〜 ゼフェル 〜
日の差さない部屋の隅では、薄いオレンジの灯かりがともっている。
乱雑に積み重ねられたように見える色とりどりのコードや、幾つも重ねられたボックスの中にある雑多な小物がその灯かりに映し出されて白い壁に長い影を落としていた。それらははこの部屋の主にだけには分かるまとめられかたをしているのだが、誰にそう言っても多分、信じてもらえないことだろう。
その地下室へと降りる階段の脇に置かれた、元は白かったであろうソファは機械油に汚れて、すすけた灰色になりつつある。
そのソファの上には今、部屋の主である鋼の守護聖ゼフェルが手足を縮めるようにして寝息を立てていた。
いつも付けている銀白のプレートと白いマントを外した彼の肩はまだ少年らしさを残しており、しかしこれから青年としての成長して行くためのエネルギーを秘めて堅くしこっている。
仮眠用のそのソファには同じく白いブランケットがかかっていて、彼はそれに半ば包まるように、ケットの端は床に触れるか触れないかで彼の呼吸に合わせ軽く上下し、夢を見ているのか瞼が時折ぴくりと動く。何を夢見ているのか。それは分からないことだけれどもしかし、少なくともうなされている様子はなかった。
くう…と、小さく彼の咽喉が鳴る。
そして、気だるげに寝返りを打つ。狭いソファの中で。
最近また背が伸び始めた彼には、仮眠用に買ったこのソファはもう小さすぎてしまうのだったが、この染みついた機械油の薫りが彼の鼻腔をくすぐるとどうしても捨てる気になれなかった。
背中を向けた部屋の中央に置かれた作業台には、古びた工具箱。
しかし今は、その中の工具共々ぴかぴかに磨き上げられ、この部屋で一番の輝きを持っている。
青年の唇が、僅かに動いた。
眠りながら囁く、聞き取りにくい声。
「…ジェ…リ…ク…。」
夢の中で彼女は微笑んでいるのか。それともいつかのように堪えた涙で瞳を一杯にして彼を見ているのか。
彼自身もきっと目が覚めると同時にこの夢を忘れる。
けれど、夢の名残は胸の奥に残って、彼の彼女を見る眼を変えさせる。
会いたいような。
会いたくないような。
そんな気分に彼をさせるだろう。
それは、彼にとってアンジェリークがもうすでに、1人の女性としてだけではなく、彼より先を進む抗いがたい魅力を持った人間となったからこそ。
自分ではまだ認めきれていないこの力を使ってでも、彼女の望みを叶えてやりたいと思うようになった相手であるからこそ。
けれどもう彼は、アンジェリークの本心を知っている。
彼女はあのとき頷いたけれど。
しかし、あれはきっと…違う。
この聖地から彼女を解き放ってやりたい気持ちと、このまま自分のすぐ傍に居て欲しいと思う気持ちがないまぜになる。
彼女が女王になれば、前者は叶わず。
彼女が女王にならなければ、後者は叶わない。
後1つだけ…手はあるが。前例はなく、今は彼の思いもよらない手段。
そして彼女自身の気持ちさえも、霧の向こう。
夢は人の記憶をろ過して脳の隅へまとめる。
多分彼は目覚めたとき、思い悩んだ全てを、僅かながらも整理していることだろう。
次に彼女に会ったとき、彼はどうするのか。
それは、彼にも分からない。
〜 アンジェリーク 〜
部屋の壁には、白いワンピースが皺1つつかないように、大事にかけてある。その隣にはいつもの制服。
中央のテーブルの上には、先日の花束が生けてあった。
淡いピンクの花束は香りもそれほどきつくなく、薄く開かれた部屋の窓から流れ込んでくる風にただ、そよぐ。
アンジェリークは袖と裾の少し余る黄色いパジャマに身を包んで、机の前に座っていた。
俯いた横顔にかかる髪は試験を始めた頃よりだいぶ伸びてきたからだろうか、まだ乾ききらずに少し濡れたまま。重くなってまっすぐ肩に落ちている。
そしていつもの様に、オレンジ色をした日記帳へ今日の出来事を綴りながら…彼女の心は波のように揺れている。
白い細い指先が綴る文字は時折震え、留まる。
そしてペンを持ったその手は考え込むように顎先に寄せられ、その蒼緑の瞳が目の前の壁を抜けてどこか遠くを見た。
頭の隅に浮かぶのは、さまざまなこと。
ヴィクトールの辛く切なげな琥珀の瞳。
彼の語った言葉。
自分のふがいなさ。
今日、王立図書館に足を運んだ。暗く煤けた旧館から新館へ抜けて、そこで探した過去の彼。
「5年前の冬」
と、彼はそう言っていた。
山積みにしたディスクを、周囲の人間に奇妙な顔をされながらも一心に調べた。ヴィクトールという名で検索をかけて1枚ずつ。
その日まで、彼の名が紙面に出る事など一切無かった。
けれど[その日]から。
「悲劇の英雄ヴィクトール」「惑星ブエナ 大規模火災にて壊滅」「民間人死者35名」「軍関係者 ほぼ還らず」
トップに彼の写真が載っていた。
報道記者に囲まれてフラッシュをたかれているその姿は、今よりもずっとやつれていて、今よりもずっと若い。
その身体のあちらこちらにZCパックで固められた場所がある。きっと、骨折しているに違いない。
右の目には斜めにかけられた包帯。事件直後に撮られた写真なのか、その包帯には血が滲んでいて。
そして、その左の目は、虚ろで。
「〜〜…っ!」
ヴィジコンの前に座ったまま、涙が出てきた。
あなたを支えてあげたい。
あなたを包んであげたい。
あの晩、想い出を語りながらあなたの目に涙などなかったけれど、でも。
こんな、ちっぽけな私に言葉を漏らしてしまうほどに、傷ついている。
知らなかった、ずっと。
あなたはいつも笑っていて、いつも私を励ましてくれていたから。
彼女はペンを置いて、自分の手の平をまじまじと見詰めた。
小さくて、頼りない。
もっと、強くなりたいと思った。
過去を抱えてなお、涙を見せずに居られる彼の傍にいられるように。
たとえその想いが、女王候補としての立場と矛盾していても。
〜 ヴィクトール 〜
外界への移動許可証に判をもらって帰ってこられたのは、予想どおり夜半過ぎた頃だった。
女王陛下は幸いまだ就寝前だったけれど、持って行った報告書は、彼女にとってもショックな出来事であったようだ。
5年前と同じ手口。
絵に描いた同じラインを薄い紙の上からなぞるように、全てが。
急ぎで守護聖のうちの幾人かが呼ばれ、資料についての検討が行われた。
といっても、今すぐ彼らが出られる情況ではない。実際にはまだ何も起きていないのだから。
それに、たとえ誰かが来てもこの聖地でのんびりと過ごしている彼らが役に立つものかどうか、などと思ってしまうのはまずい事だろうか。
明日、外界に出て早急に第1手を打ってくるようにと、言われた。
時間が足りなければ明後日も。…その次の日も。
試験は? と聞いたら。
今の所精神の学習は二人とも十分だから。とエルンストが答えた。
他の教官との学習でしばらくは補えるらしい。少し安心する。
兎も角、どのみちこのままでは、あの時と同じ事が起きる。
…誰だ。
…誰が、こんな事をする。
彼は、許可証を書斎の机の上に投げ捨てるように置いて、そして拳をじわりと握り締めた。
「レイモンド・リー…。あなたはまさか…生きているのか。」
その考えに、背筋が凍るのを感じた。だが、頭を振ってその考えを追い払う。
── そんな筈は無い。
この自分達の手で、追い詰めて…追い詰めて。…目の前で彼は飛び降りた。
死体は死体袋に入れられて、検死官のもとへ送られ、第1級犯としてのファイルが作成され、その事件の真相と共に葬られた。
生き残った5人。
ミーシャ トレント レヴン マニーシャ ヴィクトール。
たったこれだけだ。あの惑星にいて助かった軍関係者は。
彼は溜息を付いて椅子に腰掛けた。
机の上に置かれたライトだけをつける。
淡いオレンジ色の光が室内を満たす。
その光の柔らかさが、彼にある少女の姿を思い起こさせる。
アンジェリーク。
不思議な少女だと思う。ただ傍に居て微笑んでいるだけなのに、心が落ち着く気がする。
その明るい蒼緑の瞳も、柔らかな栗色の髪も、声も。
不幸など知らないその姿は、彼にとっては理想。
今夜、話してしまった想い出は彼女にどう受けとめられただろうか。
現実味の無い、おかしな話だと思われただろうか。
── 莫迦なことをした。
ヴィクトールは明かりを消して気だるく立ち上がった。
明日は外界に出なければならない。…3ヶ月ぶりという所だろうか。
彼は重い身体を引きずって、シャワーを浴びに戻って行った。
- continue -
暗ッ…。
しかし、ヴィクトール様は26・7歳で
相当凄い地位に居た事になるんですよ。
時間差で。どうしても。
…若すぎるヨネ…。
蒼太
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