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45.急転

  


 

「『こんな』の。」
と、オリヴィエがやわらかい片手首を強くしならせながら肩をすくめた。「久しぶりに身に着けたよねぇ。」
 辺りは朝靄に包まれている。…夜明け直後の聖地。
 集まった面々は不穏な銃具の音を響かせながら、装備の最終チェックを執り行っていた。
「久しぶり、ってのもどうかと思うがな。」
苦笑しながらオリヴィエを見たのはオスカー。彼はオリヴィエが「こんなの」と言った同じ手甲足甲を腕に巻く為にその場に屈んでいる。
「ふふん。アンタとは生まれた時代が違うのよ。このジジイ。」
「甘く見るなよ若造。」
 オスカーはニヤリと笑ってそのまま、邪魔になったのか手甲の片方を口にさりげなく咥えた。初めてとは思えないほど様になって見えるのは、オスカーならではなのだろうか。
 今二人が装備しているのは、厚い綿を何重にも重ね、圧迫して作った対銃防具である。表面には耐火処理がなされ、少々の熱と銃弾ならば簡単に跳ね返す、もしくは吸収することが出来る。
 同様に胸元から腹部、そして腿をカバーし、且つ間接が自由になるように作られたその防具はまるで騎士の甲冑をそのまま現代風にアレンジしたかのように見えた。ただ…
「もっとセンスがよければ嬉しいんだけど。」
 オリヴィエが溜息をつくのも無理は無いほど、それは実直に作られていた。アーミーグリーンの軍服の上にセットするだけの簡易且つ軽量のそれは、ヴィクトールたちが実践に使う尤も使用頻度の高いものだ。色は黒。惑星ネプラの暗がりにきっとよく溶け込むだろう。
「無理言わないで下さい。」
声と共に、二人と同じ格好をしたヴィクトールが、その傍に立った。手には暗視ゴーグルを持っている。「性能重視ですからね。」
 差し出されたそれを受け取りながら、オリヴィエは肩をすくめた。三つ編みにした長い髪が、さらりと垂れる。
「…これは、まあまあ。」
 銀のフレームに黒いボディ。プラチナと黒は相性が良い。二人がそれを手にとって弄り回す様を見ながら、ヴィクトールは手際よくその扱い方を説明していく。
 彼の腰に回されたベルトには短銃とナイフ。それから簡易に出せる場所に一度目の替弾。軍服の胸元や腿につけられたいくつものポケットには何が入っているのだろう。
「腰に剣がないと涼しいな。」
 ヴィクトールの説明をすっかり聞き終わったオスカーは、立ち上がりながら冗談めかして言った。
「だからアンタはジジイなんだよ。」
「ジュリアス様の前でもう一度言ってみろ。そうすりゃ次は認めてやる。」
「お二人とも……。」
ヴィクトールは軽口をたたきあう二人に、更に黒い40センチ四方のケースを取り出して手渡した。「こちらには医療品やその他食料などが入っています。ここを…」
と、ケースの2点にあった輪を引く。
「こうするとベルトが出てきますから、お好きなように装備しておいてください。背中でも、腰でも。自動的に締まって身体に合うように変形しますから。」
「へぇ〜。今はこんなのあるんだね。」
「なるほど、防具にもなるってわけか。」
 二人は感心したように試しながら言った。オリヴィエは右肩から脇を通して背中を守ることにしたようで、オスカーは心もとないといっていた腰をガードする。
 ヴィクトールはそんな二人をみながら、いっそう厳しく眉をしかめた。
── 任せる、と言われたが…。
 振り返ると、そこには他の隊員たちに言葉をかけているレブンの姿があった。そして、その隣にはサム・リーがいる。
 彼らはヴィクトールに現場での全権をゆだね、ここ聖地で結果を待つことになった。
 現場と聖地では常に連絡を取り合えるようにと小型通信機がそのままゴーグルに取り付けられ、こちらの研究院の施設も借りられることにもなった。
 だが、今まで軍以外の何かの手を借りて実戦に赴くという経験のなかったヴィクトールは、どうにもこの状況がしっくりこなくて、落ち着かない気持ちにさせられている。
 サム・リーとレブンの姿を横目にみなながら、ヴィクトールは彼らと話すことさえ億劫な気がして彼らをじっと見詰めていた。
── バックアップは完全なはずなのに…。
 隊員たちはサムや自分が自ら選んだ者たちであるし、頼りにしているレブンもいる。
 だが、首筋にぴりりと来るこの感覚は…なんなのだろう。
 今回使う次元回廊のせいだろうか。今までは現場に到着するまでの徐々に高まる緊迫感があったが、それがない分どうも実感に欠ける。
 だがヴィクトールは静かに、おのおの着実に準備を済ませていく隊員たちに目を配りながら、辺りを歩き始めた。
 すると、ヴィクトールが何も言わずとも、その気配を察した隊員たちの表情やしぐさがぴりりと引き締まっていく。
 ヴィクトールの直下に配属された経験が既にあるものも、ないものも。
 彼の実力を知っている。
 華美な執務用の服装ではない彼の姿は、実戦から退いてしばらくたつとは到底思えなかった。
 ゆえに、其処ここで上がる、密かな囁きは彼の耳にも届く。
『悲劇の英雄』
 悪気のあるささやきではない。だがヴィクトールは軽く頭を振ってその言葉を振り払った。
── そうだ。不安など感じている場合じゃないんだ。
 軽く呼吸と精神とを整えながら、ヴィクトールはその場に立ち止まった。
 頭の中でこれから向かう惑星の地図と情報とを何度も繰り返す。
── 目的は…。
 組織「6」の首謀者を捕らえること。
── 気をつけるべきことは…。
 爆発物。特に中央タービンにそれが仕掛けられていると予測し、動くこと。
── 確かめるのは…。
 先に入ったミーシャとマニーシャ、そして第15隊の生存。
 それを思ったとき、ヴィクトールは低くのどの奥で唸った。
 彼らが行方知れずだと聞かされたのは、つい昨日だ。
『知っていたくせになぜすぐ言わなかった?』
『お前に言ってもどうにもならないだろう。時間に任せるしかなかった。』
『レブン…。』
 確かにそうだ。だが俺はチームの一員としてそれを知っておくべきだったと思う。
『…ミーシャのこと、頼むな。』
 ヴィクトールの脳裏にダーシーの声と最期の姿がよみがえった。
── あの、忌まわしい事件。失ったもの、託されたもの…俺は今度の事件で全てを吹っ切るつもりでいる。
 そして、ヴィクトールは栗色の髪の少女を想った。
── そうだ。今はお前の存在が、こんなにも俺を強くしている。
 出会う前だったら、この事件が起きたこと、また同じことに関わらねばならないことを、恨んだにちがいない。
 この事件が、まるでいつまでもあれを忘れるな、忘れるなと言っているかのように思ったに違いない。
 そして組織「6」はまさにそれをヴィクトールに望んでいるかもしれないのだ。
── だが今は何が起きても…目をそむけずにこうして向かっていける…その自信がある。
 ヴィクトールは、胸元のポケットに無意識に手のひらを当てた。ここには……
「ねえ!ヴィクトールったら!」
 はっ、とヴィクトールは顔を上げた。オリヴィエがこちらを見て腕にはめた時計を指差していた。
 ヴィクトールは頷くと自分の考えを中断して、オスカーとオリヴィエたちのほうへ歩いていった。

 

「さて…いよいよだね。」
 森の中には、鳥の声一つ響かない。
 三人が立つその先には朝靄に包まれて、6本の白亜柱が浮き上がって見える。
 ここは、聖地の北西の片隅。迷いの森のとば口である。
 少し手前ですっかり支度を整えたヴィクトールたちは、当初の予定通り隊員たちを引き連れてここまでやってきた。
 そしてそこに立ち並んでいたのは、7人の守護聖。
 それから、今回初めて行われる大移動のデータをサンプリングするためにここに呼ばれた、エルンストの姿。
 そして女王候補や他の協力者・教官の姿は無い。
 異常なまでに清廉な空気がそこには漂っていた。
 あらかじめの取り決めどおりに、守護聖達の前を通り過ぎ、6本の柱に囲まれた舞台の上にヴィクトールたちが上がっていく。
 隊員たちも、その後に続く。
 その気配を後ろに感じながら、ヴィクトールは自分の持つ違和感のあまりの酷さに、彼らがこの状況をどう思っているのか、なぜか無性に知りたくなった。
 だが彼らはヴィクトールの思いとは裏腹に、今までの訓練の賜物なのか、全く滞ることなく付いてきていた。
 中央真近に立ったヴィクトールたち、そして整然とその後ろに並ぶ隊員たち。
 そのまた後ろに。
 ヴィクトールは人がすっと立つ気配を感じた。
 女王と補佐官。
 ヴィクトールも含めて隊員達は振り返ることを許されていない。
「…女王の御名の元に…。」 
 紫の瞳と髪を持った美しい補佐官の声がした。彼女は声と共に月と星の杖をその6本の円柱に掲げ、すっくと立つ。
 そして彼女の後ろにかばわれるように立った金の髪を持つ女王は、頷いてゆっくりと手を組み合わせ瞳を閉じた。
「女王の、御名の元に。」
 オスカーとオリヴィエも含めて、9人の守護聖が唱和する。
 ヴィクトールは油断無く前を見詰めていた。
 一見ここは森の中の廃墟のように見えた。白亜柱には蔦が絡まり、舞台の白いタイルは風雨にさらされ風化している。だが良く見ればその隙間には一握りの草も生えていなかった。それは常に人の手が入り、整えられている証拠。
 ヴィクトールは自分の身体がこれから起きるただならぬ出来事の為に強くこわばっているのを知った。
── しかし、落ち着け。
 自分達のすることは一つ。これがなんであろうと、行く先の星は慣れ親しんだひとつの惑星である。その星を守るため最大限の力を尽くすことだけだ。
 彼にとっても久しぶりの『現場』。
 しばらくナリを潜めていた、冷静な…悪く言えば冷徹な自分が目を覚まし始めるのを彼は密かに感じている。
 アンジェリークが口の中で何事かを呟く度に、光を増していく女王の翼。
 共鳴するようにかすかな震えを持ち始める補佐官のエンブレム。
 やがてそれらは一つの音となってあたりに響き始めた。低く、低く、そして段々と高く。
 舞台の上に立つヴィクトールと、オスカー、オリヴィエ。その時、ヴィクトールは後ろに立つ兵士達の喉から軽いうめきのようなものがもれるのを聞いた。
── 扉が…。
 舞台の上に現れる。謁見の間を思い出させるような重厚な扉であった。何も無かったはずの空間にソレが現れたことにより、彼自信も驚きを隠せずに息を呑んだ。
 そんなヴィクトールの隣で、同じように息を詰めるオスカーとオリヴィエ。
 そして上方から徐々に姿を現した『扉』はやがて、重々しい音を立てて舞台に立ち上がった。圧し掛かるように大きい。
「扉を潜るもの…扉の前に。」
語尾を反射させてロザリアの声が響いた。「鍵を持って扉を放つ。力を持って道を開かん!」
 その時、女王アンジェリークが長い詠唱をぷつりと途切らせ、閉じていた瞳を強く開いた。
『開け、次元回廊』
 それはアンジェリークの声ではなかった。それは『女王』の声紋。
── っ…!?
 ヴィクトールはまぶしさに目を細めた。そこにあるのは後ろに居るはずの女王アンジェリークの姿…両腕と両の翼を広げたその姿が、溢れだす大量の光にシルエットとなって焼きつく。
「さあ、お行きなさいオスカー、オリヴィエ、ヴィクトール!」
 ロザリアの声が鋭く響いた。掲げたエンブレムの重みに耐えるように。
── これが、次元回廊。
 垣間見えるその向こうの宇宙。一筋の光の道。
 その時だった!
「捕らえろ!!」
「逃げてっ!!」
 二つの声が同時に飛んだ。
 一つは、ヴィクトールたちの背後から。
 そして、もう一つはヴィクトールたちの進む先…つまり、次元回廊の向こうから。
「な…っ」
 オスカーの呟きが耳元傍で聞こえたような気がした。
「ちょ…離しなよっ!」
 オリヴィエの声が逆側に響く。光の洪水の中でヴィクトールは反射的に振り返った。
「何しやがるんだテメー!」
「な、何をするんですかっ」
 どれが誰の声かヴィクトールは瞬時に判断した。そしてこの状況の悪さも。
 腰の銃に手を掛ける。そして抜くと同時に。
 かちり、と後頭部に軽い振動と音を感じて動きを止めた。
「……悪く思わないでねヴィクトール。」
 聞き慣れた声だった。そう、その少しハスキーな声は……
「………ミー…、…シャ?」
 振り返って撃とうとすれば撃てたかもしれない。
 だが、ヴィクトールにはそれが出来なかった。
『ミーシャのこと、頼むな。』
 その言葉が、彼の人差し指を凍らせた。
「騙されるんじゃないわよ!」
 彼女は一声叫んでヴィクトールの背中をぐいと引いた。
 …次元回廊の向こうへ。惑星ネプラに通じる道へ。
 そして目がくらむほどの光の中でヴィクトールが最後に見たのは、女王に向かって銃を構えるミーシャの後姿だった。 


 
- continue -

 

では、また!
蒼太
2002.04.20.

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