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43.嵐の前

  

ACT.1
 

「様子はどうだった?」
 アンジェリークの部屋から出てきたレイチェルに、ランディとマルセルが走り寄った。
 レイチェルは後ろ手にそっと扉を閉じながら、二人に向かって微かに笑って見せた。
「まだ目を覚ます様子は無かったけど…でも、大丈夫だと思うよ。スキャンでも異常は無かったって言っていたしネ。」
「そっか…。」
「良かった。」
 ほっとした顔を見せた二人の後ろには、オリヴィエの姿があった。
「ヴィクトール、大人しく付いてるって?」
 彼は軽く肩をあげて、いたずら気にレイチェルに尋ねた。レイチェルは彼に向かって軽く方をすくめて見せる。
「やあぁっと説得したんだから。『俺がここにいちゃまずいだろう。』とか言っちゃって、なかなか言う事聞いてくれないんだもん。時間がかかっちゃた。」
「あっはっは…いかにもあの男が言いそうだね。同じ軍人でもオスカーとはえらい違いだよ。」
 なぜか嬉しそうなオリヴィエを咎める様にマルセルが眉をしかめる。
「オリヴィエさまったら!」
 そう、何を隠そうヴィクトールとアンジェリークをこうして二人だけにしようと企んだのはレイチェルではなくこのオリヴィエであった。
「マルセル〜。若いうちからそんなにお固くてどうするるんだい?」
マルセルのそんな渋い顔に微笑みかけ、軽くその頬をピチピチと叩いた。「これであの二人もどうにかなってくれるでしょ。まあったく…世話が焼けるんだからねぇ。」
といって、オリヴィエは笑った。一体いつから二人の気持ちに気づいていたのか。
「でも…良かったんですか? これでアンジェリークがもし…。」
「シッ!」
 言いかけたランディの言葉を、レイチェルが遮る。
「いーんだヨ。だってワタシは了解済み。」
そして、ほんの僅かにやるせなさそうな色を乗せて、その薄紫の瞳を輝かせた。「もし…もしさ、これでアンジェリークが行っちゃうとしても…ワタシたち、ちゃんとお互いの気持ち、分かってる…つもり。」
「レイチェル…。」
 呟いたランディに微笑みかけたレイチェルの肩に、オリヴィエがそっと手を置いた。
「アンタってば…本当にイイ子だね。」
「やだなぁ。そんなの分かり切ってるコトじゃないですか! それにワタシは、まだアンジェリークを連れて行くコト、あきらめたわけじゃないんですモン。」
 レイチェルはそう言ってからりと笑った。そして
「それより…」
と、薄紫の瞳を鋭くした。「一体どうしてこんな事になったのか…それを教えてホシイな。」
 その言葉にランディとマルセルは顔を見合わせ、そしてちらりとオリヴィエに目を走らせた。
 女王候補には教えてはならぬと、ジュリアスからの達しが出ている。それを破るわけには行かない。レイチェルは言いよどむ二人に向かって、更に語調を強めた。
「ダメだよ。私たちだけ除け者なんて、許さないんですカラね。」
 

 

 

ACT,2
 鋼の守護聖・ゼフェルはいつもの地下室の暗闇の中、部屋の隅の薄汚れたソファに、うずくまるようにして腰掛けていた。
 その真紅の瞳はどこか一点を見つめて瞬きさえせず、その肩を覆う白いマントも今は見当たらない。
 それは女王候補・アンジェリークの傍にあるはずだった。
 なぜあんな行動に出てしまったのか、自分でも分からない。
 今は女王候補の試験中。たとえ、新宇宙に滞りが見られそれを自分の力で治すことが出来ると分かっているような状況であっても、守護聖が勝手に育成をするなど絶対に許されることではない。
 アンジェリークを応援してやりたい、女王にしてやりたい。確かにそう思った。だがあの時、自分は自分の行動が宇宙に及ぼす影響と結果を、分かってはいなかったか?
 多分自分は、王立研究員のエルンストの次に、新宇宙の事を分かっている。
「…っくしょ…。」
 折った膝の上で握った手を、きつく握り締める。
 この手は、アンジェリークの頬を叩いた手。
『わたしは、女王候補ですから。』
 義務・責任。
── そんな言葉、聞きたくなかった。
『ヴィクトール様の事が、好き。』
 アンジェリークの瞳ははっきりとそう言っていた。だから尋ねたのだ。だが帰ってきたのは予期していたのとは違う言葉。
 雨の中で潤む蒼緑の瞳は、翼を絡め取られた小鳥のように無気力だった。
 そしてそれが自分を突き動かした。
 本当は………なぜあんな行動に出たのか…もう分かっている。
 けれど認められない、認めたくない。
 こうやって私邸で謹慎を始めて2日。
 その間ゼフェルはこうしてほとんどの間地下室から一歩も出ずにいた。 そのときだった。
コンコン
 地下室の扉が叩かれて、ゼフェルははっと目を上げた。
「ゼフェル様。ルヴァさまがお越しですが、お通し致しますか?」
「……帰れって、言っといてくれよ。」
 ゼフェルは階段上の扉の向こうへ向かって低く答えた。実のところルヴァの訪問はこれが初めてではない。昨日も、そして今朝もこうしてやってきていた。ゆえに扉の向こうの従者は困ったような声でこう言った。
「ですが…ゼフェル様ご自身も何かお食べになりませんと…。」
「放っておいてくれって、言ってるだろ!?」
ガンッ!!
 ゼフェルは勢い良くソファから立ち上がって扉まで駆け上がると内側から拳を叩き付けた。従者がその音に息を呑む。
 だがその後ろから。
「ゼフェル。」
 良く響くテナーが彼の名前を呼び、ゼフェルは驚いて顔を上げた。
「ルヴァ…。」
 もうそこまで来ていたのか、と、見えないはずのルヴァの視線を避けるように、ゼフェルは扉から目を逸らした。
「あ〜…。会いたくない、と言われてしまえば私も帰るしか無くなってしまうんですが〜。もしよければ、でいいのでここを開けては貰えませんかね〜?」
 ルヴァは相変わらずの口調でそう言った。
「……開けて、どうするってんだよ。」
唇を噛んで囁く。「ジュリアスの野郎が言うには俺は一週間の謹慎…だろ? お前に会うのも禁止されてるはずだぜ?」
「ジュリアスの許可は取ってきましたよ。」
「…で?」
 ゼフェルは鋭く聞き返した。その耳に、ルヴァが指示したらしく、従者が下がっていく足音が聞こえてきた。
「あ〜…だからどう、という訳ではないのですが、あなたが…その…落ち込んでいるのではないかと思って。」
「俺が!?」
 はっ、と息を吐いてゼフェルは扉に背中を預けた。冷えた鉄版がマントのない背中に直接あたる。
「余計なお世話だぜ。俺は俺がしたいことをしたまでだ。」
 言い捨てるようなその言葉の後には、沈黙があった。
 扉の内と外で、微妙な空気が流れる。
 やがて、口を開いたのはルヴァだった。
「…本当に、あれはあなたはしたいことだったんですか、ゼフェル。」
「どういう意味だよ。」
「もし、本気で女王試験の禁を破ろうと初めからそう決めてやったのなら、あなたはこんな風に閉じこもったりしないはずです。」
 ルヴァの言葉にゼフェルの背中がぎくりとこわばる。
「あなたの事です。全部納得してそうしたなら、今頃聖地を抜け出して外界にでも遊びに行っているでしょうね。…なにせ、一週間のお役御免なんですから。」
 その静かな口調が語る事を聞いていると、その緑灰色の瞳が、扉を抜けてまっすぐ自分を見透かしているように思えてくる。
 ゼフェルは拳を握って唇を噛んだ。
「だからどうした。何が言いたいんだよ…っ!」
「もし…あなたが何か抱えているなら、私に話して見て欲しい、とそう言いに来たんです。」
 ルヴァは扉にそっと手を添えた。手の平に伝わる鉄の感触はまるでゼフェルの心そのままのような気がした。だが、鉄には鉄の温かみがある。
「ジュリアスはあなた独りにする方が良いと…あなたにゆっくりと考える時間と余裕を与える方が良いと、そういう意味でこういう処置を取ったのでしょう。ですが、私はジュリアスではありません。あなたはこんな私を邪魔に感じるかもしれませんが……私はこうせずにはいられない性質の人間なんです。 そしてジュリアスもそれを許してくれました。」
 言葉を区切ってルヴァは相手の反応を待った。だが、答えは返ってこない。
 小さくため息をついて、最後に一言だけ、付け加える。
「皆があなたを心配している事、それだけは伝えて起きますね〜。それから、ご飯はちゃんと食べなくてはいけませんよ〜。いいですか?」
 その間の抜けた声に、ゼフェルの表情が軽く緩む。
「いいよ…。飯は食う。とりあえずな。」
「ゼフェル。」
 険の抜けたゼフェルの声に、ルヴァの顔も明るくなった。
「けど。」
ゼフェルは扉から背中を離し、ルヴァに向かって向き直った。「今日はここは開けない。」
「えっ?」
 ルヴァの細い目が見開かれる。
「エルンストから頼まれモンがあるんだ。それ、仕上げておかねーと。」
 そう言って、ゼフェルは軽く扉を叩いた。
「はぁ…そうですか。」
 てっきり中に入れてもらえるものと思っていたルヴァは、拍子抜けした様子だ。それでも
「でもまあ…アリガトな。」
 最後にゼフェルは一言そう言って、ルヴァを微笑ませた。
 

 

 

 

ACT.3
「第4回 定期審査をはじめます。」
 ロザリアの言葉に、皆は姿勢を正して女王アンジェリークに一礼した。
 今回の審査は二人の女王候補への投票形式。久しぶりに揃った守護聖と教官たちは、お互いに微妙な表情を見せ合いながらその場に立っている。
 現在、レイチェルのハートは6。アンジェリークのハートも6。人気もほぼ二分され、結果の読めない展開だった。
「私は、レイチェルを推そう。」
 そんな光の守護聖ジュリアスの言葉で審査は始まった。2度目の事、女王候補達も覚悟が決っていると見えてさほど動揺する様子もない。
 守護聖たちは順に御前に上がり、それぞれ自分の押す女王候補の名を上げていく。クラヴィスは中立を宣言し、リュミエールはアンジェリークを、ランディ・オスカーはレイチェルを。
 そして次の守護聖が女王の前に立った時、皆はしんと静まった。
「俺はアンジェリークを推すぜ。」
 3日ぶりに皆の前に姿を見せた鋼の守護聖は低くそう言って、そのまま俯きもせず顎を上げて戻って行く。
 そんな彼の態度を見て、レイチェルは僅かに視線を動かし、アンジェリークを見た。
 二人とも、勿論ゼフェルの行動は知っている。その為に今日もこれから学芸館へ行く事になっているのだから。
 そしてアンジェリークはゼフェルの背中を見送って長いまつげを物憂げに伏せていた。
 その後、ゼフェルとアンジェリークの間の微妙な空気を分かっているのかいないのか…オリヴィエが明るい声でレイチェルを押し、そのお陰で和らいだ雰囲気の中ルヴァが、肩の力を抜いて彼の後に立った。
「ええと〜私はアンジェリークを推しますよ〜。」
 これで、レイチェルが4。アンジェリークが3。そしてヴィクトールが壇上に上がる。
「俺はアンジェリークを推しましょう。」
 そして立ち去り際のヴィクトールと、アンジェリークの視線が絡み、瞬間、アンジェリークの頬がぽうっと染まる。
── ふ〜ん…。ナルホドね〜…。
 と、そう思ったのは何もレイチェルだけではなかろう。たった一瞬の出来事ではあったが、オリヴィエやオスカー。そして鋭い側に入る他の数人には、二人の関係が形を変えた事がはっきりと分かった。その証拠にクラヴィスはふっと口端を上げ、セイランは軽く髪を掻き上げ…
 そしてゼフェルは。
 先ほどまでの無表情から、ふてくされたような顔になり、唇を軽く噛んだ。
 そんなゼフェルの目前を、ヴィクトールが下がってくる。
「僕はレイチェルを推そうかな。」
 入れ替わりに壇上へあがったセイランがそういい、そしてティムカがアンジェリークを推し…第四回定期審査は引き分けが決定した。
 

 

 その時。
── 良かった…。
 誰よりもそう思ったのは、ロザリアであった。女王アンジェリークの容態は今だ不安定なままだ。今女王候補達にサクリアを分け与えたら、また倒れてしまうかもしれない。
「では、今回は引き分けですね。お二人とも、また次回頑張ってくださいませ。」
 いつものゆったりとした口調は、どこか張り詰めている。そして 女王候補達に結果を告げて皆に退室するように促がした後、ロザリアはアンジェリークの背中を促がして奥の間に入った。
 すると案の定、アンジェリークはそのままよろめくように長椅子に腰掛けてしまう。
「陛下…。どなたか水をお持ちして。」
 ロザリアの声に、女官が走り出て行く。
「ロザリア〜…気持ち悪いよぉぉ…。」
 だがロザリアの心配げな様子とは対照的に、女王アンジェリークは、ぐったりとしながらもロザリアに甘えるように両腕を差し伸べた。ロザリアの表情も思わず緩む。
「んもう…早くそのお召し物を脱いでしまいなさいな。胸や腰を締め付けているから具合が悪くなったのですわ。」
 言いながら、ロザリアは侍従官と一緒にアンジェリークの窮屈な謁見用ドレスを脱がせにかかった。
「ロザリアは、何ともないの…? ズルイ…。」
 されるがままに脱がされ、着せつけられながらアンジェリークは訴える。
「ずるくなんてないですわ。仕方がございませんでしょう。」
 本当は、体調万全とはお世辞にも言えなかったのだが、今はそれを表に出す事は許されない時期だった。アンジェリークがここ2日ほどでやっと回復してきたところだ、自分が弱音を吐くわけには行かない。
 そのうちパタパタと駆ける足音がして、扉の前で止まった。
「あ〜…お加減どうですか〜?」
 扉の向こうから、のんきな声が聞こえて着た。きて、
「まだ入って来ないで下さいませ。」
着替えの終わったアンジェリークをもう一度長いすに横たわらせながら、ロザリアはふっと微笑んでそれから声を投げかけた。「私の着替えがまだですの。」
「えっ、あ、…あっ、そうですか〜。それは失礼しました。」
 扉をあけてしまったわけでもないのに、ルヴァが慌てたように謝ってくる。ロザリアは思わず苦笑しながら、それでも手早くドレスを換え、相手を迎えに出る。
「もう宜しいですわよ。」
 そこにはいつもの穏やかな様子でルヴァが立っていた。
「はいはい…ああ、陛下は相当酷い様子ですねぇ。」
 部屋に入ってきたルヴァは、言いながらアンジェリークに歩み寄った。
「ごめんなさいルヴァ。また手を貸してくれる?」
 アンジェリークは薄らと翡翠色の瞳を持ち上げて、済まなげに尋ねた。
「ああ、いいんですよ〜御安いご用です〜。」
 ルヴァは軽くうなずくと、アンジェリークの膝裏に手を入れ、肩を抱えて軽々とその小さな体を抱き上げた。
 決して体力要員ではないルヴァだったが、アンジェリーク程度の女性を運ぶくらいなら訳は無い。…ロザリアの許可さえあれば。
「オスカーはやっぱり来てくれないのかしら?」
 ルヴァに抱え上げられながら、アンジェリークは言った。
「ええ〜。ジュリアスは大激怒していましたからねぇ…。」
オスカーは昨日の一件が原因で、ゼフェル同様自宅謹慎の身になってしまった。「私の言うことでは何とも。…ロザリアもそうでしょう?」
 廊下に出ながら振り返って尋ねる。ロザリアが軽く頷いた。
「あの方が頑固さを見せ始めたら、どなたも太刀打ちできませんわ。それに…今回の事については、私も少々腹を立てておりますもの。」
「アンジェリークの事ですね。…女王候補の。」
 ルヴァは廊下を歩きながらロザリアに言った。
「怪我をさせるなんて、酷いですわよ。」
「だけど故意ではありあませんし〜、何よりオスカー本人ががだいぶ落ち込んでいる様子ですよ。」
 そんな二人の会話に、ルヴァの腕の中から女王アンジェリークが割り込む。
「オスカーったらフェミニストだもの。当たり前よ。」
「あなたは具合が悪いのでしょう、黙ってらっしゃい。」
 ロザリアがぴしゃりと言って、アンジェリークを黙らせようとした。だがアンジェリークのほうは服が緩んで気分が良くなってきた様子で、尚も言葉を続ける。
「アンジェリークは意外と大丈夫そうだったわね。風邪も引いていたらしいって聞いたから心配したの…でも初めはちょっと具合が悪そうだったけど、最後は顔色が戻っていたみたい。」
 それは顔色が戻っていたのではなく、ただ頬を染めただけなのだが。女王アンジェリークも、その他の面々同様ちょっとニブイらしい。
 ロザリアは微かに笑った。
「そうですわね。大した事がなくて良かったですわ。」
 頷きながらアンジェリークの私室の扉を開いて、ルヴァを促がす。ロザリアの用意したベッドに、ルヴァはそのままアンジェリークの身体を横たえ、ロザリアが軽く布団を整えてやる。
「さあ、陛下は少しおやすみなさいませ。午後には軍の…サム・リーという方が面会にいらっしゃいますわよ。」
 そっと囁くようなロザリアの声と、そして額に触れるしなやかな指先。アンジェリークはゆっくりと目を閉じて
「うん…分かったわ…。」
 そう一言呟くように言うと、そのまま眠りに落ちて行った。
 ルヴァとロザリアは、少し顔色の悪いアンジェリークの寝顔をしばらく見守ってから部屋を出た。廊下には人影が無い。
「…ゼフェルとはお話しました?」
 ルヴァと薄暗い廊下を歩き出しながら、ロザリアは尋ねた。
「ええ。」
ルヴァは軽く俯く。「昨日ね…きっと皆が思っているほど落ち込んではいない…って、私はそう思うんですがね。」
「そう……。」
 ロザリアは先ほどの一場面を思い出して、顎先にほっそりとした指を置き、そしてかすかに微笑んで頷いた。その薬指には幅の広い琥珀の指輪が填められている。
「だからあなたは心配しないで下さい。」
と、回廊の端まで辿りつき、ルヴァは足を止めてロザリアを見降ろした。「午後の謁見には間に合うように戻ってきます。…身体に無理を掛けないようにしてくださいね。」
 そして触れるか触れないか、というような軽い仕種で彼女の頬に頬を寄せた。
「ええ。…私は大丈夫ですわ…。いってらっしゃい。」
 ロザリアはルヴァの腕の中で小さく微笑んで頷いた。
 

 

 

 

ACT.4
 物憂げな様子で、セイランはゆっくりと歩いていた。
 彼は、こうして時折聖地の中を散策する。特に今日、雨上がりの空気は青く澄み渡っていて、彼の好奇心と芸術的感性をくすぐるようだった。
 と、その視線が庭園の片隅に止まり、彼は僅かに眉根を寄せた。
 そこではいつもの土曜と同じく、チャーリーが店を出している。だがいつもと違うのは、彼と話をしているのがアーミーグリーンの制服を着た若い軍人だということだ。
「これ!これが聖地名物のキーホルダーでっせ! 守護聖さまたちのお姿を映しておりまして…ホンマはこんなの売ったらアカンのですけどな…こっそり裏ルートで製造・販売しとりますのや。恋人に、家族に、ご近所の皆様へのお土産に、どうでっか?」
 チャーリーの流れるような言葉に軍人は目を丸くして興味深げにそれを見ている。セイランは呆れたようにため息をつき、そちらの方へ歩み寄った。
「裏ルートなのに名物なのかい?」
 天幕の中に入り声を掛けると、商人が驚いたように振り返った。
「セイランはん。」
そして気まずそうに言った。「これから名物になるんや。嘘は言うとらんよ。」
 ぱっと手元に隠したのは金色の何かだったように思う。
「それを嘘っていうのさ。」
セイランは言って、その場で困ったような顔をしていた軍人にちらりと目を走らせた。「キミもホント、騙されるんじゃないよこんなことに。」
 冷ややかな目で脅されて、彼はさっさと姿を消した。商人はその後姿を見送って、がっくりと肩を落とした。
「商売の邪魔だけはせんで欲しいわ〜。」
「いつの間に作ったんだい、そんなもの。」
「そりゃ夕べのうちにちょちょいとな。」
「それも嘘だね。」
「商売の為やも〜ん。」
 言いながら商人は、棚の上から何かを下ろしてセイランに手渡した。
「…懲りないね、キミも。」
「性分やからね。」
 するり、とそれを長衣の袖の中に収めて、セイランは軽く肩をすくめてみせる。
「これからどないしはりますのや?」
 チャーリーは鼻歌でも歌うかという調子で彼に尋ねた。
 セイランは、ちょっとだけ考えて答えた。
「そうだね…研究院と…今日はすばらしい天気だから…宮殿の前庭なんかもいいかもね。」
「まだ行くところありますやろ。」
 ちらり、とチャーリーの瞳が光る。
「勿論学芸館に帰るのさ。女王候補たちが来るからね。まぁ…それまではもう少しこの辺りを歩き回ってみるけれど。」
袖に腕を入れたまま、セイランは答えた。
「それが感性の赴くまま、っちゅー奴なんかいな〜。何かおもろい事でも起きたら後で教えてや。」
「…気が向いたらね。」
くすり、と笑ってセイランは手元にあった飴玉を2・3粒取り上げる。「とりあえず、占いの館にもいくことにしたよ。」
 そして、来た時と同じように気配もなしにするりと出て行ってしまった。
「ったく気まぐれ屋さんやな〜〜。」
 その背中を見送って、チャーリーはため息をついた。そして
「あかん。飴玉タダでやってもーた。」
と呟いて、軽く頬を掻いた。
 

 

 

ACT.5
 

 なんだか、不思議なほどいつもどおりに授業が終わってしまった気がして、アンジェリークはそっと目を上げた。
 そこではレイチェルがヴィクトールになにやら質問をしている。今日の学習は彼女と一緒。それは偏に、宇宙の安定度を急いで上げなければならないから。
 もう、アンジェリークも知っている。夕べヴィクトールからすっかり話を聞いたから。
 今聖地にはヴィクトールと同じ王立派遣軍の軍人たちがやって来ていて、ヴィクトールが明日にも惑星ネプラという星へ行かねばならないのだと言う事。そしてそれは「星の小道」つまりは次元回廊を使って行われるのだと言う事。それから…その任務がどうやらあまり安全ではないらしい、と言う事だった。
「大丈夫だ。すぐに帰って来る。」
 そう言われて、思わずその服の裾に縋り付いた。だが彼はいつかと同じようにさりげなく手を押し返して「心配するな」というように笑った。
 だがアンジェリークの不安がそれだけで消えるはずも無く、彼女はじっと彼の瞳と顔を見つめた。
 するとヴィクトールは、なにやら軽く頬を掻いて考え込んだ様子を見せた。
 彼女をどう説得すればいいのか、自分の気持ちをどう伝えるのが一番良いのか、そんな事を考えていたらしい。しばらくしてから、アンジェリークに視線を戻してこう言った。
「あのな…アンジェリーク。」
 そう、やさしく名前を囁いてから、ヴィクトールは座っていた椅子から少し身を乗り出し、彼女の頬に触れるかというしぐさを見せたが、ふと思いとどまったようにその手を止める。
 そしてその表情が、硬く引き締まる。それは軍人としてのヴィクトールの顔だった。
 留めた手は膝の上に下ろされ、強い瞳がアンジェリークを見る。
「聞いてくれるか。今日という日が俺にとってどんな一日だったか…。」
 アンジェリークは、無意識に体を硬くして、頷いた。
「そう…なんと言えばいいのか良く分からないんだが、俺には、もしかしたらずっと昔からこの日は必ず来るように、そう決められていたように思える…そんな日だった。」
ヴィクトールはそう言ってやや遠くに視線を彷徨わせた。「オスカー様と対峙して、僅かだがあの人が分かったような気がした。そして…勿論お前から、かけがえの無い言葉と、気持ちをもらった。」
 その言葉を言うときには流石に照れたのだろうか。彼女に向かって照れたように一瞬だけ微笑んだ。
 だがその表情もすぐに掻き消えて、また酷く真剣な瞳をまアンジェリークに向ける。
「昔、あの災害が起きたとき…俺は現女王陛下から 『希望を捨てるな。いつか必ず癒される日が来る。』 と、そう言われた。俺は、さっきお前と…その…気持ちが通じ合った時、もしかしたら、今日がその日だったのではないか、お前が…俺を癒してくれる存在だったのじゃないかと…そう思った。」
 その時、ヴィクトールはほぼ無意識なのだろうが、ブランケットの上の小さなアンジェリークの手を取って、硬く握り締めた。アンジェリークははっとしてその手を見ようとしたが、ヴィクトールの視線はそれを許さないほどにまっすぐに彼女の蒼翠の瞳を捕らえていたので、叶わなかった。
 彼女はヴィクトールの言葉の意味を感じ取って、更に動揺して頬を染めた。
 だが、次にヴィクトールが言った言葉は。
「しかし、きっとそうじゃないんだ。アンジェリーク。お前は確かに俺を救ってくれた。だが、本当に俺があの事件を受け入れる為にはきっと…。きっと、もう一歩。俺は先に進まなければならないんだと……そう思う。今はそう思えるんだ。」
 ヴィクトールはそう言って、手に取ったアンジェリークの細い指を、そっと口元に寄せた。
 どきり、と心臓が高鳴る。
 ヴィクトールの唇が、指先に落ちる。
 その吐息と、唇の感触が先ほどの強い抱擁と暖かい口付けを思い出させて、アンジェリークは頭の芯がクラリ、とするような感覚を味わった。
「アンジェリーク、待っていてくれ。俺は…今まで抱えてきた後悔も辛さも、何もかも振り切って、お前を……お前を必ず迎えに来る。」
「ヴィ……。」
「お前が、その勇気をくれたんだ。」
 その名を呼ぼうとする唇が、もう一度、塞がれた。
 抱きしめてくる腕も、その体も、唇も。
 酷く熱くて、気を失いそうに…なる。
 そして、最後に囁かれた言葉。
「アンジェリーク、戻ってきたら…その時には…。」
 

 

 

 

「アンジェリーク! 先に行っちゃうからね!!」
 アンジェリークは高く響く声にはっと顔を上げた。見ると、レイチェルはすでに学習用具を全て纏めて執務室の入り口に立っている。
「別に、ず〜〜っとココに居たいならとめないケド。」
彼女は、キュッと切れ上がった口角を微笑ませた。「そうしたらセイランさまはきっとすっごく怒るだろうから、急いだ方がいいヨ。」
 そう言って、するっと扉の向こうへ姿を消した。
「あんまりぼうっとしているからだ。」
 ヴィクトールの笑いの含んだ声が、すぐ隣で囁いた。
「えっ? あ…やだ、私っ…」
 自分自身はぼんやりしていた覚えなど全く無かったアンジェリークは、その声に驚いて、慌てたように学習道具をまとめて持ち上げた…が。
 行く手を、たくましい腕が阻んだ。
「え…?」
 誰の腕かは言わずもがな。アンジェリークはあっという間にヴィクトールの腕の中にいた。
「慌てるとまたすぐ転ぶぞ。」
 授業中からは想像も出来ないような声が、頭の上から降ってくる。アンジェリークはただそれだけで莫迦みたいに跳ね出す自分の心臓に気付いて身をよじった。ヴィクトールの腕の中から抜け出して、この部屋から駈け去ってしまいたいような気分に襲われたのだ。そうでもしなければ、心臓がこのまま止まってしまいそうで。
「ぼんやりと、何を考えていたんだ?」
 今度は、教官ともなんとも取れない少し厳しい声。
 だが勿論、何を考えていたのか、などということは言えない…当の本人に向かって。
「し、試験の事、考えていたんですっ…。」
アンジェリークは、身をよじりながらそう言った。「だって…私ちゃんと約束したんですもん。…レイチェルに…。」
「『女王になる』って?」
からかうような、調子。アンジェリークは何度も頷いて、頷きながら藻掻く。「…そうだな。」
 アンジェリークは、最後まで試験を全うする。そのあと、どうなるかはわからない。
 だが、ヴィクトールにはアンジェリークを手放す気はなかった。
 すぐにも攫ってしまいたいと思うほどだったが、そう言いだす前に、アンジェリークは、レイチェルとの計画をヴィクトールに話した。
 そのあまりの突飛さに流石のヴィクトールも目を丸くしたものだった。だが、言われてみれば悪い案でもない。…ただ…そううまくいくかどうか…そう思ってしまうのは、先を読もうとする悪い癖なのかもしれない。
「離して…ください。」
 腕の中、か弱い声をあげてアンジェリークが自分を見上げた。そのとき、彼女がなぜか消えてしまいそうに見えて、ヴィクトールは思わず息を飲んだ。
 だが、アンジェリークは
「ち、遅刻したらヴィクトール様のせいだって…セイラン様に言ってしまいますから!」
 と、強気な声を上げて、もう一度ヴィクトールの腕を押し返してきた。
 彼女にとっては精一杯なのだろうその動きに、ヴィクトールは思わず笑って腕を緩め、さっきの一瞬の事は、忘れてしまう。
「ぼんやりしていないできちんと授業を聞いてくるんだぞ。」
 するりと腕からすり抜けたアンジェリークに、一声かける。
 するとアンジェリークは真っ赤な顔をして振り返った。
「もう…誰のせいだと思ってらっしゃ…。」
 ハの字に落ちた眉をして、そう言いかけ、アンジェリークははっと口を噤んだ。
「…誰のせいかな。」
 ヴィクトールは腕を組んで執務机に腰を寄り掛け、微笑んだ。
 アンジェリークはますます頬を染める。
「……知りません!」
 ぱっときびすを返す赤いスカート。ヴィクトールは、今度こそ彼女が行ってしまいそうな気配を感じて、その背中に呼びかけた。
「アンジェリーク、明日もし時間が取れたら。森の湖へ行くか?」
 入り口で、アンジェリークが驚いたような顔をして振り返った。デートの約束は。いつだって彼女の方からだったから。
 その瞬間、彼女はあでやかに微笑んだ。
 ヴィクトールが一瞬、動きを止めてしまうほどに、綺麗に。


 


 
- continue -

 

ちょ…ちょっとヴィク様がヴィク様じゃなくなってる? 大丈夫?
…ドキドキ。
今、寝不足だから…いいか悪いか分からない。<そんなんじゃダメやろ!
蒼太

UP→2002.02.25.

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