くらいにしか思っていなかったが、こうなってしまうと、もう、歯止めが利かなくて。

「プレゼント? なら今朝ももらったわ。ほら見て、取っておいてあるの。」
 籠の端に、今朝の菜の花が置かれている。だがオスカーは力なく首を振り、言った。
「そうじゃなく、俺はできれば君に『落ち星』を贈りたかったんだ……」
「落ち星って、ロザリアが言っていた、青くてきらきらしている、あの事?」

 リモージュ猫の滑らかな体に頬を寄せて、オスカー猫はこくりとうなづいた。

── まずい、もう止められそうにない。

 鼻腔をくすぐる甘いにおい。それは、恋の季節の。
 止められない衝動に、オスカー猫は一声高く鳴いてしまいそうになる。だが。

「私、それがあるところ、知ってるわ」

 予想だにしない言葉を耳元で言われ、思わず体を離した。

── なんだって!? あのペテン師、じゃなかったペテン占い師!!

 もうこの世にはないとか何とかうまい事を言って、ただ俺を早く追い返したかっただけじゃないか。
 などとそんな失礼な事を考えて、頭に血を上らせたオスカー猫の前で、リモージュ猫は、ニコッと微笑んだ。

「ほら、ここに、二つも」

 じっと、視線を捕らえられ、はじめは何の事か分からなかった。
 目をしぱたたかせると、リモージュ猫がまぶたに鼻先を寄せて、囁いた。

「こっち側と……こっち側。きらきらしていて、透明な、薄い青。……ロザリアが言った『落ち星』とそっくりね」

 もう一度、にっこり。

「は……はは……」
体から力が抜けた。「まったく……これだから可愛いぜ、俺のお嬢ちゃん」
「?」

 オスカーが、身も心もよろめきながらリモージュ猫を抱き寄せ囁いた次の言葉は、リモージュ猫しか知らないのだけれど。
『もちろん私もよ』と微笑みと一緒に返されたところを見ると。

 箱入り娘を手に入れるには、まだ少々時間がかかりそうな様子。

 

 

〜 後日 〜

 

「なんやスゴイ話あるってゆーてましたけど、どんなんですか?」

 ホクホク顔で西の魔女ことサラ猫の元にやってきた猫一匹。

「今度のは高いわよ」
「そないに言わんと、安ぅしといてくださいよ」

 関西弁のその猫と、赤毛のサラ猫は、狭い額を寄せてひそひそとやりあった。
 長い押し問答の後で、サラ猫が売り払ったその秘密とは。
 商魂たくましいタコ焼き屋の猫を。
 たいそう儲からせたそうな……。

 

 

<おしまい>


 

 

これにて、これにてこれにて。
長かった「猫シリーズ」は「一応」おしまいです。
最後になったこのお話は、『オスカー・ロリコン』と、『サラしたたか』というイメージのみ先行していたので、なかなか書けないままでした。(そしてタイトルも思いつかない)
そのまま置きっぱなしになり、昔のデータを整理していたら、書きかけが出てきて、そのまま一気に。
書き上げられて、嬉しいです

2004.04.29. 


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