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33.黒い予感

  



 

 

「お起きになってください、遅刻してしまいますよ。」
 窓からさし込む光。容赦無い侍従長の声。
 聞こえてはいるが、この心地よい空間から出るなど、考えたくも無い。
 メルは、目をつぶったままベットの中で体を丸めた。
「う〜、…う。 …眠いよぅ…。」
「メル様。本当に遅刻しますよ。いいんですか!?」
少し苛立った彼の声。今日はいつにも増して時間が押しているようだ。「サラ様に言いつけますよ!」
 脅し文句もいつもの通り。この館は前回の女王試験でサラの住居となっていたもの。故に館付きの執務官も、彼女を見知っている…その怖さも。
「う〜…。ん、分かったよぅ…。起きる、起きます…起きるからぁ…。」
「本当ですね、ではあと5分で支度を済ませていただきます。」
「わかったよぅ…」
 そして、去って行く足音。メルは、そのまままた寝入ってしまいたい誘惑と、必死で戦いながら、目をこじ開けた。
「う〜……。」
 パンツいっちょでのろのろとベットから降りる。これが出来るようになっただけでも進歩だ。はじめの頃はあの侍従長に任せ切っていたも同然だったから。それゆえ彼がどれだけメル付きの侍従官になった事を悔やんだか知れない。 
 ぼさぼさの頭のまま、メルは用意されたいつもの服を取り上げた。彼の身分を現す赤いうろこのついた胸飾りがついた、レモン色の胴衣。そして水晶と金で出来た首輪をつける。それから更に、胴衣と々色の、長いサッシュを首もとの輪に通して背中に回す。
「あ、しまった。」
 先に腕輪をつけないと、ちゃんと着られない。メルはサッシュを外し、ぼやけた頭で銅色の腕輪をつけてまた巻き直す。それから、赤い水晶の足輪。膝下を覆う編み上げリボン。 
 それから朱色の長い髪を編み込み始める。あまり量の多くないその髪は、結んでしまうと細い尻尾のようだ。
「さて…。」
 メルは扉を出た。外には勿論さっきの執務官が立っている。なぜなら…。
「メル様。」
 彼はメルを呼びとめた。「今日は、スボンを履き替え忘れてらっしゃいますよ。」
「…あ。」
 赤いスパッツを身に付ける筈が、寝たときのままのぶかぶかのパンツのままだった。
「え、えへ? メル間違えちゃった。」
 メルは慌てて扉のおくへ戻って行った。彼はその後姿に向かって溜息を付く。そう、このために彼はここに居るのである。…初日に彼がパンツ無しで食堂に現れた日から、ずっと。そしてメルがなにかを間違えなかった日はない。
「おまたせ〜。」
 今度は、大丈夫なようだった。それを確認すると、執政官はメルを連れて食堂へと向かった。
「今日の朝食は、フロマージュスープとパン、それから海藻サラダ、そして半熟たまごでございます。」
「ええ〜。メル、半熟嫌い〜。」
「好き嫌いは駄目です。食べ終わるまでここから出しませんよ。」
「遅刻しちゃうよ〜。」
 先ほどまでぐずっていたのに、なにをいうのか。
 執務官は強面のままメルを席に座らせ、言った。
「遅刻なさりたくなければ、きちんと最後まで食べる事です。」
「…は〜い。」
 嫌いといっても、本当に食べられないわけではないのだ、と、執務官はこの数ヶ月で知っている。
 最も、今でこそこんな二言三言で言う事を聞くようになったが、初めは苦労した。なにせ悪気は無いのにわがままなのだ。
 目を離すと、嫌いなものをテーブルの下に落とし、あまつさえそれを遠くまで蹴り飛ばす、という事をするので、食事中も目が離せない。 
 メルはそんな執務官の監視の元、毎日の食事を続けていた。…楽しそうに。
 そして、無事朝食が終わる。
 これで送り出せば、執務官の一日の仕事の内、一山越した事になる。
「メル様、転ばないように気を付けて行くんですよ。」
「大丈夫だよ〜ころんだりしないよ〜。」
 言いながら、歩き出す。
「ほら、前を見て、前を!」
「あっ」
 メルは危うく館の前の庭木にぶつかりかけ、慌てて進路を変更し、執務官を振り返って、てへ。と笑って今度こそ館の門から出て行った。 
 執務官はその危なっかしい姿を見送りながら、毎朝思う疑問を、今日も頭の中で繰り返した。
 …あの方は宇宙一の占い師ということだが…本当だろうか。と。

 

 そして今日も、メルは遊び遊び歩いて、やっと占いの館に到着した。
 占いの館は、白い壁に青い屋根。そして扉の前に、メルが身にまとうサッシュと同じ色の布が垂れている。
 メルはぴょんと跳ねて、その布に触ると、そのままの足取りで館の中に入っていった。
「ん〜、ん〜、ん〜♪」
鼻歌を歌いつつ、小型座布団の上に鎮座している水晶を覗き込む。「うん、今日も調子良いみたいだね!」
 その中に映る画が、いつもと同じく鮮明である事を確認して、満足げに微笑む。
「さーってっと。」
 これからまた、長い時間お客を待つのである。メルは一人で居るのが好きではなかったが、サラにきつく言われた事もあり、仕事中は一度としてこの席を離れた事が無い。 
 所が。
 今日はメルの予想に反して、メルが席に付いた途端、と言って良いほどすぐ、一人目のお客がやってきた。
 しかも、酷く慌てた様子で。
「メル〜!!」
「あ来てくれたんだね…って、レイチェル?」
息を切らして駆け込んできた少女に、メルはビックリしたような丸い瞳を向けた。「どうしたの? 今日は慌ててるね。」
「はぁ…っ、はぁ…っ。私の…占いをしてくれる?」
 透紫の瞳をメルに向け、鬼気迫った様子でそう言った。
「占い? いいよ。占いにはレイチェルのハートを…。」
と、お決まりの台詞を言おうとすると。
「分かってるってば、ハートなら幾らでもあげる! だから早く占って!」
「わ、分かったよぅ」
 メルは水晶を覗いた。目の前の女王候補が透けて見えるが、そのうち、水晶の中が雲って行き、やがて、彼女と彼女の周りの人々が、浮きあがってきた。
「見せて!」
 良いよとも言っていないのに、レイチェルは身を乗り出して、その中を覗いた。「…え…あれ?」
 彼女の目に映っているのは、彼女と、それから王立研究院、エルンストとの占い結果の部分だった。
「あがってるわ…。親密度。」
信じられない、と言う様子でメルを見上げる。
「メ、メルなにもしてないよ、間違ってないよ!」
 レイチェルの疑わし気な視線に、メルは慌てて首をふる。
「…てっきり下がってるものと思ったわ。だってあの堅物が…今日会った途端に『我々の研究が貴女の役に立つことを願ってやみません。頑張ってください。』よ?信じられる?」
「堅物って…エルンストさんのこと?」
 メルは尋ねた。
「あったリ前でしょ? 他に誰がいるっての?」
メルの脳裏には、光やら闇やらのほにゃらら、が過ったが、レイチェルにそんな意見はいらないらしかった。
「どうして…?」
 真顔で尋ねられ、メルは困惑ぎみの視線を返す。
「そんなのメル知らないよ〜。」
 勿論それはそうである。相性ならともかく、親密度については、メルの知るところではない。
「…イヤミじゃなかったのかしら…?」
 レイチェルは顎先に指を当てて、そして空を睨んだ。
「ねえ、レイチェル…エルンストさんはイヤミなんか言わないよ。そう聞こえるだけだよ。」
 彼の事を少しでも知っているならば、それはもう常識。
 だからレイチェルはムッとして言い返した。
「分かってるヨ! でもビックリしたんだもん、そう考えでもしなきゃ、つじつまが合わないノ!」
そして、メルに向かって指先を付きつけるように、言った。「この間、エルンストったらワタシの事叱ったでしょ?」
「う…うん。」
 それはほんの三日ほど前の話。ルヴァの私邸で行われたお茶会からの帰り道での事。メルには、あれを「叱った」とは思えなかったが、兎に角頷いた。
「だから…てっきり親密度もさがってるかなって。…そう思って来たの。だったらどうしようかと思っちゃった。もう相性は上げられないしネ。」
 ほっとした様子で、だが髪を掻き上げながらからっと笑い、レイチェルは言った。そう、レイチェルの絶え間ない努力により、二人の相性は100。あしげく研究院へ通ったおかげで親密度も相当な数値である。
「下がってないならそれで良いんダ。…ご免ねメルくん、急がせちゃって。」
「ううん、いいの。レイチェル、他にも何か占って行く?」
 尋ねると、レイチェルは首をふった。
「あんまり驚いたから、育成物の様子見てくるの忘れちゃったんダ〜。だからもう一度研究院へ行ってくる。」
 そしてさっさと踵を返していってしまおうとする。
「あ、レイチェルまって!」
メルはそんな彼女を慌てて呼びとめた。「あのね、エルンストさんにこれを渡して欲しいの。」
 振り返ったレイチェルの前で、メルは机の下に屈み込み、きちんとプレスされた白いハンカチを取り出した。
「なあに、コレ?」
 レイチェルは受取りながら尋ねる。
「あのね、メルこの間のお茶会でジュース零しちゃったの。その時エルンストさんが貸してくれたの。返さなきゃいけないんだけど…レイチェルに頼んでもいい?」
 そういって、メルは小首をかしげた。
 きっと…聖地の他の誰よりも、メルは女王候補や守護聖達の本当の気持ちを知っている。
 だから、レイチェルは一瞬手元のハンカチを見つめた後で、大きく微笑んだ。
「…OK! アリガト、メルくん。」
 メルは毎週占いデータをエルンストの元に運ぶ。本当ならそのときこのハンカチを渡せばそれですむのだ。
 だがレイチェルは本当に良くここへ通っていたし、そして良く長居してメルと一緒に話しをし、そして時にはエルンストへの愚痴をメルに話して聞かせたりしてきた。
 それはもう試験開始の頃からのずっとの事であって、しかも当初お客が余りこないことを気にして落ち込んでいたメルを励ましてくれたのは、レイチェルだった。
 だから、メルは。
 弾むような足取りで出ていったレイチェルの後姿を、少しだけ寂しそうに見送る。
 そして、彼女の姿が見えなくなると、こっそり小さな溜息を付いて、そして机の上に身体を投げ出すように伸びた。
── だって、メルには他にどうしようも無いもの…。
 レイチェルの喜ぶ顔が見たいし、エルンストの事も好きだ。
 水晶球はまだ、先ほどの占いの名残で少し薄曇が掛かったような色合いをしている。
 メルは今朝方の嬉しい気分が落ちこんでしまったのを感じながら、その様子を見るともなしに眺めていた。
 しかし、ふと。
 彼の目が、水晶の中の一点に気付く。
── あれ? どうしたんだろ…。
 メルはサッシュの裾を取って、水晶球の表面を拭った。だがその小さな黒い点は薄れるどころか、むしろメルの意識がそちらに向いたのを感じ取ったかのように尚色濃くなったように思えた。
「…何、これ…?」
 メルは、首筋にぞっとした何かが走ったような気がして、思わず身体を起こした。
── ヤな予感、ヤな気持ち…。
 メルは思わず立ちあがった。そして水晶球を乱暴と思えるほどに強く抱え上げ、今まで昼間一度も留守にした事の無いこの占いの館から、何かに追い立てられるように走り出していた。

 

 アンジェリークは庭園の噴水前にいた。
 手を軽く組んだ様子で、目を閉じ俯いている。そしてしばらくして、その蒼緑の瞳を物憂げに開いた。
── やっぱり真っ暗なまま…。
 ヴィクトールを探していた。ここ数日、学芸館の扉を叩いても、この噴水を覗いても、果ては彼の執務官に尋ねても、杳としてその行方が知れない。
 だが執務官は、言っていた。
「心配には及びません。ヴィクトール様は大丈夫です。」
 なにが大丈夫? 心配するな?
 その言葉が余計にアンジェリークの心を騒がせる。
 もし、ただ単に軍の任務で聖地の外へ出ているならば、それは今までにもあったことだ。噴水に影が映らなくなった時がそうなのだと、アンジェリークは知っている。
 しかしそのときでさえ、ヴィクトールが居なかったのは1日だけ。いつだって次の日には学芸館に居て、そしてアンジェリークに微笑みかけてくれたのだ。
 セイランにも、ティムカにも尋ねた。しかし彼らは彼ららしくなく言葉を濁すか、曖昧に微笑むか。
 あの日のヴィクトールの様子を思い出し、アンジェリークは重ねた手の平をもみ合わせる様に、不安に冷えた手先を暖めた。
「…アンジェリーク?」
 後ろから声を掛けられて、アンジェリークは驚いて顔を上げた。
「…メルさん…。」
 彼は水晶球を胸元にかかえていた。アンジェリークは見なれないその姿に、きょとんとする。
「どうしたの、一人でこんなところで。」
「それが…。」
 アンジェリークはヴィクトールを探していた事、そして彼女が不安に思っていることを彼に伝えた。
「…そう。」
 メルは、浮かない顔をして頷いた。その彼の様子に、アンジェリークは僅かに声を低めた。
「メルさん…もしかして何か知ってらっしゃるんですか?」
 彼女の言葉に、メルはその朱色の瞳を曇らせる。
 その様子にアンジェリークは心臓を掴まれたような気がした。
「…ヴィクトール様に、何か?」
 アンジェリークは思わず声を低めて尋ねた。が、メルはおちついて首を横に振る。
「それは良くわからないの…。だけどメル、なんだか嫌な予感がして…あのね、水晶に黒い影が映ったの。今はまだ小さいけど凄く気持ちの良くない影。でもメルにはまだよく読めなくて…だから、これからクラヴィス様のところへ行ってこのことを聞こうって思っていたの…。」
「私も一緒に連れて行ってください!」
メルの言葉を最後まで聞かぬうちに、アンジェリークは強く言った。「私…このままだと不安で仕方ない…。」
 メルはこくりと頷いた。
「じゃあ行こうよ、アンジェリーク。メルも…一人じゃちょっと怖かったんだ…。」
 陰りの見えた未来。
 それは、何を覆う黒雲なのか。
 メルとアンジェリークは庭園の奥を抜けて、宮殿へと向かった。

 

 

 暗い暗い部屋の中には、薄青く光る水晶が1つ。
 そしてその水晶を見詰める一対の瞳は、窓を占めきった室内の闇よりも深く澄んでいる。
「…………。」
 翳していた手の平をすっと引いて、闇の守護聖・クラヴィスは視線を上げた。
「何か、映ったか?」
「…まあ、な…。」
 クラヴィスは金色の髪をした光の守護聖に視線を向けぬまま、そう答えた。
「それで、何が映った?」
 炎の守護聖オスカーが、強い口調で尋ねる。
「オスカー、クラヴィス様は今、占いの結果を読んでいる所なのです。少し静かにしていてください。」
 リュミエールの囁きが、オスカーを抑える。
「しかし…皆が一斉に同じ予感を感じるとは…一体どうしたことなんでしょうねぇ…。」
 ルヴァの困惑したような声。
「ガキンチョどもはまだ呑気な顔してるけどね…。」
 オリヴィエは整えた前髪を掻き上げながら、ほうぅと溜息を付いた。
 予感…今朝目覚めた瞬間に、彼らは一様に黒い不吉な影を感じた。
 ぬるりと身に纏わりつくような視線と感情がここ、聖地に向けられている。
「いや…あいつらだって漠然と感じてはいるだろうさ…。仮にも守護聖だ。」
オスカーが低く言う。「だがまだハッキリしないうちから関わってこられて、物事を引っ掻き回されるよりマシだ。」
「じゃ、この占いの結果がどうだったとしても、あのコたちには知らせないつもり?」
 オリヴィエの言葉に、皆は曖昧な表情をする。
「…結果次第だな。」
ジュリアスは物憂げに答えた。「クラヴィス。どうだ?」
 再度の問いかけに、クラヴィスは漸く瞳を上げた。
「…関わるな……。」
「なんだと?」
 低く囁かれた言葉に、ジュリアスが眉を顰める。
「これから起こる事に関わるな、と出た。」
「これから起こること…ですか?」
 ルヴァは小首をかしげる。
「それでは役に立たん。これから何かが起こるなどということはこの場にいる全員が分かっていることだ。…私が知りたいのは、何が起きるのか、なぜそれに関わってはならぬのかだ。そして…もし、万が一にもそれを避けることが出来なかった場合には何が起きるのかということも…。」
「これ以上明確な予測を望んでも、意味は無い。」
クラヴィスはジュリアスに向けて静かな瞳を向けた。「未来は些細なことで変化する。何が起きても変わらぬというレベルで占うならば、今私に言えるのはこれだけだ。」
「く…。」
 ジュリアスの拳が苛ただしげに固められる。
「どちらにしても…あまり良い未来が待っているとは言いがたいようだな…。」
 オスカーは今朝の予感を思い起こして、眉根を寄せた。
「やはり…先日の件でしょうか?」
リュミエールは不安げに衣の端を握った。「ヴィクトールが言っていた…派遣軍からの知らせ…惑星ネプラの危機…。」
 彼にとってのあの星は、言わば自分の分身のようなもの。彼のサクリアがふんだんに送られた、水の惑星。
── 『あの惑星には…なにかが起こるような気がしてなりません。』
── 『良しにつけ、悪しにつけ…ですか?』
 あの日のヴィクトールの表情を思い出して、心が痛む。ついうっかり言葉にしてしまったが、彼はきっとあの時言った自分の言葉を思い出しているに違いない。
「ヴィクトールから連絡は?」
「まだです。」
 ジュリアスにオスカーが短く答える。
「どーなってんだろね。ここの所軍からの連絡がワンテンポ遅くなーい?」
「言われてみればそうですねぇ…。」
ルヴァは肘を組んで指先を顎に添える。「外界では何か尋常でない事態がおきているんでしょうか。」
「今は外界もこちらも同じ時の流れにあるだけに、…少々心配だな。」
 たとえヴィクトールから直接の連絡が無くとも、軍からの知らせはリアルタイムで聖地に届く筈なのだ。彼が居なかった頃からそういう仕組みだったのだから。
「心配といえば…オスカー。」
リュミエールがその薄蒼の眼差しを上げた。「陛下はこのところお身体の具合が宜しくないとお聞きしましたが…。」
 こんな事を彼に聞くのは、それは勿論彼が彼女の恋人だから。
「ああ…。」
オスカーはちょっと怯んだように頷いた。恋人として彼女を気にかけてはいたが、表立って尋ねてゆくわけにもいかないこの矛盾した立場。「聞いた話じゃ…大した事は無いって事だが…。」
 だが、元気がとりえの彼女がそんな状態になったと、こうして風の噂に聞くようでは…。
「ここ3日くらい、なんだか天候も不安定じゃない?」
オリヴィエが言う。「アンタ、ロザリアを押しのけてでも見舞いに行くべきかもよ。」
 天候は女王のサクリアによってコントロールされる。だがそれは彼女の無意識。彼女が健康で明るくあればあるほど、聖地の空は晴れ渡る。
「そう…だな。…しかし今回はどういうわけかロザリアも頑固でな…。」
「ロザリアが…ですか?」
ルヴァはその薄灰色の瞳を曇らせた。「…そういえば彼女も最近…ちょっと様子がおかしい様な…そんな気していて…。」
「それも3日まえからか?」
 ジュリアスが尋ねる。
「ですね…言われてみれば、ちょうどそのあたりからだったかもしれません。」
「アン…いや、陛下はあのことをずっと気にかけておられたからな…。」
 5年前の女王交代後すぐに起きた宇宙全体を揺るがすような事件。大量の殉職者を出し、彼女を打ちのめしたあの事件。
 彼女の瞳に、女王候補時代のあの屈託のない微笑を取り戻す事は、とうとう出来なかった。
 今の彼女は、少し大人びて落ちついた笑顔を見せる。…ここではたった、一年の歳月が流れただけなのに。
 そんな彼女を守りたくて、支えてやりたくて、もっとゆっくりと迎えるはずだった守護聖としての一線を、たった一晩で越えた。
 この腕を彼女一人のものに、この身体を全て彼女のものに。この精神さえも。
 あの夜、二人は守護聖でも女王でもなく、ただ一対の男女だった。そうでなければ、彼女の心は壊れていたかもしれない。
 部屋に沈黙が下りた。
 それぞれが、それぞれに思いを巡らせて黙り込む。
「もしかしたら…今度の予兆は陛下ご自身にかかわり合う事なのでしょうか〜。」
 ルヴァが、ぽそりと言い、そしてそれに対してクラヴィスが口を開きかけた、その時だった。
 高い電子音が暗い部屋の中に響いて、一同はクラヴィスの机の上のヴィジコンを見た。
 音がすると同時に蒼く灯った画面と、その瞬く赤い光。3D表示の小さな彼女の姿はくるりと振り返り、その紫の瞳は部屋の中を一巡した。
『みなさん、ここにいらっしゃったのですね。』
 それは、女王補佐官ロザリア。
「…どうした…?」
 部屋の主であるクラヴィスが答える。
『ヴィクトールが外界から戻ってまいりました。色々と事態が変わったから…至急集いの間に集まっていただきたいの。』
「マルセル達も含めて…ですか?」
 みなさん、と言った彼女のセリフの微妙なニュアンスを掴んで、リュミエールが尋ねる。
『………いいえ。』
ロザリアは、ジュリアスの言葉に軽く首を振る。『今は、まだ。…それはこれから決めましょう。あなた方の意見をお聞ききしたいわ。』
「OK。まってて。すぐに行くからさ。」
 オリヴィエが指先を上げて彼女に示した。
 ロザリアは頷いて、すぐさま接続を切る。その瞬間、彼女の瞳はルヴァの姿を映したが、それはルヴァにしか分からない一瞬だった。
 再び薄闇に戻った室内。
「では…行くとしようか。」
 クラヴィスは小さく呟くように言った。

 

「…居ない、みたいだね。」
 メルは扉を叩いていた手を、ゆっくりと下ろして振り返った。
「どなたもいらっしゃらないなんて…。」
アンジェリークは、メルに向かって困惑と不安のないまぜになった視線を送る。「クラヴィス様だけじゃない…ジュリアス様も、ルヴァ様も、オリヴィエ様まで…。」
「次へ行ってみようよ。…きっと今度はいらっしゃるよ。」
 メルは気丈に言い、そして、隣合わせの扉を叩いた。
 すると、中からハッキリとした返事が聞こえて、二人は思わず胸を撫で下ろして扉を開けた。
「やあ!良く来たね…って、メルとアンジェリークじゃないか。珍しいね、二人で来るなんて。」
 風の守護聖ランディは、彼女とメルの姿を見ると遠慮無しに目を丸くして、それから大きく微笑んだ。
 そんな彼に向ける二人の視線はどこか疑り深げだ。
「あのね、メルね、クラヴィス様をさがしてるんだけど、ランディ様ご存知無いですか?」
「クラヴィス様?」
静かに動き始めている何かにまだ気付いていないランディは、余り仲の良くない闇の守護聖について訪ねられ、首を傾げた。「執務室にはもう行った? …そう。…うーん。きっと私邸にでもいらっしゃるんじゃないかな。もしかしたら、まだ眠ってらっしゃるのかもしれないよ。」
 彼は、窓の外で既に中天に差しかかった太陽を見上げてそう言った。
「あの…じゃあヴィクトール様をごぞんじないですか?」
 アンジェリークが躊躇いがちに尋ねる。
「ヴィクトールさん?」
立て続けの質問に、ランディは流石に不思議そうな顔をした。「ヴィクトールさんなら外界へ行ってらっしゃる筈だよ。俺、先週からヴィクトールさんに件の稽古をつけてもらってるんだけど、一昨日、朝の稽古の後で『申し訳無いが朝の稽古にはしばらく付き合えないかもしれなうい。』ってそう言われたんだ。」
「しばらく…そうですか…。」
 とするとこの数日の彼の行動は、まったく予定通りだったという事になる。だが…
「しばらくって、いつまでかなぁ。俺、聞いておくのを忘れちゃったよ。」
 というランディの言葉に、きゅっと手を握り締める。
 そして、メルはそれを聞いて不思議そうにランディに尋ねた。
「なんで? 今は女王試験の最中なのに…そんなに何日も留守にしていいものなの? 学習だってあるでしょ?」
 その言葉に、ランディは何かを考え込む様子を見せ、そして言った。
「そう…だなぁ…女王陛下がそんな許可を出すなんて…変だな。」
「やっぱりなにかあったのかしら…?」
 アンジェリークのそんな呟きを、ランディは聞きとがめる。
「何か、って?」
 アンジェリークは一瞬、これ以上事を大きくしていいものかどうか、迷ったものの結局はメルに促されるように今までの経緯をランディに話して聞かせた。
「…なるほどね。」
こくりと頷いて、ランディは執務机に歩み寄った。
 普段は折りたたんでしまい込まれているヴィジコンを、机の羽目板を外すようにずらし、取り出して立ち上げる。
 キーを軽く叩く様子に、二人は少し驚いて彼を見詰めた。
 アンジェリークは学芸館でしかその通信機器を見た事がなかったし、メルに至ってははじめてみるものだからだ。
 彼が一体何をしようとしているのかが分からず立ちすくんでいた二人だったが、程なくヴィジコンから聞きなれた声が聞こえてきて、耳をすませた。
「…ったく、何だよ! ビービービービーうるせーんだよ!」
 そして、その声と共に、鋼の守護聖の後姿がアンジェリーク達の目の前に現れた。
「お前が早く出ないからだろ。」
 どうやら発信音は、長く応答せずにいればいるほど大きくなっていく仕組みらしい。
 鋼の守護聖ゼフェルは、取り込んでいた作業を中断させられたせいで苛立って、ランディにむっつりとした目を向ける。
「用件があるならさっさと言いやがれ。」
「今すぐ俺の執務室へ来てほしいんだけど。」
「あ”??」
さらりといわれた言葉に、ゼフェルは眉を顰める。「なんか…空耳が聞こえたな。」
「俺の、執務室へ、来て欲しいんだ。今すぐ。」
 それでやっとゼフェルは頷いた。
「ああ〜お前の執務室へね…」
言いかけて。「…って、なんで俺がお前に呼び出されなきゃなんねーんだよ!」
 しかし今日のランディは彼の喧嘩腰の態度につられる事も無く、ただ落ちついて彼の後ろを指差した。
「ゼフェル、後ろ見て。」
「あん?」
ゼフェルは案外素直に振り返った。そして。「っアンジェリーク! …それに、メルじゃねーか。なんでランディ野郎の執務室になんか居るんだよ。」
 メルは思わず彼の3Dにむかって手を振り、アンジェリークは、背景まで鮮やかなそのヴィジョンを見てただ驚くばかり。
「あのさ、説明は後でするから。兎に角早く来てくれよ。」
「………なんだかな…。」
ゼフェルは赤い目を空に巡らせ、そして…しぶしぶと頷いた。「いいぜ。行ってやってもよ。…その代わり全ッ然つまんねー事だったら承知しねーからな!」
 そしてランディの返事も待たずに画像が切れる。
 ランディはその様子をみて呆気に取られる二人に向かって苦笑いすると、今度はマルセルに同じように連絡を取ったのだった。

 数分後。
 風の守護聖ランディの執務室には、彼の他にメル・アンジェリーク・ゼフェル・マルセルという顔ぶれが揃っていた。
「…で?」
ゼフェルは腕を組んでランディを見た。「何があったって言うんだ?」
 そんな聞き方をするのは、もうこの部屋の雰囲気に気付いているから。アンジェリークとメルの不安気な顔をみれば、そう思うのも当然だろう。
「メル…説明してやってくれないか。」
 ランディは珍しく年少組の最古参としての落ちつきを見せてメルに言った。
 メルは頷いて、先ほどからの事を二人に説明する。
 二人は黙って聞いていたが、メルの話しが終わると、マルセルが言った。
「…そう言えば僕…。ここ数日リュミエール様とオリヴィエ様の様子が少しおかしいなぁって思ってたんだ…。」
 その言葉に軽く頷き、今度はゼフェルが言う。
「ルヴァとクラヴィスも、だったぜ? ルヴァはどっか上の空だったし、クラヴィスの眉間のシワはいつもより数段深くなってたしな。」
 けけけ、と冗談混じりな口調ではあったが、しかしその赤い瞳は笑いきってはいない。
「…実は、ジュリアス様もオスカー様も…。」
ランディはアーモンド型の瞳を少し鋭くして言った。「ピリピリしてらっしゃったんだ。オスカー様なんていつも女官と楽しげにしてるくせに、昨日の朝、俺が稽古を頼みに行ったら、一人でテラスにいてさ…『今は坊やの相手をしてる暇は無いんだ。』…って。俺にはぼんやり座ってるようにしか見えなかったんだけどな。」
「オメーがヴィクトールにばっか懐いてるから、ただ怒っただけじゃねーの?」
 ゼフェルはからかいがちに彼に言った。だがランディは首を振る。
「そんな人じゃないよ。」
 きっぱり言いきるランディに、ゼフェルは鼻を鳴らす。
「へっ。…大体よ、あいつらだけがいなくなるのなんて、初めてじゃねーだろ? おい、ランディ。お前何かしでかしたんじゃねーのか? 巻き込まれるのはご免だぜ!」
「なんだとー? それはこっちのセリフだ! お前こそ…。」
 ランディはとうとういつもの調子に戻ってゼフェルに食ってかかろうとしたが…
「あの…。」
 そんな二人に向かい、遠慮がちな声を掛けたのは、ここに来てからずっと黙ったままだったアンジェリーク。
「ん? どうしたんだい、アンジェリーク?」
 ランディが瞳を少し緩めて、アンジェリークを見た。
「じゃあ…何も知らないのは、私達だけなんでしょうか…?」
この様子では、年少組の三人は本当になにもしらない。今他の守護聖たちがどこかへ姿をくらませている事も、その理由も。「学芸館の皆さんも何かを知っているみたいです。」
「…エルンストさんもかなぁ…?」
 メルが、ぽそりと呟いた。
 その言葉に他の4人は顔を見合わせる。
「もし…エルンストさんが何も知らなければ、それって宇宙の事でだけはない、だろうね…。」
マルセルが、薄紫の瞳を考え深げに伏せた。「…エルンストさんの所へ行ってみようか…?」
 何気なく口にした言葉だが、他の四人は大きくうなづいた。
 本当に、何も知らないのが自分たちだけであるならば、これは…何かある。
 五人は、ランディの執務室から出ていった。

 

 

「では…オスカーとオリヴィエに行ってもらいましょうか。」
 聖殿の半地下にある集いの間は、壁の上部からのみ光が差しこんでくる。鈍く蒼く光る石作りの壁がその光を反射して、静謐な雰囲気を湛えていた。
「それでいいですか、二人とも?」
 女王アンジェリークの提案を、二人の守護聖に確かめるために、ロザリアは再度問いかけた。
「は…。」
「OK。」
 オスカーとオリヴィエは、あまり納得がいかないような調子で答えた。
 そんな二人の様子とそして他の守護聖達のやはり、どこか気の向かない風な雰囲気を、ヴィクトールは後ろから不思議そうな目をして見ていた。
 サム・リーからの言付けは一応伝え終わった。
 惑星ネプラの現在の状況。…ミーシャとマニーシャ、そして第15隊がばらばらに潜入している事。彼らは既に相手の中心組織を掴んだ。あとは燻り出すのみ。
 今進行中の事。…トレントが既に出来あがった3隊を率いて通常の運行路・通常の軍船を使いすでにあちらに向かった事。
 そしてこれからの事。残るニ隊は今だ編成中で、それらが成り、トレント達の船があちらへ着いた時、同時にこの聖地の次元回廊を使わせてもらいたいという要請。
 それであの星の内から、ミーシャ達が燻り出した相手を急襲することが出来る。
 トレントの船は早く言えば陽動なのだ。最も、次元回廊からの予期せぬ攻めにあちらが浮き足立つ事に間違いは無く、たたみかけるようにトレントが攻め入る…。
 良く出来た筋書きだった。
 サムがあまりにも当然の事のように、それを伝えるようにヴィクトールに言ったので、ヴィクトールはてっきり、次元回廊の事は将軍格の人物であるなら知っているものなのだろうと、そう思い込んでいた。
 だからそのことを口にした時の皆の反応には驚いたが、それも一瞬で…。
 それどころか、女王はオスカーとオリヴィエを隊編成を指揮する立場の者として外界に送る事を決定した。
 隊の指導者の人数が決定的に足りない事をヴィクトールが伝えたせいでもあるが、本当の所、聖地に兵士を入れる事の危険さを充分に分かっているからだろう。それならば、オスカーとオリヴィエ、それぞれに隊を編成させ、その隊長役を任じたほうが良い。
── どうも、信用されていないようだな…。
 ヴィクトールは苦く笑った。だが、仕方が無い。ヴィクトールも聖地に兵を入り込ませるという計画にはあまり賛成できなかった。しかしサムの言うとおり、ぐずぐずしていてはあの時の二の舞になるだろう事は目に見えている。今回はあらかじめ何が起きるか予測できているのだから、打てる手は打つべきなのだ。
 だがこの、協力的なのに非協力的な雰囲気。
 先ほどまでの守護聖たちの会話と、クラヴィスの占いの結果を知らないヴィクトールには、分かろう筈が無かった。
 関わるなと出た事に、関わらざるを得なかった彼らの気持ちなどは。
「銃器などは扱えますか?」
 ヴィクトールは、失礼になるかもしれないとは思いながらも一応尋ねた。
 その質問に二人はそれぞれに頷く。オスカーは鼻で笑うように。オリヴィエは肩を竦めるように。
 二人の外見や仕種に、軍のものが反発せねば良いが…と、ヴィクトールは思った。しかし軍の内部に内通者がいるというのは、既に暗黙の了解としてヴィクトールたちのチームに染み込んでいる。ならばいっそ、余り頼りになりそうに無くても、この守護聖達を頼んだほうが良い。
「ヴィクトールは二人に代わってこのまま聖地に残ってください。…女王試験がありますから。」
 ロザリアの言葉に短く頷く。
 次元回廊を使うことになるだろうその日まで、女王候補達にこの事態は知らせない事になった。
 そして、守護聖年少組たちにも。
 それを知るのは年長・中堅組だけでいい。知る事によって年若いもの達は浮き足立つであろうし、その影響が女王候補達に出ないとも限らない。彼らには女王試験にのみ集中させなければ、ならない。
 ヴィクトールは尚も皆に指示を与え続ける補佐官からわずかに視線をそらして、隣に立つ王立研究院・主任のエルンストの横顔を見た。
 先ほどのエルンストの言葉によれば、一度始めた新宇宙の育成は、滞る事があってはならないのだという。もし、そんな事があれば宇宙のバランスは崩れ、消滅し…虚無の空間へと戻ってしまう。
 そして、その衝撃がこちらの宇宙に及ぼす影響は生半可なものではない…そう、こちらの宇宙が半分消えてなくなっても、おかしくは無いのだそうだ。
 ヴィクトールはそれを知ってぞっと背筋を震わせた。分かってはいたことだが、あの二人の少女が育て上げているのは、その辺にいる可愛らしいペットなのではなく、宇宙と言う途方も無いモノなのだ…。
「兎に角、短時間で片をつけなければならないですねぇ…。」
ルヴァが、物憂げに呟いた。「女王試験中であるからには、オスカーの力もオリヴィエの力もそんなに長い間欠かす事はできませんし…。」
「かといって、お二人があちらへ行っている間こちらの時間を緩めるには、もう暇がありませんしね。」
 リュミエールが答える。
 時間のコントロールは緩やかに行わなければならない。
 一気にやろうとすればするほど大きな歪が生じるし、女王アンジェリークの負担も計り知れない。
 オスカーの視線が、ロザリアの隣に立っている小さな少女に向けられる。その白い頬はいつもよりも数段青く見えたが、彼に個人的な声を掛ける隙を与えるような事は無い。
「それ以前に、あちらの情況も切羽詰っているようであるしな…。」
 ジュリアスが言う。惑星ブエナへ入ったヴィクトールの仲間からの連絡は、驚くほど進んだこの事態を伝えていた。
 既に表面化している組織の実態。
 それに気付いた住民達の不安。
 中央タービンの破壊の噂は何故か、既に知れ渡っている。第15隊の密かな活動により暴動にまでは至っていないが。
「なぜ…こんなにも急なのでしょう…考える時間も充分にない…。」
 リュミエールは瞳を曇らせて俯いた。
「いっそ、住民達を避難させたほうがいいんじゃ無いでしょうかね〜?」
 ルヴァは小首をかしげてヴィクトールに言った。
「そう…かもしれません。」
ヴィクトールは頷く。「いや、事態がここまで進んだならそのほうがいいでしょうね。すぐに軍へ連絡を入れましょう。ただ…時間がどれほど掛かるか。」
「そうですか〜。…間に合うでしょうかねぇ。」
 ルヴァの声を隣に聞きながら、オスカーはロザリアに向かって言う。
「1週間も掛けずに全てのカタをつける。それでいいだろう?」
「女王試験もそろそろ大詰めだし…ね。」
 オリヴィエが続けて言った。
 そう、この数日でまた惑星は増えていた。アンジェリークに連続でハートを奪われ、そして惑星の数で負けているレイチェルは、流石に研究院へ通うのを一時中断し、育成に重きを置いていたし、アンジェリーク自身もやはりゆっくりではあったが、惑星の数を増やしていた。
「一週間後にはまたいつもの聖地に戻るさ。」
オスカーは肩を竦めるようにして、踵を返した。「そうと決まれば、行くぞオリヴィエ。」
「はいはい。…じゃ、皆しばらくお別れだけど、元気でね☆ ガキンチョどもには上手く言っといて。」
 ちゅっ、と投げられた軽いキスに、皆は思わず力を抜く。この夢の守護聖にかかれば、いつだってそうだ。
 そして、オスカーは後方にいたヴィクトールにそのアイスブルーの視線を止めた。
 にやり、と笑われてヴィクトールは首を傾げる。
 オスカーはすれ違い様にヴィクトールの肩に手を置いた。
「…お嬢ちゃんたちを頼むぜ…。」
そして、ヴィクトールにしか聞こえないような声で囁いた。「あの栗色の髪のお嬢ちゃんだけじゃなくて…な。」
 驚きに身を固くするヴィクトールを置いて、オスカーは部屋から立ち去っていった。
 集いの間に残された残りの人々は、なんとなくお互いの顔を見合って、そして沈黙を続ける。
「……兎に角、我々に出来る事はただ、このまま滞り無く女王試験を続けることだけだ。」
 ジュリアスの凛とした、しかし少し疲れたような声が響いた。
 なにせ、先ほどまで『次元回廊を一般に使わせるかどうか』で女王と言い争っていたのだから。
 結局は、『私の意見が…聞けませんか? 女王である私の意見が』というアンジェリークの言葉とその瞳に勝てなかったのだが。
 物事は、思うようには転ばない。
 動き始めた運命の歯車を感じて、クラヴィスの表情は暗く翳る。
── これは、避けられない事…であったか。
 手の中に持った水晶の中の未来は…少し濃さを増していた。
「では、解散するとしよう。」
 これ以上ここに全員を引き止めていてもどうにもならない。ジュリアスの言葉に各々は頷いて、集いの間を出て行こうとした。
 が、そんな彼らの後姿に、ロザリアの声が掛かる。
「まって…。」
少し掠れたような、声。その隣で女王アンジェリークは俯いている。
 全員が振り返った中、ロザリアは申し訳なさそうな顔をして、言った。
「ルヴァ…あなたにだけちょっと残っていただきたいの。」
「…は? …あ、ええ。」
 その雰囲気に、ジュリアスもクラヴィスもリュミエールも、不思議そうな顔をした。だが、ロザリアはその理由について彼らに説明はしなかった。
 釈然としない顔をして三人は出て行き、ルヴァはそこに残る。
 扉がしっかりと閉じたのを確認してから、尚もしばらく躊躇った後。
 ロザリアはルヴァの元に歩みより、そして彼を見上げた。
 物憂い紫の瞳が彼をじっと、じっと見詰める。
 ルヴァは困惑して彼女を見降ろす。
 彼女はいつになく真剣な顔をして…しかし、その表情は補佐官としてではなく、むしろ……。
 そして…ルヴァの心臓が止まるかというほどの言葉を、発したのであった。
「あのね…私達…。」
 俯く、彼女の紫の髪は少し乱れて。
 その頬に過るのは不安と、そして僅かな紅潮。
「………妊娠、したみたいなんですの…。」

 

 

庭園…噴水前ベンチ。
「居なかったね…。」
 メルは歩きつかれてどっと腰を下ろしていた。
「ん〜。先刻行った時はいたのヨ。ホントなんだから。」
 と、言ったのはレイチェル。
 研究院へ向かおうとするアンジェリークたちと丁度すれ違うようにしてやってきた彼女は、そろいも揃った面々に事情を聞かされてそのまま今日三度目の研究院行きとなったのだった。
 しかし、先刻会ったばかりだと言う彼女の言葉とは裏腹に、滅多に研究院から出ないエルンストは、部下に行き先も告げずに居なくなっていた。
「…ほんっと、怪しい感じになってきやがったぜ…。」
 ベンチには座らずに、ゼフェルは腕を組む。
「なんだか森も空気もざわついている気がするんだ…。」
マルセルはメルの隣で薄紫の瞳を上げ、立ったままのゼフェル、ランディ、レイチェルを見上げる。「僕の勘違いならいいんだけど。」
「俺だって感じてるさ。この嫌な風…。なんだか女王陛下のサクリアさえも、いつもと違うみたいだ。」
「天気もワリーしな。こんなの、久々だぜ。」
 ゼフェルは答えながら、あの時のアンジェリークのことを思い出していた。
 災害にあった惑星から戻って来て、初めて見かけた酷く憔悴した彼女の横顔。その隣に立つオスカーに、ぐったりと凭れかかるように、次元回廊から出てきた。
「もしかして、女王陛下のお具合が悪いから、皆さんいなくなっちゃってるんじゃないノ?」
「だったら僕達にも連絡が来る筈だよ。…僕達だって陛下のこと大好きなんだから…。」
マルセルは俯く。「やっぱりこの宇宙に…なにかあったんだ…。」
「あ〜っ! ムシャクシャすんなぁ!! 俺はでーっきれーだぜ、こんな…のけ者扱いなんてよ!」
「ゼフェル、落ちつけよ。」
「これが落ちついてられるかっての! 大体あいつら、俺達をなんだと思ってやがる。何か起きた時にはだんまりで、俺達のことなんかただのお荷物程度にしか思ってねぇんだろうさ?」
「だって…僕達は…実際…。」
 言いかけたマルセルの言葉を、ゼフェルがさえぎる。
「莫ッ迦野郎! そんなんだからナメられるんだよ!」
 怒鳴られてビクリと身体を竦ませ、マルセルは泣きそうな顔をする。
「やめてよぅ…怖いよ、ゼフェル様〜。」
「メルさん…。」
アンジェリークが隣のメルの肩を抱いて、ゼフェルを見上げた。「私達に知らせてくれないなら…このまま、待っていた方がいいんでしょうか…。私まさか、こんなに事が大きくなるなんて思っていなくて…。」
 ただ、今朝はこの場所にヴィクトールを探しにきただけのはずだったのに。
 事態は思わぬ方向へ動き始めている。
「け…。」
ゼフェルは涙もろい二人の少年から視線を外して、その強い瞳で遠くを見た。そして、言った。「…探ってやろうじゃねーか。」
「え?」
 彼がぽそりと呟いた言葉に、皆が集中する。
「俺はこのまま黙ってなんか居ねーぜ? 何が起きるかしらねーが、あいつらの隠し事なんかすぐに見破ってやる!!」
「ゼフェル…。」
 ランディとマルセルがそんな彼を見詰める。
「だってそうだろうよ! 俺達だって守護聖だ。いっつも『守護聖たるもの…』だとか、『守護聖として…』だとか言ってるくせに、こんな時だけ仲間じゃねぇ風な扱いされて、黙ってられっかよ、そうだろ!?」
「ゼフェル様…。」
 アンジェリークたちは、そんなゼフェルと、他の二人の守護聖を見くらべた。
「オメーらだってそうだぜ? そんな呑気な面してなにが新宇宙の女王だ。こっちの宇宙で何が起きても、オメーらはあっちの宇宙の事だけ任されるんだ。こっちの事なんてカンケーねぇって顔してろって、そう言われてるも同然なんだ。そうだろ?」
「そう…そうだネ…。」
レイチェルがゆっくりと頷いた。「確かにワタシたちはあっちの宇宙を作るためにここに居るけど…でも、ワタシたちが生まれたこの宇宙の事、放ってなんかおけないヨ!」
 そんな彼女の言葉に、アンジェリークも含めて皆は頷いた。
 ゼフェルに彼らの視線が集まる。
 彼は、ニッと大きく笑った。
「そうと決まれば早速作戦開始だ! いいか、オメーらちょっと耳貸せ………。」
 そして、6人は夕暮れの庭園で、なにやらこそこそと話はじめたのであった。

 
- continue -

 


紡いでいた糸を織り上げ始めた、というところでしょうか。
では、また!
蒼太より。

 

2001.09.22

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