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29.シュガーポット

  

 その日、育成から戻って部屋で一時寛いでいたアンジェリークの元に、一通のカードが届いた。
 レースを模した白いカードの上には、それが女王からのものである印にふんわりとした羽が一本添えられていて、アンジェリークは小首をかしげながらほっそりとした指先でカードの封を切った。

『     〜 招待状 〜

   明日午後3時より
   地の守護聖ルヴァの私邸にて
   お茶会を催します。
   どうぞ楽しんできて頂戴ね。      
                     』

 少し丸みのあるその文字は…女王の直筆。アンジェリークは、丸い目を更に丸くしてもう一度カードを読みなおした。
── お茶会?
 そして、カードと共に届いた大きな白い箱を手に取る。
 箱にはオーガンジーのリボンが掛けられていた。
 手にとってまじまじと見てから、アンジェリークはそれをテーブルの上に置いて、恐る恐る開いた。
 その中にはいっていたのは。
「わぁ…。」
 アンジェリークはその蒼緑の瞳を輝かせた。
 手に取ったそれは、七分袖の白いワンピース。
 そして、それに合わせたローヒール。細いベルトで足首を固定するようになっている。
「かわいい…。」
 アンジェリークは身体に合わせて鏡の前に立ってみる。
 ワンピースの胸元は凝った透かし模様になっていて、他はいたってシンプルに纏めてあった。裾は丁度膝のすぐ上のあたり。ウエストが綺麗に絞ってあって、すんなりとしたライン。
「これを…明日着て良いってことなのかな…」
 アンジェリークが一人呟いたその時、玄関のチャイムが鳴った。
「アンジェリーク、いる〜?」
 扉の向こうから聞こえたのはレイチェルの声。アンジェリークは急いでワンピースを椅子に掛け、彼女を出迎えようと扉を開けた。
 と、そこに立つレイチェルの姿に、アンジェリークが思わず目を丸くした。彼女がいつもの研究院の制服姿ではなかったからだ。アンジェリークの驚き顔にレイチェルは満足げに、そしてそのまま玄関先でちょっと照れくさそうにポーズを決め、髪を掻き上げる。
「えへへ。カワイイでしょ?」
「うん、とっても似合う、レイチェル。」
 その薄青いワンピースは本当に彼女によく似合っていた。アンジェリークのものよりもかなり袖丈と裾丈が短く、胸元の透かしも大胆で鎖骨がハッキリと見て取れる、彼女らしいデザイン。
「そう? そんなに似合う?」
レイチェルはまんざらでもなさそうに笑い、そして部屋に通されながら言った。「ね、アナタのところにももう届いた? お茶会への招待状。」
 アンジェリークは頷くが、レイチェルはそれより先に中央のテーブルの上に置かれた白い箱に気付いた。
「アナタのはどんな服?」
 興味津々といった表情で、その椅子の背にある白い服を眺める。アンジェリークは微笑んでそれを手に取ると彼女に手渡す。
「わぁ…これもいいネ!ね、ちょっと着てみてよ。」
「今?」
 アンジェリークが聞き返す。
「今。」
 レイチェルが頷き、そして…数分後。
 アンジェリークは真新しいその服に袖を通し、新しい靴をはいてそこに立っていた。
「似合う、アンジェリーク!」
ベッドの上に座って待っていたレイチェルは、目の前に立ったアンジェリークの様子に一瞬目を見張って、そして手を叩いて喜んだ。「いいじゃん! すっごくカワイイよ!」
「…ほんと?」
 アンジェリークは恥かしげに微笑む。
「ホントホント! 見てみなよ。」
 レイチェルは立ちあがってアンジェリークの肩を抱き、自分と一緒にアンジェリークを鏡に映す。
 鏡の中には蒼と白のワンピースをまるでおそろいのように着た二人が映っていた。
「ん〜、でもワタシの方がちょっと勝ってるね!」
 と、鏡の中の自分に微笑むレイチェル。
「レイチェルったら。」
 アンジェリークはくすくす笑う。
「あ〜明日、楽しみだネ!」
レイチェルは言った。そして、アンジェリークの身体を肘で突付く。「ね、アナタも…明日が勝負どころなんだからネ?」
「勝負?」
 アンジェリークが首を傾げる。
「ヴィクトールさ・ま。」
 指先を一本立てて言われた言葉に、アンジェリークの頬があっという間に染まる。
「せっかくこんなに素敵な服を用意してもらったんだから、絶対にアピールしなきゃダメ! 分かった?」
「アピールって…でも…。」
「見てて。」
 レイチェルはそう言ってアンジェリークの前で屈み込み、そして彼女を顔だけ上げて見上げた。
 アンジェリークは、慌てて言った。
「レイチェル…っ、む、胸が見えちゃうよ…っ?」
 そう、確かにそうすると、胸というか…胸の上部がちらりと見える。
 するとレイチェルは頷いて立ち上がり、小悪魔のような笑いを漏らした。
「ん・ふ♪ どう? 名付けて『悩殺大作戦ー』!!」
 そしてアンジェリークの肩にぽんと両手を置いて、鏡に向かって彼女をしゃがみ込ませる。
 すると、アンジェリークのささやかな胸元も、まあそれなりに…。
「の、のうさつ…??」
 アンジェリークは目を白黒させ、鏡ごしにレイチェルを見る。彼女のワンピースの胸元は、彼女の胸の大きさと相まってなかなかセクシーだった。…アンジェリークから見れば。
「いい? ヴィクトール様は大人の男性なんだヨ? ワタシ達よりずーっと年上なんだから、子供じゃないんだって所を見せなきゃ。」
「大人っぽい所…。」
 これでは逆効果なのではなかろうか、とアンジェリークは自分の胸元を見下ろして思ったが…。
「あ〜明日楽しみだネ!」
 レイチェルの笑顔に迷いはなく。
「う、うん…。」
 アンジェリークはやや不安な面持ちで頷いた。


 ルヴァの私邸は図書館の裏にある。
 温かみのある茶の煉瓦で建てられた2階建てのなかなか趣のある館で、とりわけその裏庭は、館の主が男性であることで大輪の花というのは少ないものの、緑の守護聖の手が入っていた為、常に花々の咲くこの聖地の中でも5本の指に入ろうかという出来であった。
 そしてその裏庭には、館からそのまま出られる高さにガーデンテラスが設けられている。
 これは、いつであったか、リュミエールとルヴァが
「こんなのがあったらいいですねぇ…。」
 などと話し合っていたものを、どこからか聞きつけた年少組の手によって作られたものである。
 その分なにやら、床板を踏んで開けると下に貯蔵庫があるというような妙に細かなところや、釘はしっかり打ってあるが木材がずれているというような妙に雑なところや、手摺に木彫りの兎やリスがついているなど妙に可愛らしく作ってある場所があったが、全体としてごく上々の出来であった。
 更に、テラスの端には2・3段、そのまま裏庭に降りられるように階段がつけられている。これは主に館の主人が夜の散歩へ出かける時、役立つ代物であった。…というのも、この裏庭はそのまま森の湖へ繋がる路へ出ることができたからだ。
「あ〜…準備は万全ですかねぇ…。」
 そしてその、今日のホスト役を任されたこの館の主は、午後3時直前のガーデンテラスの上を、うろうろとあっちへいったりこっちへいったり、落ちつかなげな雰囲気で歩き回っていた。
「落ちつくのだ、ルヴァ。」
と、凛とした声が響いて、そんな主を留めた。「そなたがそんな調子でどうする。」
「しかし、ジュリアス…私がこんな大きなお茶会のホスト、というのは初めてでしょう?なにか手落ちがあったらどうしようかと、私は不安で一杯なんですよ〜。」
 ルヴァは眉を下げて言う。
「大丈夫ですよ、ルヴァ様。こんなに素敵に出来たんですから、アンジェリークもレイチェルもきっと気に入ってくれますよ。」
「ランディ…そうですかね?」
 こころもちホッとした様子で、ルヴァは答える。
「そうですよ! お菓子もいーーっぱいあるし!」
 そのマルセルの言葉通り、皆が揃ったお茶会の為の大テーブルの上には、すっかり準備が整っていた。
 その中にはロザリアと女王手作りのお菓子も混じっている…しかし不器用な女王のこと、大半を作ったのはロザリアであろうというのが皆の心の中の意見である。
「あ〜!! もーいーからよ! さっさと二人を呼べよな!」
 と、なんだか酷く不機嫌そうな様子でゼフェルが言った。
「そーそー、アンタはやるだけやったんでしょ、ルヴァ? だったらもう良いじゃないのさ。私はね、アンタの悩める姿より、私が選んだあの服を着た、超!キュートな二人のカッコがは・や・く。見たいのっ!分かった!?」
 と。ウインクをしてみせるのはオリヴィエ。
「俺だったら茶会なんかじゃなく、シックな夜会を催したと思うがな。」
 というオスカーの言葉に
「…それだから女王陛下は貴方にホストを任せなかったのですよ…?」
と、小さく囁かれたリュミエールの声は、果たして誰かの耳に入ったのかどうか。
 その時、テーブルの上に置かれた小さな時計が、軽やかなリズムで三度鳴った。
「…3時に、なったな…。」
 低く、クラヴィスが言った。その長い睫毛を明るい日差しに伏せながら。
 その声に、ルヴァが降り返り、そして言った。
「あ〜ホントですねぇ。…ええと…。ホントのホントに準備万端ですよね? 大丈夫ですよね?」
「だ・か・ら。グダグダ言ってねーで、さっさと行って来いっつーの!」
 直もうろうろとするルヴァに、ゼフェルは蹴りを入れそうな勢いで怒鳴る。だが、ルヴァは全く急ぐ気配を見せず、
「あ〜もう、せっかちですねぇ、ゼフェルは…。…しかし、え〜時間になりましたので、私は女王候補たちを呼びに行って来ますからね〜。皆さん後ほんのちょっぴりの間だけ待っていてくださいね〜。」
 などと言いながら、やっぱり少しおっとりとガーデンテラスから館の中に消えて行った。
 そして、その後ろでは。
「やれやれ…初めからなんだか躓きぎみだね…。」
のろのろと歩み去ったルヴァの背中を呆れたように見送って、ほっと溜息をつく青年が一人。セイランである。「やっぱり来なけりゃ良かった。…なんて事にならきゃいいけど。」
「そんなことはないですよ。僕はもう、凄く楽しいです。」
と、その隣で答えるのはティムカ。彼はその言葉通り、いつもより僅かに紅潮したような顔をして、黒い瞳を輝かせている。
「それにしても…」
セイランは髪を掻き上げる。「ヴィクトールは遅いね…。」
「何か、軍のほうから緊急の用事が入ったと仰っていましたが…。もう来てもおかしくないですよね。」
『仕事を片付けてから行くから、もし間に合わなくても、悪いが先に始めていてくれと伝えておいてくれないか?』
 そう言付けを頼まれたのは午前も早い時間だった。ヴィクトールの言葉はそのままホストであるルヴァに伝えられ、こうして3時をすぎたものだが…。
「まったく…無粋なことだね。」
 セイランがほぅ、と溜息をつき。
 その隣で、丁度目の前に置かれたお菓子の山に目を奪われているメルに、目をやった。
「メル、メルねぇ、これとこれが食べたい…ああ〜早く始らないかなぁ!」 
「メル、もう少し落ちついて…って言ってる間に手を出そうとしないでください! 茶会はこれからなんですよ!?」
 と、まるで保護者のようにその手を捕まえるのは、研究院の激務の合間をぬってやってきた、エルンスト。
「こっちも相変わらずだし…。」
 呆れたように言うセイランに、ティムカがくすくすと笑う。
 そこに。
「はい、皆さん〜。お待たせしちゃいましたねぇ〜。さあ、本日のメインゲストである女王候補のお二人がいらっしゃいましたよ〜。」
 ルヴァの間延びしたような声がして、その場にいた全員が振り返り、そして…。
 皆の視線はそのままルヴァの後ろに立つ二人の女王候補の姿に釘づけになった。
 明るい日差しに眩しいほどの白いワンピースを着たアンジェリークは、俯いてはにかみ、その栗色の髪は陽光にさらりと輝く。
 レイチェルのワンピースは抜けるような今日の青空の色を写して、その満面に憎めない笑顔を湛えている。
 それぞれいつもの制服ではない、たったそれだけでこの二人の魅力はその場の全員の視線を奪うに充分だった。そして。
「わぁ…、アンジェリーク、レイチェル! とーってもカワイイよ!」
 というメルの素直な感想を皮切りに、
「ん! さっすが私が見立てただけあって間違いなかったね☆ 二人ともとっても良く似合ってる!」
「…驚いたな…お嬢ちゃん達がこんなに素敵な姿を見せてくれるなんて、俺の予想をはるかに裏切ってくれたぜ。」
 などと、口々に彼女達を褒めちぎり始めた。そんな彼らにレイチェルは
「アリガトウございます!!」
 と素直に喜び、アンジェリークは更に頬を染め、レイチェルの影に隠れそうなほどになってしまう。 
 だがそんな中、アンジェリークはヴィクトールを探して、一瞬目をテラス全体に走らせた。
 しかし勿論ヴィクトールの姿はそこには無い。 アンジェリークは困惑の瞳をレイチェルに向けたが、レイチェルにもそのわけが分かろうはずが無い。
「まあまあ〜、兎に角席に着かなければ始まりませんよ〜。ええ〜じゃあアンジェリークはジュリアスの隣に、レイチェルはクラヴィスの隣に…ささ、どうぞどうぞ〜。今日は試験とは関係のない日ですから、寛いでくださいね〜。」
 二人の女王候補のために、ルヴァがいそいそと椅子を引き、アンジェリークはそれ以上辺りをきょろきょろと見まわすわけにはいかなくなった。
 そしてお茶会は始まる。メイン・ティーは勿論リュミエールの育てたハーブを使ったティ。だが他にもコーヒーや清涼飲料水など、個々の好みに合わせてさまざまなものが適当におかれていた。
 大人数の茶会であるだけあって、初めの会話はそれぞれ近隣でのみ交わされる。
 アンジェリークはジュリアスとオスカーと一緒に。
「アンジェリーク、そなたはそのような食物を好むのか。…なるほどな。私も食してみるか…。」
「ジュリアス様、俺がお取りしましょう。」
「うむ。頼もう。」
「……む、これは初めての食感であるな…。なんというものなのだ?」
「ジュリアス様、それは『グミ』というものらしいです。メルからの差し入れです。」
「メル…そうか…。…今の外界にはこんな食物が…。」
「さあお嬢ちゃん、お嬢ちゃんも欲しいものがあったらこのオスカーになんなりと申しつけてくれ。」
「え、そ、そんな…。」
「なんだったらお嬢ちゃん…この俺が食べさせてやってもいいんだが…なんて、な。」
 レイチェルはクラヴィスとリュミエールと一緒に。
「えっと〜。クラヴィス様は紅茶がお好きなんですヨネ!?」
「………。」
「あっ、珈琲でした? あっちゃー…?」
「…………。」
「ふふふ、…レイチェル? クラヴィス様はアイリッシュカフェがお好みですよ。…でも、こうしてハーブティも飲んでくださいますけれど…。」
「…そ、そっか…。」
「どうしました? いつもの元気がありませんね。…大丈夫、緊張しないでくださいね。私達がついていますよ。」
 二人の女王候補は、思わず心の中で叫んだ。
── これじゃいつも以上に緊張しちゃう〜〜!
 一方カチンコチンになっている女王候補グループのとなりでは、年少組とルヴァとオリヴィエが喧々囂々の最中。
「これ、女王陛下とロザリアさまが作ってくださったんだよ。」
 マルセルが言って、クッキーの皿を皆に見せる。
「え〜そうですか。…どれどれ…。」
 ルヴァが手を出し、クッキーをつまむ。
「あ〜。こっちがどうやらロザリアの作ったほうですね、ええ。…で、こっちが女王陛下…。」
「なんで分かるんですか!? 凄いなぁ、ルヴァ様。」
 ランディの言葉に黙って微笑むルヴァ。しかしその隣でオリヴィエが
「焦げてるからでしょ。陛下の作ったのは。」
 と、言い切った。つまんだ指先には、裏のこげたクッキーが一枚。
「アイツ、前っからこういうの苦手だよなぁ…。」
 ゼフェルが文句を言いながら、甘いクッキーを水で流し込む。
「酷い事言うなよ、ゼフェル! 焦げててもいいじゃないか、気持ちがこもってるんだから。」
「お! 言ったなランディ。じゃあこれ全部食えよな! ぜってーだぞ!」
「う、そ…それは…。」
 そのまた隣でティーカップに口をつけているのはセイラン。日に透かし上げるようにカップを覗く。
「なかなかいい茶器をつかっているね…。そう…多分これは400年は昔の…。」
「でもセイランさん。ここでは時間の流れが違いますから、ほんの新しいものかもしれませんよ。」
 とティムカ。
「エルンストさん! エルンストさんは何がいい? メルが取ってあげるよ!」
「私の事はいいですから…。あなたこそ、その手許にあるコップをひっくり返さないように……って、言っている傍から!」
「うわーん! 零しちゃったよう!」
 甘いジュースに足を濡らされ、メルは半泣きだ。エルンストの差し出したハンカチにも気付かない。
「メルさん、僕と一緒に洗いに行きましょう。…大丈夫ですから、ね?」
 と、すかさずティムカが彼に申し出る。
 と。その時だった。
「おっまたせ〜! お待ちかねのお届けもんやで〜!?」
明るい声がして、一同はその声がした森の方へと目をやった。そこに、異国風のいでたちをした若い男が立っている。
 そして、その隣には堂々とした体躯の男。
「ヴィクトール。それに…チャーリーじゃないか。」
 テラスの一番端にいたセイランが驚いたような顔をして声をかけた。
 というのも、その手には大きな花束がそれぞれ抱えられていたからだ。
「なんだい、それは?」
 セイランは、商人は兎も角ヴィクトールにはおよそ似つかわしくないその花束に、目を丸くする。
 そんな彼やその他の面々の視線に、ヴィクトールは面映いような顔をして花束をチャーリーに預けた。
 それを受けてチャーリーは軽やかな足取りでテラスの階段を一足飛びに駆け上がる。
「チャーリーさんだ〜!」
 ジュースのかかったのも忘れて、メルは破顔する。彼はよく自分にタダでキャンディやらチョコやら呉れるこの商人が大好きだった。
「おや、メルちゃんもかいな。」
 商人はいつのまにかその人懐こさをもって、ここにいるほぼ全員と顔見知りになっていた。「…んー、こうして見ると錚々たる顔ぶれ…。」
と、チャーリーは大きな花束を抱えたまま頭を巡らせ、テラスの面々を眺めていた。しかし、その言葉の割にはまったく物怖じした様子はない。
 その後ろから、ヴィクトールがゆっくりとテラスに上がり、そして視線を全体に走らせて、
「申し訳無い、遅くなりまし…。」
 言いかけた言葉はそのまま喉の奥に詰まった。
「うむ、よい。早く席に着くのだな。」
「さあどうぞ、貴方の席はこちらですよ〜、ヴィクトール。」
 ジュリアスの声も、ルヴァの声も。
 一瞬、彼の耳には届かなかった。
 それほどに、目が合った瞬間のアンジェリークから彼に向けられた微笑は…鮮やかだった。
 そして、初めて見た彼女の私服姿も、ヴィクトールの目を奪うに充分だったのだ。
「遅かったのはあの花束のせいかい? 君も心憎いことをするね。」
 セイランの少し鋭い声。それでヴィクトールはやっと我に返る。そして軽く首を振った。
「い、いや…あれは…。」
ヴィクトールはルヴァの隣に座りながら、セイランに言う「今来るときに途中で会ったんだが…持ちきれないからと…。」
 そんなヴィクトールのすぐ隣で
「おっ! おったおった!」
 呆気に取られる皆の間をすり抜けて、一番奥手にいた二人の女王候補のもとに颯爽と歩み寄る。
「女王陛下とロザリア様より、ただいま到着や! ウチで最高の品、揃えさせてもらいましたわ!」
 二人の腕の中に抱えきれないほどの、大きな花束。
 レイチェルには鮮やかな黄色をメインとしたもの、そしてアンジェリークには淡いピンクをメインとしたもの…。
 女王候補達は目を丸くして、そして次には、顔を見合わせて大きく微笑んだ。
「とってもカワイイッ!」
「…すごく素敵…。」
 花に顔を埋めるようにその香りを楽しむ。
── でも…。
 送り主を知ったアンジェリークが、少しだけがっかりした事に気付いたのは多分、レイチェルだけ。
 そしてそんな二人の嬉しそうな顔に、思わずその場の人々の顔も和んだ。
「それって辺境の惑星でしか咲かない花だよ、二つとも。」
 マルセルの溜息に似た声がする。
「そうなのか、チャーリー?」
 オスカーが顔を上げて尋ねる。その顔には(それなら今度は俺がお嬢ちゃんに…)と書いてあった。
 アンジェリークは花をためすがえす眺めた後、チャーリーに向かって微笑んだ。
「届けてくださって有難うございます、商人さん。」
「チャーリーってナマエだったんだね! 教えてくれないんだもん!」
 と、レイチェル。
「教えるもなにも、あんたさんらは聞いてこぉへんかったやないの〜。」
チャーリーは眉尻を下げてアンジェリーク達に言った。そして「しっかし…。おっきなお茶会やなぁ。それに、お二人ともえろぅカワええ格好して…おめかしやな!」
 言われて二人はくすくす笑う。商人の軽い口調はいつだって二人を楽しませてくれるのだ。
 と、その時その会話を隣で聞いていたジュリアスがチャーリーに声をかけた。
「チャーリーとやら。届けてくれた礼に、これから少しここで休んではいかぬか? リュミエールのハープがこれから始るのだが。」
「ええっ!? ホンマに!? 俺がいきなり入ってもぉてええんですか? え〜、も〜そんな〜。」
と、チャーリーは喜色を浮かべたが…「でも…俺、店を空けて来とるんですわ…。残念やけど…。」
 眉をハの字に落として答える。
「じゃあ今誰が店番してるの?」
 レイチェルが尋ねる。
「そんなん決まっとるやん。そのへん歩いとった格好良さげなおにぃさんに小遣い渡して、品売ってもろうてる。ま〜あの器量じゃあ俺が売る半分も無理やろうけど〜。」
 顎先に指をあてて、ニヤリと笑うチャーリーに、レイチェルは呆れ顔。
「じゃあ、ホンマに済みませんけど、これでお暇しますわ。今後ともウチを贔屓にしてちょーだいな! じゃっ!!」
 そうして、チャーリーは元のように森へ抜けて行った。ヴィクトールにちらっと礼を言ってから。
 そこでルヴァが席を立つ。
「え〜。じゃあ皆さんそんなわけですので〜。今度はリュミエールのハープをお聞きくださいね〜。さあどうぞ、お飲み物など持って、その辺に腰掛けてください〜。」
 彼の指差す方向にはリュミエールの持ち込んだハープがテラスの木陰に置かれており、そしてその周りには軽く腰掛けるためのベンチや、身体を預けることが出来そうな手摺があった。
 ジュリアスやオスカーに誘われて、アンジェリークとレイチェルも立ち上がり、テラスの少し端のほうに座りなおした。
 リュミエールが優雅に立ち上がり、そしてハープの調律を始める。
「メルは…大丈夫でしょうか。ちゃんと…」
「ティムカが…安心…。とりあえず…迷子にならずに戻ってくる…だけは出来る筈…。」
 丁度向こう側…森の方の手摺に凭れ、ヴィクトールがエルンストと会話しているのが、静かになった中でかすかに聞こえてくる。リュミエールの準備を邪魔しないようにというのか、本当に微かな声。だがよく通る。
 やがて演奏が始まった。その細いたおやかな指先からは切ない恋の調べが流れだし、それから穏やかな愛のメロディを奏で始めた。アンジェリーク達はこうして彼の演奏を本格的に聞くのは初めてだった。
 その美しい旋律に誘われて、アンジェリークは僅かに視線を上げる。
 ヴィクトールは先ほどのまま、手摺に凭れている。少し目を伏せているのは、曲に聞き入っているからだろうか。手に持ったカップの中には多分珈琲が注がれているんだろう。
 最後に一緒に居たのは、あの森の湖へ行ったときだから、それほど前の事じゃない。…1週間か、もう少し。
 なのに、こうして会えれば。その姿を見られれば。
 やっぱり嬉しい。
 そして、ヴィクトールが視線を上げたのは、そんな時。
── えっ?
 二人の視線がぶつかり合い、アンジェリークもヴィクトールも目を丸くする。
 だが、それはほんの僅かな時。
 アンジェリークは驚いて視線を落とし。ヴィクトールは故意に視線を逸らした。
 その後は、二人の視線が会う事も無く、やがて演奏は終わった。
 リュミエールがゆっくりと立ち上がり、そして軽く優雅に礼をして、女王候補達の拍手を受けた。
 それからちらりとその視線をクラヴィスに向ける。
「………。」
 クラヴィスが僅かにこくりと頷くのをみて、リュミエールの微笑みが更に深くなり。
 そのまま巡らせた瞳で、居眠りをしている某守護聖と、某占い師を睨みつけたとかつけなかったとか。
「あ〜それではですねぇ。後は皆さんお気楽に…。どうですか? どなたか余興など…。」
 と、ルヴァがハープの隣に進み出て言った。
 リュミエールは微笑んでマルセルを手招く。
「マルセル。どうですか、私のハープと笛の音を合わせてみませんか?」
「ええ! リュミエール様!」
 そして今度は気さくな雰囲気とともに、再びのお茶の時間が始まった。
 と、アンジェリークの脇腹を、肘で突付くものがあった。
 無論、レイチェルである。
「?」
 座ったまま降り返ったアンジェリークに、レイチェルは口をパクパクさせて
(チャンスチャンス!)
と言った。そして視線を、テラスの殆ど反対側にいるヴィクトールに。
 アンジェリークはぷるぷると首をふり、小さな声で囁き返す。
(遠すぎるよ〜、あっちまでいったら変だよ、レイチェル!)
(いいから行くの!)
アンジェリークは無理矢理立ちあがらせられる。
 その時、おり良くヴィクトールがテーブルに近付いて、そこに居たオリヴィエの隣に腰掛けた。
 そして何か会話をしながら2杯目の珈琲を…。
(早く早く!)
 それに気付いたレイチェルに、アンジェリークは背中をぐいぐい押され、困ったような顔をしながらもさりげなーく、さりげなーく、ヴィクトールとオリヴィエの傍まで行こうと…。
 けれど。
 メインゲストのそんな不自然な動きに皆が気付かない筈が無く。
「アンジェリーク、レイチェル。なにが欲しいんだい? 俺が淹れてあげようか?」
 半ばテーブルに近付いた所で、爽やかにランディが二人に声を掛けてきて、二人は驚いて降り返った。
「え、あ、あの…。」
「ダイジョーブです! ランディ様。ワタシたち、自分で…。」
「遠慮なんかするなよ! 紅茶がいいのかな。それとも珈琲? …あ、お菓子?」
「えっと…」
 ますます混乱するアンジェリークを背中にかばうように、レイチェルが押しのける。ヴィクトールのいるほうへ。
「じゃあランディ様、ワタシは紅茶!」
「了解!」
 ランディが二人に背を向ける間に、レイチェルが後ろ手でアンジェリークを追いたてる。
(さっさといくの!)
(でも…)
 おろおろとするアンジェリーク。そのまたすぐ後ろには、ヴィクトールがいるというのに。
(ああ、もう〜! …これ持って!)
と、テーブルの上にあったシュガーポットを彼女の手の中に強く押しつける。その意味を知ってアンジェリークは囁く。
(で、でもレイチェル…ヴィクトール様は甘いものが苦手…)
それでレイチェルはとうとう切れた。
「ぐずぐず、しないノッ!!」
”どんっ!”
「きゃ?」
 軽く、押されただけだった。普段だったらそれだけで終わっていただろう。しかし…押されたアンジェリークは…ゼフェルが床に作った貯蔵庫の蓋へ踵を引っ掛け、バランスを崩した。
「え…ちょっと…?」
 狼狽したようなオリヴィエの声が、聞こえた。
「は?」
 彼と向かい合っていたヴィクトールは、オリヴィエのその表情の訳が分からない。
── ダメ! このまま倒れたら…。
 アンジェリークは、思いきり足を踏ん張った。今まで何度ヴィクトールに迷惑をかけたか知れない。今度こそ、とアンジェリークは身体を捻ってバランスを取って、一歩。
── う〜〜、うっ!!
 アンジェリークは目を閉じ。そして倒れることこそ、無かったものの。
「あっちゃ〜…。」
 レイチェルは思わず額に手をやった。
「レイチェル…見ましたよ。」
 エルンストの呆れたような声が聞こえて。
 アンジェリークは薄らと目を開ける。
 オリヴィエが、目を丸くしてアンジェリークとヴィクトールを見ていた。
 そして、
「…………。」
 呆然とした様子のヴィクトールの頭には、そして肩にも背中にも、真っ白な砂糖が、満遍なく…。勿論その手に持った珈琲の中にも。
 ヴィクトールは自分に一体何が起きたのかと、ゆっくりとカップを置いて振り返った。
 そこには、空っぽになったシュガーポットとヴィクトールの顔を交互に、青い顔をして見詰めるアンジェリークの姿が。
 怒るとか、怒らないとかいうレベルではなく。
 ヴィクトールはその粗忽振りに思わず…感心してしまった。
── お前と言うやつは…まったく…。
 どこまでも目の離せないやつだ。
「ご、ご、ご…ごめんなさいっ!!」
その事態に気付いたリュミエールとマルセルの曲が途切れ、一同が二人に何が起きたのか気付く。「ごめんなさい、ヴィクトール様…私…。」
「いや、いいから。」
 ヴィクトールは軽く手を振って立ちあがろうとする。しかし、アンジェリークは泣き出しそうな顔になってテーブルの上にポットを置き、
「ごめんなさい…。」
 殆ど無意識にヴィクトールの赤銅色の髪にその手を伸ばした。
 彼の肩に、頭に、降り積もった砂糖を払うために。
「おい、アンジェリーク…。」
 その細い指の感触。ヴィクトールは思わず彼女の手を留め様と手を上げ、その細い手首を掴んで顔を上げ。
 彼女の顔が思ったよりもずっと傍にあることに気付いて驚いた。
 少し紅潮した頬。
 蒼緑の大きな瞳を縁取る睫毛の陰さえも見えるほどに、近く。
「ごめんなさ…い…?」
アンジェリークは強く手を握られて、眉を顰める。「痛…っ。」
── ど、どうしてヴィクトール様、そんな顔するの…?
 怒っているのかと一瞬は思うが、どうもそうではないらしい。なぜか呆然とした顔つき。
 それに、アンジェリークが砂糖を払ったせいで乱れた前髪が、軽く額に落ちかかっている。
── なんだか、いつものヴィクトール様じゃない…みたい…。
 どきん、とその胸が高鳴る。
 二人の絡まる視線に。
 傍にいたオリヴィエの瞳が猫のように細められた。
── ちょっとちょっと! イイ雰囲気じゃないっ!?
 アンジェリークの後ろで、レイチェルが心の中でガッツポーズを決める。そのまた向こうでエルンストが額に青筋を立てているのにも気付かない。
 しかし。
「こちらにヴィクトール様はおいででしょうか?」
 館の方からルヴァの侍従の一人が声をかけてきたのは正にその時だった。
「あ…ああ、いるぞ。」
 ヴィクトールは慌てたようにアンジェリークの手を離した。
 そして彼女の視線が彼の背中を追うのも構わずに、前髪をすっと掻き上げて侍従のほうへ歩いていく。その頭と肩から砂糖がほろほろと零れるのも構わずに。
 侍従はそんなヴィクトールの姿にいささか驚いたようだったが、それでも顔には出さず、その手にもった一枚の紙切れを彼に差し出した。
「学芸館から届きました。軍からの言伝てだそうです。」
「?」
ヴィクトールはその場でその二枚に折りたたまれた紙切れを開き、そして目を走らせ…。「…!!」
 端から見てもはっきりと分かるほどに顔色を変えた。
 今の一瞬まで和んでいた琥珀の瞳は鋭く、そしてその口元はぐっと引き締められる。
 公私のけじめをきっちりとつけるのは常の彼の仕業ではあったが、しかしこのときの表情は、明かにそればかりのことではなかった。
 そして彼は振り返って、ジュリアスとクラヴィスに視線を向けた。
「大変申し訳無いのですが、急用が…俺はこれでお暇したいと思います。」
「ぬ…何があったのかは知らぬが、早く行くがよい。」
 茶会の雰囲気とは全く別の鋭さで、ジュリアスが答える。彼に何かが起こったということだけは確かであったから。
「………。」
 クラヴィスも軽く頷いた。
 ヴィクトールはそのまま踵を返し、そしてもう、アンジェリークにもレイチェルにも、他の数名にも目も呉れることなくテラスから出て行く。森を抜けたほうが学芸館へは早い。 
 アンジェリークはその背中を目で追った。なんだか不安な心持ちがした。
「…さて…。なんだか興が冷めてしまったようだけれど…。」
そんな中、セイランが言った。「どうやらウチの教官のおかげのようだから、ここは僕が1つ座興を…面倒ではあるけれど、してあげようか。」
 そして、静まった間に立つ。
「即興でね…恋の詩を。」
 ルヴァが我に返ったように頷く。
「あ…、ああ〜。そうですね、いいですねぇ。…お願いしますよ、セイラン。」
 セイランは顔を上げる。
 そして、どこを見るとも無く、視線をさ迷わせてから。
 森へと目をやった。

 

空を映し 揺れる水面
想うは夢 想うは君
風を受け 揺れる大地
想うは幻 想うは君

 

地平線にかかる月  海に沈む陽
蒼く澄んだ空  群青にけぶる草原

 

星の声に耳を傾け 大地の声に気づけ

 

想うは 永遠の交わり

 

 

 

「…ほぅ…。」
ジュリアスの咽喉から感嘆の吐息が漏れる。「恋にたとえるとは…上手いものだな。今度の宇宙の…ことか。」
「あ。なるほどね〜。」
 レイチェルが頷く。
 そんな二人の隣で、
「……ふっ。」
 とクラヴィスが鼻先で笑った。
「…なにが可笑しい。」
 ジュリアスのムッとした声で、ルヴァが二人の間に割ってはいる。
「いやいや、本当に素晴らしい詩でしたよ。ええ〜。まるで…。」
 そこで、ルヴァは言葉を区切った。…そして微笑む。
 セイランはその視線に皮肉げに笑った。
「恋の歌だって…僕は言ったんだけど、ね…。」
「良いんじゃない。鈍感な人にはわかんなくっても☆」
「おいおい…言い過ぎだぞ、言葉を控えろ。」
 オスカーが軽く諌める。とはいえ、その目は少し遠いところを見ていたようだった。
 そして、アンジェリークは。
 セイランの詩が終わった後で首を巡らせ、ヴィクトールの去った森の方をじっと眺めていた。
 不安は。
 どうしてか大きくなった。
 何があの小さな紙にかかれていたのだろう。
 でも今は、追いかけることなど出来はしない。
「さあさあ、ではお茶会をつづけましょうかねぇ〜。どうですか、今度はどなたかお歌でも歌いませんか?」
 砂糖まみれになった椅子がその場には残され、アンジェリークとレイチェルは年少組に促がされ、また中心へと戻って行った。

 

 

 そして、夕暮れ間近になる頃に。
 ルヴァがさり気なくその場を纏めて、お茶会はお開きになった。
「今日は本当に楽しかったです。有難うございました。」
 そう、初めこそ緊張していたものの、最後にはもう、誰もが歌ったり踊ったり。軽く笑えるような話をしたり。
 それは二人の女王候補が楽しむに十分であった。
「そうですか〜それは良かったですよ〜。では、また今度こんな機会が持てると良いですねぇ…。」
ルヴァは微笑んで、そして大きな花束を抱えて去っていく二人の後姿を見送った。
と、その後ろから、女王候補達に声を掛ける人影。
「あれ〜?」
ルヴァはそれが自分の見間違いかもしれないと、辺りをみまわした。だが、探している姿は見あたらない。「あ〜。片づけを手伝って頂こうと思っていましたが〜。どうやら逃げられちゃったみたいですねぇ…。」
 軽く頬を掻く。
「あ〜…なんで付いて行っちゃったんでしょう。…気になりますねぇ…。」
 眺めていると、その銀の髪の青年は、そのまま女王候補達に追いついて、ニ、三言葉を交わしたようだった。
 そしてアンジェリークの手からその大きな花束を、受け取っている。
「なんでしょうねぇ…気になることは確かめましょうかねぇ…? ゼフェルには戻ってもらわなければなりませんしねぇ…。」
 ルヴァはいそいそと…彼にしては珍しく、その後ろに付いて行こうとした。
 何故だかターバンを半分ほどき、そしてそれで顔を隠して…。
「ルヴァ。」
「え?」
 呼びとめられてルヴァは振りかえる。そこには光の守護聖。
「覗き見をするのもいい加減にしろ。またあの妙な格好をするつもりか。」
「ええ?」
「………。」
 ジュリアスが黙ってターバンを顔に巻いたルヴァを見詰める。
「あ〜、あ、あぁ…。そうですねぇ…。」
ルヴァは、ターバンの奥から少し悲しそうな目をしてみせた。「あの格好は…イマイチだったかも、知れません…。」
── 私は気に入っていたんですがねぇ、あのサングラス…。
「ええ。正体がばれていたとは〜今の今まで気付きませんでしたよ〜。目が合ったと思ったのは間違いじゃぁなかったのですねぇ。」
それは、いつぞやのアンジェリークの部屋の窓からの…「いやいや、こうして変装シーンを見られてしまっては、当然かもしれませんねぇ…ジュリアス、このことは、どうか秘密に…。」
「莫迦者。」
ジュリアスが深く溜息を付いた。「誰が気付いていないというのだ。」
「え?」
 ルヴァは辺りをみまわす。そこには、全守護聖(ゼフェル除く)と、教官、協力者。
「おかげで女王候補に対する注意も、あの時は中途半端で終わってしまったのだからな。」
「あ、なるほどねぇ。それででしたか〜。」
ルヴァはポンと手を打った。微笑んでいたのは、実は笑いを堪えていたのであったか。それも自分のせいで。
「なぁんだ。」
マルセルが言う。「僕、ずっと気になってたんだよ?」
「俺も。」
ランディが頷く。
「でも、あの時は…って。まさかまだお説教する気ですか〜ジュリアス?」
 尋ねられて、ジュリアスが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「もう、よい。…あのものも最近は大変女王候補らしい行動を行うようになってきたからな。」
「そうですか〜。」
ルヴァは頷いて、そしてまたゼフェルの方へ目をやったが。「あれ〜? もうすっかり姿が見えなくなってしまいました〜。」
 そうして、テラスの上の面々に、視線を巡らせる。
「じゃあ、ジュリアス、ランディ、マルセル…後片付けを手伝ってくださいね〜。」
「な、何故私が!?」
「「ええ〜!?」」
「だって、他の方々は、帰っちゃいましたよ。」
 しれっとルヴァが言う。その言葉の通り、もうテラスにはこの4人しか居ない。どういうわけか、オスカーさえも。
「執務官や侍従はどうした、女官は…?」
 ジュリアスは慌てたようなそぶりを見せる。
「あ〜。今日は月末の週末ですから〜。私の館ではみーんな5時で帰ってしまうんですよ〜。」
「一人も、残っていないんですか?」
「ええ、残らないようにって言ってあるんです。私もたまにはターバン無しで過ごしたいですからねぇ。」
「そういう事か…。」
 ふ、とジュリアスが諦めた笑いを漏らした。こめかみに苛立ちとやるせなさを込めて。
「大丈夫、やればできますよ〜。あ、残ったお菓子は皆で分けてしまいましょうね〜。」
 ルヴァはテーブルの上を指差して。
 それから、ランディに向かって言った。
「この女王陛下のクッキーは、もちろんあなたにね、ランディ。」

 

 その後、ルヴァの館の400年前(推定)の食器は。
 どうやら何セットか失われた、とのことである。

 

 
- continue -

 

コメディなんだかシリアスなんだか…。

では、また
蒼太

2001.09.08

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