目の前で囁くように言われた言葉。
自分を見上げる彼女の紫の瞳は、ただまっすぐにルヴァの目を見詰めて、どんな些細な反応も見逃すまいと、している。
「…したみたい、というより…ハッキリ申し上げますと…『妊娠しました』の。」
ロザリアは、ただ、そう言った。
ルヴァはその細い目を思いきり見開いて、その場に立ち尽している。
それはそうだろう。まさか…子供が出来るなんて思っても見なかったのだろう。
なぜならば、ここ聖地は外界とは違う時の流れにあり、それゆえに聖地では子供は生まれない。
そして、時の流れの違いに上手く耐えられない六歳以下の子供を、連れてやってくることも許されていないために、庭園でもそれ以下の子供を見かけることは、無い。
だが…こうして考えて見れば。
今は聖地と外界の時の流れは同じなのだ。
元々は外界と同じリズムで生きてきた自分や女王アンジェリークが元の流れに戻り、そして彼らと…交わったなら。
守護聖と自分たちのリズムが違っても、万が一に子供が出来るのは、当然だったのかもしれない。
不安で、胸が締め付けられる。
この人は、どんな反応をしてくるんだろう。
この人は…これからどうするつもりなんだろう…。
ロザリアは、後ろから同じように不安げな眼差しで自分を見守るアンジェリークの視線を感じながら、ルヴァの言葉を待っていた。
ゆっくりと。
彼の始めの衝撃が薄らいで行くのが分かる。
見開かれた目がいつもの細い視線に戻って行くから。けれどもまだそこには驚きの表情が露で。
「…ロ…ザリア…?」
彼の、掠れたようなテナー。聞きなれた自分を呼ぶ声。
「はい…?」
ロザリアは我知らずきつい眼差しになって、その次の言葉を待った。
が、ルヴァは。
その後彼女をまじまじと見詰めた後で。
いきなりロザリアを抱き上げた。まるで子供にするように、腰を抱え上げて、上に向かって。
「ロザリア!」
「や、…な、何なさるのっ!?」
そのまま、腰を離されてロザリアはルヴァの腕の中に柔らかく落ちる。
足は、まだ地面に付かないままで。
身体を強く抱きしめられる。
「ロザリア…ロザリア………ロザリア。」
彼女の名を呼ぶ彼の声は、それは嬉しげで。
呆気に取られてそんな二人を見ていたアンジェリークは、ロザリアの肩の向こうに、ルヴァの心底幸せそうな微笑を見た。
「ル…ルヴァ…?」
ロザリアは訳の分からないまま、彼の肩にしがみ付く。
「子供が…そうですか…。」
胸元に顔を埋めるように、囁いた彼の言葉。その中には、幸せと喜びが、入り混じって。
「……ルヴァ…。」
その一言で、充分だった。
彼女のしなやかな腕は、ゆっくりと彼のターバンを巻いた頭を抱きしめた。
「…愛しています、ロザリア…。」
固くなっていた心が、その一言でほぐれる。
「ええ…私も…。」
ロザリアは、小さく囁いて。
どちらからとも無く、身体を離す。
ロザリアの足が地面へと降ろされる。
そして、見詰め合い…唇を近付けて…。
「コ・コホン!!」
後ろから聞こえたわざとらしい咳に、二人ははっと我に返った。
「あ、あわわ…。」
「あ、アンジェ…。」
ロザリアは慌ててルヴァの腕から抜け出して、そして彼の身体を押しのける。
ルヴァは顔を真っ赤にして俯いた。
「そこまでしなくても…いいわよ。」
アンジェリークは、あっという間に距離を開けた二人を見てちょっぴり頬を染めながら、言った。
まさか、ロザリアの相手がルヴァだったなんて…。今の今まで知らなかった。先刻ロザリアが彼を名指しで呼び止めた時は、本当に本当なのか、疑ってしまった…。
けれど、こうして目の前でこのアツアツ振りを見せられた後では。もう納得するしかない。
「こ、これはですね。あのですねぇ…。」
ルヴァが耳まで赤い状態のまま、アンジェリークに何かを言おうとしたが、それはロザリアがさりげなく留めた。
「アンジェ…貴女も行ってらっしゃい。」
どこに、とは言わずとも分かる。オスカーの元へだ。
「………。」
アンジェリークが俯いて、躊躇っている所に、ロザリアは尚も言う。
「私が大丈夫だったら、貴女もちゃんと伝えるって、そういう約束でしょう? …早く行かないとオスカーは外界へ行ってしまうわよ。」
その言葉を隣で聞いて、ルヴァはなるほどと心の中で頷いた。
── しかし、大丈夫だったら…なんて。…私は一体どう思われていたんでしょうか〜。
ちょっぴりがっくりするルヴァ。
だから、口を開いた。
「あのですね〜。今更こんな事を言っても信じてもらえないかもしれませんが〜。一応言っておかねばならないかなぁ…なんて。」
女王と補佐官は、ルヴァの声に振り返った。
ルヴァは、ちょっともじもじと、俯く。
「なんですの?」
ロザリアは、先ほどまでの態度をすっかり引っ込めて、補佐官の彼女に戻ってしまっている。
「ええと…その…。」
「だから、なんですの?」
── あ〜この気の短さは、どこかゼフェルに似てますね〜。
ルヴァは頭の隅のほうでなにやらそんな事を考えながら、言った。
「私は、ちゃんと子供を作るつもりで貴女を抱いてましたが…。」
「………。」
「…………。」
── あれ? 聞こえてませんでしたかねぇ…? でももう一度言うのはハズカシイですねぇ…。
押し黙った二人を前に、ルヴァは軽く頬を掻いた。
「その…。説明するとですね。今現在聖地の時の流れは外界と同じわけでして。するとあなた方のバイオリズムは外界にいた頃と限りなく近くなるわけです。すると…つまりそんな時に…ホニャララした場合ですねぇ…。」
「待って!」
ロザリアの鋭い声が飛ぶ。
「…妊娠する確率が高くなるので私は…って、え?なんですか、ロザリア?」
「ルヴァ…。」
低く、掠れるように彼女が囁く。
ルヴァはどういうわけか背筋がぞくぞくというのを感じて、思わず口を固く閉じた。
ロザリアが歩み寄って来る。そして、きつい眼差しでルヴァを見上げた。
「ど、どうしたんですか、ロザリア…。」
「つまり…あなたは分かっててやったんですのね、ルヴァ…?」
「はあ、まあ…そうですね。」
軽く、なんの躊躇いもなくそう答えられて、ロザリアの…精神の糸がぷっつりと切れた。
「あ・な・た…。」
「はい?」
ルヴァは、思わず一歩下がった…が。
「この……大莫迦〜〜っ!!」
高い音が集いの間に響く。
アンジェリークと、そして頬を叩かれたルヴァは、きょとんとしてロザリアを見た。
「私がどんなに悩んだとお思いですの? なぜ始めからそうおっしゃってくれませんでしたの! …おかげで私は…私は…。」
緊張の糸がほぐれたことと、そして怒りの為に、ほろりとその瞳の端から一粒、涙が零れた。
「ロザリア…。」
「…っ…、 …どうしようかと…。この事を伝えてあなたが困った顔をしたら…私にはもうどうしようもなくて…。」
彼の頬を叩いた手を握り締めるように、ロザリアは俯いた。零れはじめた涙は続けざまにほろほろと落ちる。
「…ロザリア。」
ルヴァは、躊躇いがちに彼女に手を伸ばし。そして…ごくゆっくりと、その身体を覆うベールごと抱き寄せた。「…ごめんなさい、ロザリア…。」
ロザリアは彼の胸の中で、しゃくりあげはじめる。
「莫迦…。あなたなんて…もう…。」
言葉とは裏腹に、その肩は細く、たよりなさげで…。
「すみませんでした。私の考えが至らなくて…。」
ルヴァは何度も謝りながら彼女を抱きしめる。「でも…私達はやっぱり違う流れの中にいるわけで…子供が出来る確率なんて何百分の一、何万分の一で…。でも、もし私が貴女にそれを伝えて…。そして、もしこの女王試験が終わるまでに、出来なかったら…貴女は…きっと悲しい顔をするだろうと、私は思ってしまったんです。」
泣きつづけるロザリアの背中を優しく撫でながら、ルヴァは言った。
「勝手な事をおっしゃるのね…。」
言いながら、ロザリアの手がルヴァの衣をしっかりと掴む。
「はい……。」
ルヴァは、言われた言葉に素直に頷いた。「貴女を悲しませたくなかったけれど、困らせたくはなかったけれど…やっぱり言っておくべきでしたね…。」
彼女は、自分が思うよりもずっと強い。
「でも、…もう手放しで喜んじゃ駄目ですか? 私は…今凄く嬉しいんですが…。」
「ルヴァ…。」
「私はね、ロザリア。今貴女の中に芽生えた命は…私と貴女の全てが…心も、想いも…体温も、呼吸も、心音も…全部重なったから出来たんだと…そう思ってますよ。」
時の流れが違っても。
それ以上の結びつきがあったから。
そんな二人の姿を、じっと見ていたアンジェリークは、やがて、そっとその姿を集いの間から消した。
二人の気付かないうちに。
「本当に、心から貴女が好きです、ロザリア…。」
「ルヴァ…。」
「ズルいですね、私は…。」
ルヴァは寄り掛かって来た彼女の身体を抱いて、続ける。「その〜。こうなれば関係をオープンに出来る上に、ジュリアスを説得して結婚なんかもできちゃうかなぁなんて思ってたもんですから。」
何気なく発せられたその言葉に、ロザリアは息を呑み。
ルヴァは、はっとして口を噤んだ。
「…え…?」
「あ…。」
ルヴァは思わず彼女から身体を離した。「あ、い、い…いえっ!! い、い、今のは…っ今のは聞かなかった事にしてくださいッ!」
殆ど悲鳴のような言い方でルヴァは目の前でパタパタと手を振る。
「ルヴァ…? 今なんておっしゃったの?」
「何でも、何でもないんですっ! …そ、それはこれからの事でした。今じゃなくて…。」
「今じゃなくて…?」
「そ、そそ…その…。」
「その…?」
ロザリアの猫のような紫の瞳が…ルヴァを見詰める。先ほどまでの涙はもうすっかり乾いて。
「ロ、ロ、…ロザリア!!」
ルヴァの手が、ロザリアの肩に掛かる。
きつく、痣が出来るのではないかと言うほどに、強く。
「それは…。」
「それは…?」
心臓が、早鐘のように跳ねる。
もしかして。
もしかしたら。
── 補佐官である限り、そして彼が守護聖である限り、絶対に言って貰えない台詞だと思っていたけれど…。
ずっと、その気でしたの?
あなたったら、そんな事を考えていましたの?
ロザリアとて、蓋を開ければただの18の「女のコ」で。
それを、夢見ていなかったわけではない。…決して。
その瞳が、潤む。頬が桜色に染まる。
「ロザリア、それは…。」
「はい…。」
ルヴァが少し身体を屈めて、そのグレーの瞳で、彼女をまっすぐに見詰める。
「それは、…また、明日!」
彼女の肩をしっかりと掴んだままで、ルヴァは言った。
「………は?」
── また、アシタ?
そんなプロポーズの仕方があったかしら?
ロザリアは心の中で小首をかしげた。
しかし、目の前で顔を真っ赤にしているルヴァと、その言葉がゆっくりゆっくり繋がって行く。
そして、その二つが重なった時。
”スパーン!!”
本日2度目の平手打ちがルヴァの頬に放たれた。
「い、痛った〜…。…ロ、ロザリア??」
ルヴァはきょとんと頬を手で覆った。先刻と逆の頬を。そしてなぜ叩かれたか、やっぱり分かっていないらしい。
「莫迦っ!!」
ロザリアはルヴァに背を向ける。「莫迦ばか、莫迦ばかバカ馬鹿ばかぁっ!!」
「そ、そんなに怒らないで下さい。私にも…その…。」
「聞く耳持ちませんわよ!」
期待しすぎた自分にも、腹が立つ。
── 私が莫迦でしたわ。この煮え切らない方が、ハッキリ仰ってくれる筈が、ありませんのよ!
「ですから、明日! 改めて!」
「改めて何を仰るのかしら?」
つんっ! と顔を逸らす。
「何をって…分かってるでしょう? 私がターバンを取る相手は貴女だけなんですよ?」
叫ぶように、ルヴァが言って、彼女の後ろでうろうろする。
「ええ。分かってますわよ!」
「だ、だったらいいじゃないですか…。」
ちょっとムッとしたように、ルヴァは言う。
そんな彼に、更に怒った様子で、ロザリアは言い返す。
「言わなきゃいけないことは、言わなきゃならないときに、言わなければ意味がないんですのよ!」
「今は駄目なんです!」
「何でですの!」
ばっとロザリアが振り返る。
「そ、それは…。」
ルヴァが、目を逸らす。
「も〜う、分かりましたわ! さよなら、ルヴァ!」
ロザリアが、ルヴァの胸元をぐいぐいと押し始める。
「わ、わ…。な、何するんですか…。」
「出て行ってくださいませ! 私これから色々と忙しいんですの!」
「集いの間で何をするっていうんですか。」
「放っておいてください!」
「あんまり怒るとお腹の子供に良くな…。」
「黙ってらっしゃい!」
ぴしゃり! とロザリアが言うのと、そしてルヴァの目の前で大扉が閉じられたのは、同じ瞬間だった。
「………。」
ルヴァは、唖然としてその場に立ちすくむ。
── 何が、なんだか分からなくなってきました…。
怒ったロザリアの顔を思い出して、そして立て続けに起きた出来事を思い返して。
悩む。
── 私…何かマズい事しましたっけ…?
マズイことだらけなのに、気付いていない。
── でも…ホントに今は駄目なんですよ〜だって…。
軽く、頬を掻いてルヴァは扉の向こうに声を掛けた。
「ロザリア…? あの〜。明日には、きっと。だから……。」
が、聞こえているのか、いないのか。返事は無い。「準備ができたら、お訪ねしますよ〜? その時は入れてくださいね〜?」
扉の向こうから、つんっ! という音が聞こえてきそうだった。
一方。
集いの間から姿を消した女王アンジェリークは、長い裏廊下を走って、宮殿の裏庭に出ていた。
息を切らせて、そのまま裏門を出る。
早く行かないとオスカーは行ってしまう。
目指すのは、宮殿の厩舎から崖のほう…つまりはオスカーやジュリアスの私邸があるほうへ続く、馬車道。
上手くすればここで、支度をしに私邸に戻る彼を捕まえられる。
アンジェリークは馬車道に走り出た。
そして、左右を見渡そうと、した時。
「! 危ないっ!」
目の前に、オスカーとその騎馬が。
オスカーがたずなをきつく絞って、馬が前足を大きく上げるのが、見えた。
くらり、と目の前が回った。
具合が良いわけではないのに、いきなり走ったからだ。
「あ…。」
身体の力が抜ける。
「お嬢ちゃん!!」
オスカーの悲鳴のようなものが、聞こえた。
次にアンジェリークが意識を取り戻した時。
そこは、ふかふかのベッドの上だった。
しかし、見慣れない風景。
「………。」
軽く息を吸い込んで、そして辺りを見まわすと。
「…オスカー…。」
枕もとに、彼の顔があった。椅子を置いて、ずっとそこに居たような気配。
「目が覚めたか、俺のお嬢ちゃん。」
軽く、微笑むアイスブルーの瞳。「…びっくりしたぜ、危うくひき殺す所だった…。」
その口調とは裏腹に、握った手は小さく震えている。
「…ごめんなさい…。」
出した声が掠れている事に、アンジェリーク自身が驚く。
「距離があったから避け切れたが。…一体あんなところでどうしたんだ、アンジェ?」
オスカーは、握った手に力を込めてアンジェリークの翠の瞳を覗き込んだ。
アンジェリークは少しぼんやりしながら、オスカーの後ろや辺りを見まわす。
── ここ、オスカーの私邸…?
暗い色調のずっしりした家具が並んでいる。寝かされているベッドはセミダブル。オスカーの匂いのする部屋には、他に誰も居ない。
アンジェリークはオスカーの私邸に…いや、私室へ入ったのは初めてだった。会うときは、いつだって女王の私室で…。
頭を巡らせて、彼を見る。
じっと、そのアイスブルーの瞳を見詰める。
「…お嬢ちゃん…?」
その翠の瞳の中にある複雑な表情を読みきれなくて、オスカーは困惑したように彼女の様子を見守った。
── どうした? 倒れた時にどこか打ったのか?
「オスカー。」
「ん?」
「私……赤ちゃんが出来たの。」
── …………何だって…?
サラリといわれた言葉に、オスカーはまじまじと、アンジェリークを見た。
彼女の頬は、白く。
口元は頑なに引き締められている。
「お腹の中に、赤ちゃんがいるの、オスカー。」
アンジェリークは、もう一度言葉を噛んで飲み込ませるように、オスカーに言った。「言わないでおこうって思ったのだけど…。でも…。」
オスカーから顔を背けて、アンジェリークは枕に顔を埋める。
「何でだ……?」
後ろで、オスカーが低く言った。
アンジェリークは目を伏せる。
「やっぱり…困る?」
── 私は補佐官じゃなくて、女王だものね…。
ルヴァとロザリアのように上手くはいかないのかもしれない。二人の様子を見て、思わず走ってきてしまったけれど…。
「…ごめんなさい。こんなに大変な時に…。」
「何を、言ってるんだ?」
オスカーが、アンジェリークの手を強く握り締めた。
「私、まさかこんな事になるなんて思ってなくて、全然考えていなくて…。」
「アンジェ…。」
「知らなかったの、外界と時の流れを一緒にしたら、…その時は駄目ってこと…。」
「アンジェリーク!!」
まるで怒鳴るように名を呼ばれて、アンジェリークはビクリと身体を竦めた。
── 怖い、オスカー…。
そんな声を出してしまった自分に、オスカーは驚いていた。女性に、しかも誰よりも愛するアンジェリークに、こんな風に声を荒げることがあろうとは。
怯えたように背を向ける彼女の、その細い肩。
「アンジェ…。」
オスカーは、なるべくそっと気をつけて、アンジェリークの肩に触れた。
もう一方の手は彼女の手を、しっかりと握ったまま。
そのまま、少し腰を浮かしてベッドの枕元に腰掛ける。
ゆっくりと、アンジェリークの金の髪を撫で上げ。
肩先から咽喉元。咽喉から頬。そして唇へ、涙の浮かんだ眦へ、指先を這わせて行く。
「お嬢ちゃん…。」
ブランケットから剥き出しになった肩に、くちづける。その胸元にも、首筋にも。額にも。
「オ…スカー…?」
何時の間にか彼を見るように姿勢を変えられて、アンジェリークは困惑しながらも、色めいた眼差しで彼を見上げた。
ブランケットをずらすように、オスカーの手の平が、彼女の胸元から下腹部へと降りて行く。
「あ…ん…。」
彼女の咽喉から、溜息が漏れる。
唇が、重なる。
「ん…ぅ…」
そして、長いキスの後で、オスカーは漸く身体を起こした。アンジェリークは目覚めた時よりもぼんやりと、頬を朱に染めていた。
「お嬢ちゃん。これから毎日君に薔薇を贈ろう。君が身動きできないほど沢山。薔薇の花びらでクッションが出来るくらいにな。」
「オスカー?」
「それから、胎教に良さそうな本と、絵と、音楽と…。」
「…オスカー…。」
「俺には良く分かないが、色々だ。…お嬢ちゃん…。」
そして、アンジェリークが何も言えずにいるうちに、もう一度くちづける。「アンジェ…君と、君の中に居る命を…俺はこれからもずっと愛して行く。」
翠の瞳の端から涙が零れた。
抱きしめられて、心がほぐれて行く。
「言わないでおこうなんて、何で思ったんだ? この俺が…喜ばないとでも思ったのか?」
囁くように、耳元で。
「だって…。」
すがりつくように、彼の背中に手を回す。
「俺には…アンジェ…君だけだ。」
「ん…。」
小さく、幸せそうに、アンジェリークはオスカーの胸の中で頷いた。
そんな彼女の身体を、オスカーはもう一度ベッドの上に、押し倒す。
「あ…。だ、め…。」
首筋に這いはじめた彼の唇が、先ほどとは別の意識を持っている事に気付いて、アンジェリークは思わず吐息をもらす。
「少しだけだ…。途中で止める。」
熱を持った囁き。
「でも…。」
「このまま、外界へ行けっていうのか。しばらく会えなくなるんだぞ。」
「だって…今までだってそれくらい…。」
「これからは別だ。」
「オス…カ……」
彼を押しのけ様としていた腕が、力無く降ろされ。
そして、その身体の力が抜ける。
が。
「ちょっと〜〜!! まだ待たせるつもりなのっ!! なーにやってんのさ、オスカー!!」
扉の向こうから、傍若無人な大声が聞こえて、二人は思わず顔を動きを止めた。
「…………。」
「……。」
オスカーは、苦虫を噛み潰したような顔になり。
アンジェリークは、そんなオスカーの表情に、思わず笑う。
「オリヴィエが居たのね?」
「ああ…すっかり忘れてたが…。」
苦々しげに、オスカーは言って、そして身体を起こした。
「今行く! もう少し待ってろ!!」
怒鳴りつけるように扉の向こうに叫んだオスカーに、
「…行って…、ね?」
軽く小首をかしげて、アンジェリークは囁いた。
「…こんな時に君を置いて行くのは…なんだか…。」
「私は大丈夫よ。」
── もう、平気。
気持ちがわかったから。
もう、不安なんて無いから。
「急がなきゃ。オリヴィエが怒るわ。…あなたも守護聖として頑張ってきてね。」
── 私は女王として、頑張るから。
「………ああ。」
言外に含められた言葉に、オスカーは頷く。「もう少し休んでから、戻ってくれ。俺が送りたいが…今は…。」
「分かっているわ。」
アンジェリークは幸せそうな微笑を乗せて、立ちあがってマントを身に着けるオスカーを見上げた。
そんな彼女の表情に、オスカーは惹かれ、と、同時に僅かな予感を感じた。
「行ってらっしゃい。待ってるわ…。」
が、その予感は、彼女の微笑みにかき消され、遠くへおしやられ。
「…意地でもすぐに戻ってくるからな。」
ベッドに屈み込み、そしてアンジェリークの額にくちづける。
「ええ。」
素直に受けとめて、アンジェリークは部屋を出て行く彼の後姿を見送った。
幸せに、満たされたまま。
-
continue
-
…な、納得していただけましたか
でも蒼太にはこれでイッパイイッパイです。では、また次回!
蒼太
2001.09.24.