《 オス×リモの場合 》
これから、俺達は決死の飛び降りをしなければならない。
オスカーは心の中で覚悟を決めた。
特別に建てられた高い塔の上。
二人は── オスカーとアンジェは ──揺れる細い板の上、しっかりと抱き合って立っている。
眼窩に見えるのは、轟音を立てて濁流する急流。
背筋を冷たい汗が流れる。
「やっぱり…少し怖いわ…ね? オスカー?」
腕の中の金髪の少女は、深い谷底を見下ろしていた視線をあげ、不安げにオスカーを見た。
「そう…だな。…大丈夫か? お嬢ちゃん。」
内心の動揺を隠しながら、不安に縁取られた彼女の瞳を覗きこんで尋ねる。
そんな彼に彼女は健気に首を振った。
「大丈夫…。オスカーと、一緒だもの…。」
状況とは裏腹に、ぽうっと頬を染める少女。その言葉に、仕種に。胸を高鳴らせてオスカーは彼女をきつく抱きしめた。
── お嬢ちゃん…君だけは、何があっても守る!
「アンジェ…。」
「オスカー…。」
アンジェは彼の背中に腕を回し、しっかりとしがみ付く。
その後ろから、声が掛かった。
「お客さーん。はよしてーや。後ろがつっかえてますのや〜。」
── ちっ!
オスカーは心の中で舌打って、その男に冷たい視線を送った。
若緑の髪に、丸いサングラスをかけたその男は、二人の足に結ばれた長いゴムの綱を抱えて、立っている。オスカーは憮然とした調子で言った。
「…折角いいムードだったのに…。」
「ムードもなんもありまへんがな。来るたんびにいつもそれじゃ、いい加減飽きますわ。」
それを聞いてアンジェがぷうっと唇を尖らせた。
「ひどーい! お得意様なのに〜!」
「そうだぞ、俺達が来なくなったら商売上がったりだろう?」
オスカーの言葉に、商人は呆れたように首を振った。
「そやからお得意様もなんもあらしまへんわ。さ、はよ飛んだ飛んだ。」
そういって、二人の背中をどんと押す。
「なっ! 何をするぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…っ」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…」
商人は、見る見るうちに小さくなって行く二人の顧客を見送って、それから谷底で待機する彼の相棒に向かって右手を上げた。
銀髪の少年がそれに気付いてホバーボードを川面に走らせる。
商人はそれを見て満足そうに頷いた。
《 ヴィク×コレの場合 》
なぜ…なぜ俺はこんな所にいるんだ!?
ヴィクトールは、自分自身に問い掛けていた。
足元には目もくらむかと言うほどの急流。
二人分の重みに耐えかねて撓む細く長い板は、特別に作られた高い塔の上から川面に張り出して、風に揺らいでいる。
そして、腕の中で青ざめているのは…
ヴィクトールが愛して止まない存在。栗色の髪のアンジェリーク。
今彼女は、必死の思いでヴィクトールの胸にしがみ付いていた。
「ヴィクトール様…。…怖い…。」
それはそうだろう。怖くない筈が無い。こんな高い場所に上ったのも初めてなら、こんな場所から飛び降りなければならない、そんな状況に立たされたのも初めてなのだから。
ヴィクトール自身は、これより僅かに低いくらいの高さなら、軍の下降訓練で経験ずみだったが、このか弱い少女を連れてここを飛び降りろと言われて、はいそうですかと言う気にはなれなかった。
心の中で、思わず呪う。
── あなたのせいですよ!? オスカー様!
先週の事。
『とっておきのデートスポットだから、そうそう人には教えないんだが…。』
と、こっそり耳打ちされた場所。
『すっごく楽しいんだから♪』
金の髪のアンジェもそう言った。
のこのことやってきてしまった自分を呪う。
いや、元々はこの栗色の髪のアンジェリークが、行きたいと言ったからなのだが…。彼女が自分からそんな気になるとは到底思えない。きっと二人にたぶらかされたからに違いない、と今はそう思う。
「…アンジェリーク、…止めておくか?」
ヴィクトールは腕の中の少女に尋ねた。
アンジェリークは青ざめた顔をおそるおそる上げる。もう身動き1つ取ることさえ恐ろしくて敵わない。
「今ならやめられるんだぞ。むりをすることはないだろう…また、今度来ればいいじゃないか。」
ヴィクトールの優しい言葉に、アンジェリークが蒼緑の瞳を潤ませてうなずこうとした、その時。
後ろで二人の様子を伺っていた商人の目が光った。
さっ! と左手が上げられる。
それを合図に、崖の上を走る白いマント。軽やかな身のこなしで走るその姿。
「風の力よ! お客様(女の子のほう!)に届け!!」
という声が谷いっぱいに響く。
その声が、アンジェリークの耳に届くか届かないか…その瞬間。
アンジェリークは鋭い視線をヴィクトールに向けた。
「ヴィクトール様!」
「な、なんだ!? アンジェリーク。」
彼女の肩を抱いて安全な場所まで戻ろうとしていたヴィクトールの足が止まる。
「私っ…私なんだか勇気がわいてきました! 大丈夫です! 今なら飛べる気がするんです!」
「お、おい…。」
アンジェリークはヴィクトールの腕をしっかりと掴んだ。
「アンジェ、いっきまーす!」
「なっ! うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ…。(さては勝気かぁぁぁぁぁぁ…!?)」
小さくなっていく二人の姿を、商人は満足げに見送って頷き、ちらりと崖の方へ目をやった。
白いマントの青年は、ぐっと親指を突き出して会心の笑みを商人に向けていた。
《 エル×レイ の場合 》
「ロープの長さがこれだけ。」
エルンストはどこからとも無くメジャーを取り出し、商人から奪ったゴムのロープを正確に測っていた。
「伸縮率は?」
レイチェルはその隣に屈みこみ、ゴムの端を持って引っ張った。
商人はそんな二人の後ろで、呆れたように立っていた。
「正確には分かりませんが…100センチに付き75センチ伸びる…詰まり75%でいいのでは?(いいんかな…?)」
エルンストの眼鏡がきらりと光る。
「加速と反動と…それに、ワタシ達の体重も考えて…。」
「体重ですか…私が66キロであなたが50キロですから…。」
呟くように言ったエルンストの言葉に、レイチェルの声が飛んだ。
「ちょっと!」
「はい?」
首を傾げてエルンストはレイチェルに視線を戻した。
「誰の体重が50キロなのよ!? ワタシの体重は47キロだよ!?」
その言葉に、エルンストがふっ、と小さく笑った。
「何を言っているんです。あなたの設定体重は49キロの筈だ!!」
「…ち、ちがうもん!」
「…しかも、あなた最近太ったでしょう、私は知っているんですよ!それを言うに事欠いて3キロもサバを読もうとするとは、いくら読者の前だからと言っても言語道断!」
びしぃっ!(エルンスト: 特技 蒼穹の真理)
「ひ…ひどい…」
レイチェルはじりじりと後ずさった。
「あ、どこへ行くんですか!?」
「ひどいヨ〜! こんな所でそんなコト言うなんて〜! ワタシなんて身長のわりにはすっごくスリムなんですからね〜!!」
「ま、待ってください!」
── 何週間ぶりかのデートだと言うのに、私としたことが…。
「エルンストのばか〜!!!」
「レイチェル!!」
そして、後に残された商人。と、メジャー。
彼は溜息を付いた。
「また逃げられてもーた。あの人たち、いつになったら飛び降りるんかいな…。」
《 ルヴァ×ロザ の場合 》
「あ〜〜〜。これが噂にきくー。…バンジージャンプ、っていうやつですね〜。」
スーパースローペースでルヴァは言い、ロザリアを振り返った。
「そうですわ。わたくし常々やって見たいと思っておりましたの…。アンジェが言うには、大分「すりりんぐ」だそうよ?」
その言葉に、ルヴァは頷いた。
「そうですか〜。それはそうでしょうね〜〜。見てください〜凄い急流ですよ〜。」
「まあ、ほんと。」
扇で半分顔を隠すようにしながら、川の上に身を乗り出して、ロザリアは何故か感心したように頷く。「聞きしに勝る、深い谷ですわね。…これならきっと、普段のストレスなんて一発で解消! ですわね。」
と、小さく口端を上げた。
「え〜〜〜…。………本当に飛び降りるんでしょうかね〜。」
ルヴァは不審そうな眼差しをロザリアに向けた。「騙されてるんじゃないですか〜?こんなところから飛び降りたら腰がぬけちゃいますよ〜?」
「アンジェがわたくしを騙したとおっしゃるの!?」
殺気が漂う。
「い、いえあの〜。そんな、滅相もございません〜。」
「ならいいですわ。」
にっこり。
そんな二人を眺めつつ、商人は今度こそお客を逃がすまいと、まずルヴァの長い裳裾をたくし上げ、その足にしっかりとバンジー用ロープを縛り付けた。
「え〜、では、もう少し前に出て、様子を見てみましょうね〜。」
のこのこと、ルヴァは板の先に1歩踏み出した。
「あ、お客さん、アカン…。」
商人が言ったその瞬間。
足元に置かれたロープの端に、ルヴァの足が引っかかった。
「あ…。」
宙に舞う一人の青年の脳裏に、今まで起こった幾つもの出来事が走馬灯のように過った。
「ルヴァ! あなた!」
ロザリアが手を出すも虚しく、ルヴァの身体は谷に向かってまっさかさまに落ちていった。
「あーーーれーーーーぇえぇぇぇぇぇ……」
「あなたぁぁぁぁぁ!」
商人は小さく小さく呟いた。
「この商売も、そろそろ潮時かいなぁ…。」
と。
<END>