CAT'S 〜 北の裏窓 編 〜


 

CAT'S
〜 北の裏窓 編 〜

 日々は気怠く過ぎてゆき、時間が経つのは遅く、眠りについて見る夢は曖昧で、現実とさほど変わらない。
 ロザリア猫のそれまでの毎日といえば、お屋敷の中で主人が奏でるバイオリンの音に耳を澄ませるとか、その主人の膝に乗って「翡翠亭」のクッキーをほんのヒトカケラかじってみるとか、あるいは漂う薔薇の香りを嗅ぎながら眠りにつくとか。…そういったことだった。
 しかし、そんなある日の事。主人が大事にしているグランドピアノの上に丸くなって眠っていたロザリア猫は、彼女の繊細な髭を揺らす風にふと気付き、まどろみから意識を引き戻した。
── 今まで思っても見なかったけれど…。この風は一体どこから吹いてきているのかしら?
 彼女は、そう思うと同時にしなやかな身体を起こした。
── ああ、あそこね。
 広い出窓の奥で白いカーテンが揺れている。ロザリア猫はピアノの上から軽く飛んで、窓の傍に腰を下ろした。
 鼻先を軽く動かし、外の匂いを嗅ぐ。カーテンの向こうから吹く風に吸い寄せられるように、ロザリアはその白いレースを潜った。
 木々の緑。空の青。
 彼女は思わず目を丸くした。なぜ今まで気付かなかったのだろう。お屋敷の「外」があるという事実に。
 しかし、彼女の前足が入るかどうかというほどに狭い窓の隙間に挑戦する気は起きなかった。
 なぜなら彼女は生粋の家猫で、気怠く毎日を過ごすことにすっかり慣れきっていたから、そこから外を眺めるだけで充分だったのだ。
 けれど、彼女は毎日外を眺めるようになった。塀の向こうを通る人、車…そして、猫。
 興味深げに彼女を見上げる猫にはなんの感慨も起きなかったけれど。
 とにかく、彼女は毎日窓辺に座るようになった。

 

「あ〜。」
 ルヴァ猫は、彼の借り住まいである骨董屋の軒先で、近所のゼフェル猫の話しをゆっくりと聞いていた。
 ゼフェル猫は、骨董屋の三軒隣…玩具屋の半居候猫である。
「だからよ〜! 今度の猫集会では俺、みんなの度肝を抜く発明を見せてやるぜ! …って、おい! 寝てねーでちゃんと聞けよな〜!」
「あ〜。」
「ルヴァ! 寝るんじゃねー!」
「は…っ。…ああ〜。どこまで話しましたっけね?」
「話してたのは俺だよ! …ちぇっ。やってらんねーや。俺は行くからな!」
「あ、はいはい。また来てくださいね〜。」
 ゼフェル猫の怒ったような銀色の後姿が見えなくなると、ルヴァ猫はほう、と溜息をついて立ちあがった。
── なんだか最近暇ですね〜。なにかこう、胸がどきどきするようなお話しが舞い込んでこないものでしょうか?
 骨董屋の店先に並んだ、陶器の壷…器面には釣りをする二人の異国の老人が描かれている…に前足をかけて、するりとそれに潜り込む。ここが彼の住み家…そして、考え事をするための場所である。
 壷の底には、彼の集めた雑物が溜まっていたが、彼はそれを心底大事にしている。
── ご主人様は…。いえ、私は正確には彼に飼われていませんから、それはなんとも申しがたいですが〜。とにかくあの人が言うには、『人生平穏無事が一番』ということです。しかし私は猫ですし〜。何か起きるのを期待してはいけない事もないでしょうね〜。
 そんなことをつらつら考えながら、ルヴァ猫がまどろんでいると、そこへ
「ねえルヴァ。いるのかい?」
 若く良く通る声がして、ルヴァ猫は考え事を一時中断して外を覗いた。
「ああ〜。オリヴィエではありませんか〜。珍しいですね〜貴方が来るなんて。」
 バター色の背中の中央に、一本赤くメッシュを入れた毛並み。ブルーグレーの瞳が、壷から出てきたルヴァを見つけてうれしげに微笑んだ。
 彼は商店街のずっと端にある、化粧品屋の軒を借りる半野良猫だった。
「ねえ、すっごく面白い噂、手に入れたんだ。知りたくないかい?」
── おやおや。
 とルヴァ猫は内心ビックリしました。何かが起きる前触れだと、思っても良いのでしょうか?
「ええ〜。とっても知りたいですよ〜。どんなおはなしなんですか?」
「三丁目の、『窓辺の美姫』のことさ。」
 オリヴィエ猫は、悪戯げに瞳を輝かせた。
「三丁目の窓辺の美姫? 初耳ですねぇ。」
 ルヴァ猫はちょっとだけがっかりしたように言った。そんなルヴァ猫の気配を察して、オリヴィエ猫は少しだけ憤慨したように言った。
「アンタって本っ当に色気ないよね。さっきオスカー猫にも会ったからおんなじ話ししてあげたけどさ…。今ごろ三丁目に着いてるよ、ありゃ。」
「そうですね〜目に浮かぶようですよ〜。…で、その噂の方と私と、何か関係があるのでしょうか〜?」
 ルヴァ猫は、おっとりとそう尋ねた。
 オリヴィエ猫が、んふふ、と笑う。
「じ・つ・は。そろそろ恋の季節もやってくることだし…私もちょっとアタックしてみよっかな☆ なんて、サ。だけど彼女ってば、噂になるだけあって、凄い競争率なんだよね〜。…そこでものは相談なんだけど…アンタのその壷の中…何かいいもの入ってんでしょ? …ちょっと女心をくすぐるアイテム、なんて持ち合わせてないのかい?」
「ああ〜。」
ルヴァ猫は、それでやっと納得いったように頷いた。「ええ。…ええと…なくもないですよ〜。ちょっとまっていてくださいね〜。」
 そうして。
 しばらく後。オリヴィエ猫の前にはずらりと『ルヴァ猫の宝物』が並んでいた。
 主人(仮)がくれた、ちびた鰹節。昔拾った、丸い金属板とゴムの人形。ネズミの玩具(これはゼフェル猫から)。そして、骨董品から剥がれ落ちた、小さな薔薇の花。
「これ、イイじゃないのさ。」
最後に出てきた薔薇の花を見て、オリヴィエ猫はルヴァ猫の顔を覗き込んだ。「でも…いいのかい?アンタの宝物だろう?」
「あ〜、いいんですよ。何かの縁というものですから。」
 ルヴァ猫は、オリヴィエ猫が鰹節を選ばなかったことに、密かにホッとしながら答えた。
「じゃあ、これから行ってくるよ。お礼は…何か考えておくから。有難うね!」
「ではまた。」
 ルヴァ猫は、去っていくオリヴィエ猫の後姿を見送ってから、急いで鰹節その他を咥え、壷の中に戻し入れた。

 

そして、数日後。
 ルヴァ猫は三丁目の塀を歩いていた。腹違いの兄弟であるディア猫に呼ばれて、ちょっとだけ彼女の子供のお守をしてきたところである。
 子供は腕白盛りの生後2ヶ月。名前はマルセルとティムカ。さんざん圧し掛かられ、飛びつかれ、名付け親でもあるルヴァ猫の緑がかった砂色の毛並みはもうぼろぼろ。彼は心身ともに疲れきっていた。
「ああ〜。もう夜が明けてしまいますよ〜。随分こき使われたものです〜。」
 夜明け間近の白い月を見上げて、ルヴァ猫がそう呟いたとき。
 彼の視界に、彼女の姿が飛び込んで来た。
 バイオレットグレーの毛並み。
 深い紫の瞳。
 窓辺に座るその姿は、まるで…
「まるで…噂の『窓辺の美姫』…。」
 そう、声に出してから、ルヴァ猫は彼女こそが当の本人であることに思い至った。
── ああ…なんて美しい猫なのでしょう…。
 ルヴァ猫は、どこか遠くを見ている彼女の姿にすっかり見惚れて、ぼんやりとしていた。
 一目惚れ、という奴である。
 と、その時。ロザリア猫も壁の上に立ち尽くす、見なれない薄汚れた緑の猫に気がついた。
 ── まあ。なんだか変な猫がいるわ。
 くるりと頭を巡らせて、ルヴァ猫を見る。
 ルヴァ猫はどきっと身体を竦ませた。
 ロザリア猫は、ほんの少しだけルヴァ猫に興味を見せたけれど、やがて他の猫にするように、つんと顎を逸らしてそっぽを向いた。
 一瞬だけ目が合ったと思ったルヴァ猫は、がっかりして髭を落とした。
── …ふう。とても素敵な方ですが…。見向きもしてくれませんね〜。仕方ないですよね、私はこんなナリですし…家猫でもありませんし…。それに、彼女には…。 
 ルヴァ猫の脳裏に、オリヴィエ猫やオスカー猫の姿が過ぎる。それから彼は、ちょっぴり名残惜しそうに、そっぽを向いた彼女を見上げ、とぼ溜息をつきつき、骨董屋の軒先へと帰って行った。

 

 それ以来。
 ルヴァ猫の心の中には、一瞬だけこちらを振り向いたあの美猫が住み付いてしまった。
 寝ても覚めても、浮かんでくるのはあの美姫のこと。
 そんなルヴァ猫の様子に初めに気付いたのは、ゼフェル猫だった。
「おい、どうしたんだよ? ルヴァ。」
「はぁ〜。」
「おいってば…。なんだか最近へんだぞ、アンタ。」
「ふぅ〜。」
「溜息ばっか付きやがって。おい! 俺に話してみろよ。大抵の事ならなんとかしてやるぜ!?」
 ルヴァ猫はそこでやっと気付いたように、ゼフェル猫を見た。
 見て。
 見て。
「……ふ〜。」
「何なんだよ!」
 気の短い銀の猫に、ルヴァ猫は呟くように言った。
「…恋、です。」
「ああん?」
 ゼフェル猫は耳をひくひくさせた。何か、聞きなれない言葉を聞いたような…。
「恋をしたのですよ。」
ルヴァ猫は、自分で言ったその言葉にすこし酔っているようだった。なにせこれは彼の初恋だったから。「けれど。彼女はとても美しい家猫なうえに、私がどう頑張っても勝てそうにない恋のライバルが沢山いるのです〜。」
 そして、もう1度深い溜息をついた。ところが。
「けっ。」
 ゼフェル猫は、つまらないことを聞いてしまった、と言うように、後足を上げて耳の裏を掻いた。「なんだ。そんなことでグダグダ言ってやがったのか。」
 ルヴァ猫は、ゼフェル猫のその言葉に、ちょっぴり憤慨して言った。
「そんなこと、じゃあありませんよ〜! 大変大きな問題なのです。」
「で?」
ゼフェル猫は鼻を小さく啜った。「オメーはその問題を解くために、何かしたのか?」
「は?」
 ルヴァ猫は小首をかしげた。
「だからよ〜。その雌猫の所に言って、ちゃんと…その〜。…好きだ、とか言ってみたのかよ?」
「いえ…それは…。」
「おいおい。」
ゼフェル猫は訳知り顔で言った。「いくらライバルが居たってよ。そのくれーの事はしとけって。」
 ルヴァ猫は、思わずそれを想像して、カッチカチに固まってしまった。
「あ…そ、そんな…。わ、私が…、あの猫に…ですか…?」
 ゼフェル猫はそれを見てニヤリと笑った。
「ま、せーぜー頑張れよ! じゃあな!」
 そして、固まったまま何やら呟き続けているルヴァ猫を置いて、玩具屋に帰って行った。

 

 それからルヴァ猫は、壷の中に戻ってじっくりゆっくり、ゼフェル猫の言ったことを考えた。
── そうですね…。確かにゼフェルの言う通りです。そうそう、人間は良くこう言うじゃありませんか。「当たって砕けろ。」 …あ。砕けちゃいけませんね〜。うーん、でも砕ける可能性大ですね〜。どうしましょうかね〜。
 けれど。夕暮れになり、夜がふけて、また朝が来て…それから。
 ルヴァ猫は、とうとう壷の中から出てきた。
 口には大事な鰹節のかけらを咥えている。
 そして、ふらふらと三丁目のお屋敷の裏窓に向かって歩き出した。

 

 ロザリア猫は、ふと髭を震わせた。
 壁の上に、おととい見かけたあの緑灰色の猫が居る。
── いつから居たのかしら? 気付かなかったわ。
 ロザリア猫が彼に気づいたと、相手も分かったようだった。
 その緑灰色の猫は、おそるおそる、と言った調子で壁を伝い、裏庭の木を伝い、そして窓辺にやってきた。
 口には茶色い小さいもの。
 ロザリア猫のが見守る中彼は、窓の外に僅かに張り出した桟の上に、それをぽとりと置いた。
 そして、ロザリア猫の様子を伺うように、彼女をちらっと見た。
── なにかしら? これは。
 ロザリア猫は、見なれない茶色い物体に首を傾げた。
 最近、よくこういったことをされる。見知らぬ雄猫がやってきて、窓辺にものを置いて行こうとするのだ。
 だから、ロザリア猫は必ずこう聞く。
「これは、なんのつもりですの?」
 緑灰色の猫は、それを聞くや否や、物凄い勢いでその茶色い塊を咥えた。
── どうなさったの、この方?
 しかし、その問いを発する暇もなく、緑灰色の猫は、元来た道を駆け下りて、そして…見えなくなってしまった。
 今までも、こういう事はよくあったのだがその度に
「お嬢ちゃんのお気には召さなかったのかな? …また、出なおしてこよう。」
 とか
「うーん。なかなか目が高いね☆ 仕方ない…また来るよ。」
 とか言いながら、置いたものをまた勝手に持って帰ってしまう。
 しかし、これほど分からない行動を取られたのは初めてだ。
── 不思議な事ですわね…。
 ロザリア猫は疑問を抱えたまま、また窓辺に気怠く佇むのだった。

 

── あ〜! 失敗してしまいました〜!
 ルヴァ猫は骨董屋に帰るや否や、壷の中に飛び込んだ。
 咥えた鰹節の欠片を離して、まじまじと眺める。
── 私には大事なものでも、あの猫には大した物ではなかったのですね。
 そして、壷の中身をもう1度確認する。けれど、あのときオリヴィエ猫に渡した以上の物は、どうやらもうないらしかった。
── しかし…私にはもう何もありませんしね…。
 ルヴァ猫は、溜息をついて考え込んだ。…しかし、何も良い案は浮かばなかった。学者猫と呼ばれたルヴァ猫の頭脳を持ってしても…。どんなに考えても…。

 

 そしてなんの考えもないまま。
 ルヴァ猫はただ、彼女の佇む裏庭の北塀に、毎日毎日通うようになってしまった。

 

「ゼフェル。」
 玩具屋の軒先に、今日も尋ね猫がやってくる。
 今日は、右目に傷のある大きな赤銅色のヴィクトール猫。
「ルヴァを見なかったか。」
 ゼフェル猫はうんざりして答えた。
「三丁目のお屋敷の北裏の塀の上に突っ立ってるよ。」
 昨日は水毛色のリュミエール猫、一昨日は闇色のクラヴィス猫。壷の主人が留守だということが、自分にどれだけ迷惑か、やっと分かったゼフェル猫だった。
「そうか…なら行ってみることにする。有難う。…しかし、何故そんな所へ?」
「いけば分かるよ。」
 うざったそうに答えるゼフェル猫。ヴィクトール猫は、そんな彼の調子に小首をかしげながらも、少しちぎれた耳を動かし、礼をして歩いて行った。
 そして。
 三丁目に向かったヴィクトール猫は、果たしてお屋敷の塀の上でぼんやりと上を見上げているルヴァ猫を発見し、声をかけた。
「おう。どうしたんだこんなところで。そんな目立つ場所にいると、子供に追いかけられるぞ。…おい、ルヴァ!!」
 突然大きな声で呼ばれたルヴァ猫は、びくりと髭を震わせて振り返った。
「ああ〜。ヴィクトール。…ちょっとぼんやりしていたので、気付きませんでしたよ…。こんなところで会うとは奇遇ですね〜」
「いや、ゼフェルに聞いてきたんだ。」
「ああ〜それは、ご足労をおかけしました、済みませんねぇ。ところで…なんのご用でしょうか?」
 ヴィクトール猫は、ルヴァ猫の不審な行動に気を取られながらも、頷いた。
 僅かに、声を潜める。
「いや…実は…。噂なんだが、銀毛に色違いの瞳を持った猫…というやつが、どうやらこの縄張りを自分の物にしようと、力を溜めているらしいのだ。そこで…。」
 ヴィクトール猫は、ルヴァ猫の知識をとても頼りにしていた。
 だから、こうしていつも何かが起こりそうなときは彼に相談しに来ているのだが…。
 今日は、そんな二人を窓から眺める一対の瞳があった。
 勿論、ロザリア猫である。
 最近毎日あの塀の上に居る緑灰色の猫。ロザリア猫は初めこそ興味などなかったが…。
 今日のあの大きな猫と対等に話をしている様子。そして昨日は水色の猫。おとといは闇色の猫…。あの緑灰色の猫は一体どんな猫なのだろう。
── 少し気になる。
 そう、思い始めていた。
 視線を合わせるのはレディのすることではないから、ずっと知らん振りをしていたけれど、ロザリア猫は聞き耳を立てていた。…だが、途切れ途切れに聞こえてくる話では、一体何が起きているのか分からない。いっそ、窓をもう少し押し開けて、話しを聞いてみようかしらと思いはしたが、それもはしたないような気がしてできなかった。
 やがて、大きな猫との話は終わったようだった。そしてもうそろそろ、今夜の月も隠れる。
 ロザリア猫は、小さくあくびをしてカーテンの奥へ引っ込む。
 ルヴァ猫は。そんな彼女を見てから、そっと塀を降りた。

 

 そして、更に何日かが過ぎた日。
 ロザリア猫は、思わず窓に額を押しつけて、外を眺めていた。
── どうなさったのかしら?
 あの緑灰色の猫の姿が今日は無い。
 居なくてもいいけれど…居ないと気になる。ロザリア猫は、待った。月が昇って、そして薄らいで…。
 でも、緑灰色の猫は姿を見せなかった。
── 病気にでもなったのかしら…。
── 車に跳ねられてしまったのかしら…。
 そして、何時の間にか毎晩彼を待っていた自分に、ロザリア猫は気付いた。
── どうして? あの方がどうしようと、構わないではないの。
  百夜通うと約束したわけでもなし。
  しかし、心配だった。外の怖さは主人からとくと聞かされている。
── どうしましょう。
 ロザリア猫は迷い…迷った末に、そのほっそりした前足で、窓を押し開けた。
 心臓がどきどきする。外に出るのは初めてだ。
 窓の桟を伝い、木を伝い…そして緑灰色の猫がいつも居た、あの塀の上に出た。
 ロザリア猫は、そこで初めて自分のいた裏窓を見上げた。月明かりにカーテンが揺れている。
 こんなに遠くに来てしまった。…そして、これからどうやって彼を探せばいいのだろう。
 と、そこへ。
「んや〜、よぉ遊んだわ〜。今夜も大フィーバーやったで〜」
と、訳の分からない事を言いながら、下の道を歩いてきた若い緑の猫が居た。
 ロザリア猫は。…普段の彼女なら絶対にしないことだが…思わず彼を呼びとめた。
「ちょっと、そこを歩いている貴方…そう、貴方ですわよ。」
 チャーリー猫は、壁の上に立つロザリア猫に気付いて、足を止めた。
「ん? 何や何や? …えらい別嬪はんやな〜。このチャーリーに何か用かいな〜?」
 チャーリー猫は、見なれない雌猫に小首をかしげる。
「ええ…。お聞きしたいことがありますの。」
── やや。このチャーリーさんも隅に置けんな〜。見た事もないお嬢はんにまで知れとるとは。
 チャーリー猫は、こんな所に知らない猫が居ることを不思議に思いながらも、にっこり笑って答えた。
「ええで。で、情報と引き換えに、何を呉れはるん?」
「まあ、何か必要ですの?」
 ロザリア猫は、外の世界の厳しさを早くも知った。
「当ったり前やん〜。なんでもええんやで? 他の情報でもええし、今夜のおかずでもええ。」
「そうですわね…。」
ロザリア猫は思い悩んだ。「では、そう致しましょう。どうにかして今夜のおかずをこの窓辺まで持ってきますわ。」
「お嬢はん、見たところええお屋敷に住んではりますが…ちなみにどんな銘柄を…?」
「モンプ○ですわ。」
 ロザリア猫は、何と言う事は無い、と言う風に答えた。チャーリー猫は思わず微笑んだ。
「よっしゃ! 契約成立や! …で、質問は?」
 そしてロザリア猫は、チャーリー猫から初めてルヴァ猫の名を知り、そして彼にについて沢山の事を聞き出したのであった。その夜彼がどこへ行っていたのかも。

 

 一方ルヴァ猫は。そんなこととは露知らず、東の野原から直接骨董屋の壷に戻って、そして咥え持ってきたビー玉を眺めていた。
── これならば、彼女に喜んでもらえる気がするのですが…。
 『落ち星』が落ちてきたと聞いて、ルヴァ猫が真っ先に思ったのは、それをもし貰えるものならば、彼女にプレゼントしたいと言う事だった。
 そして、これは『落ち星』ではなかったけれど…。
 ドサクサにまぎれて持ってきてしまった。
── まあ、いいですよね。皆さん興味を無くしておられましたし。
 それはどうだか分からないが、ルヴァ猫がこの小さなビー玉にこころ惹かれたのは事実。
── 明日の晩になったら、早速彼女の元へ行きましょう。
 ルヴァ猫は、その蒼緑色のビー玉を大事に大事に他の宝物の下に隠して、眠りについた。

 

── 来るかしら。
 ロザリア猫は、少しそわそわしながら待っていた。
 聞けば、ルヴァ猫は昨夜、他の用事で東の野原とやらへ行っていたということ。学者というアダナを持った彼が、皆からどんなに信頼されているか知って、ロザリア猫はなぜか誇りに思った。
 そして。
 ゆっくりゆっくり、ルヴァ猫の緑灰色の姿が角を曲がってやって来た。
── さあ。あの方が塀の上に立ったら。わたくし降りてゆきましょう。
 昨夜の大冒険を、ルヴァ猫は知らない。さぞかし驚くことだろう。
 しかし。ロザリア猫がそう思ったにもかかわらず、ルヴァ猫は塀を伝っていつもの場所には落ちつかず、じっとこちらを見ていたかと思うと、窓辺に続く木を登り始めた。
 もちろん、その心の中は嵐のよう。
── ああ、どうしましょう。…もし彼女がこれを気に入ってくれなかったら、私にはもう手がありませんよ〜。
 余りにも焦っていたために、ルヴァ猫は、いつもつんと澄ましたロザリア猫が、僅かに微笑みその紫色の瞳を輝かせて、こちらを見ていることに気付かなかった。
 ルヴァ猫は、口に咥えた蒼緑のビー玉を、窓辺にぽとりと落とした。
 コロコロコロ…。
 窓の隙間を抜けて、ビー玉は彼女の足元に転がってくる。
 どきどきしながら、ルヴァ猫は彼女の一言を待った。
「…綺麗ね。有難う。」
 ロザリア猫はもう知っていた。窓辺に置かれるプレゼントの意味を。そして、彼に対する自分の気持ちを。
 ルヴァ猫は、驚いて顔を上げた。
── 今、彼女は何と言ったのでしょう。…たしか、私には…。
 そんな彼の目の前で、ロザリア猫は窓を小さく押した。
 ルヴァ猫は窓の桟から落ちそうになって、慌てて木の枝に飛び移る。
 するり…と。
 彼女が姿を現す。
 そして軽やかに飛んで、ルヴァ猫の立つ木の枝へ。
「こんばんわ。」
「あ…。あ…ええ…。こんばんわ…。」
 呆気に取られるルヴァ猫の前で、ロザリア猫は魅惑的な微笑を見せた。
「素敵な夜ね。」
「そ、そうですね〜。良い晩です〜。」
「貴方、わたくしの名前をご存知?」
 言われて、初めてルヴァは、彼女の名前を知らない自分に気付いた。
「え、えっと…、ああ〜…。」
「ロザリア・デ・カタルヘナ」
「は?」
 聞きなれない名前に、ルヴァ猫は耳をそばだてた。
「ロザリアと呼んで下さいな。」
 ロザリア猫は、うっとりと笑う。
 それを見ていたルヴァ猫は。髭をふるふるとしびれさせ。
「ええ…ロザリア…。」
 そう答えるのが精一杯だった。
「それでこれからどうしますの、ルヴァ?」
 突然名前を呼ばれてルヴァ猫は今度こそ驚いた。
「な、なぜ私の名前を…。」
 ロザリア猫はしかし、その問いには小さく微笑むだけにした。
 ルヴァ猫は。
 その微笑にやがて心を落ちつけて。
 それからゆっくりと、答えた。
「じゃあ…。お月様でも眺めましょうか…。」
「いいですわね。」
 夜が更けて行く。
 そして木の上の2匹のシルエットは、いつしか1つになったのであった。

<END>


 

本格的にルヴァロザ好きが大爆発。
さて。2作目ロザ×ルヴァ編でございました。
今度は北。
一作目「東の野原」だけで、このシリーズのコンセプトを
見破った方が居ました。脱帽っす…。
4カップル居るので、何かに例えやすいのですよね…。
ではまた!
蒼太

2001.07.??.


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