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24.吹雪

  

あの日は雪が降っていた。
辺境惑星『ブエナ』
水の乏しい、空気の薄いあの星で雪が降るのは、それは見事な景色だった。
晴れ渡った空に。
冷えきった僅かな空気が凍って風に飛ばされて行く。
それを雪というのか?
本当のところは違ったのかもしれない。

 

 彼はここに派遣されてから幾度めかの冬景色の中、人口ドームから気密服を着込んで外に出ていた。
「ヴィクトール!」
 後から声をかけられて、ヴィクトールは振り返った。真空宇宙服と違い、地上用の薄手のこの気密服は、あえてDDVを作動させなくてもお互いの声が聞き取れる程度の作りだった。
 驚きの表情を浮かべた顔は若々しく、彼がまだ二十代だと言う事を示している。
 声をかけたのは、ヴィクトールと同じ年頃の黒髪に緑の瞳を持った若い男だった。
「なんだ? お前も来たのか?」
「なんだはないだろ? 一人で行くと言うから驚いてしまったぞ。」
彼はヴィクトールに追いつくと、そう言って不敵に笑い、彼より幾分背の高いヴィクトールの肩を叩いた。「夜勤明けにはちょうどいい任務さ…頭がハイになっているし…こんな天気にはな。」
 ヴィクトールはそんな彼に向かって苦笑する。
「夜勤の次は休養を充分に取るように、と、俺はそう指示を出してあるはずだが?」
「こんな時だけ上司風をふかすのか? なんて奴だ。」
 そう言って、頭をこずくふりをする。もちろんそんなことは出来ないが。
 二人が今着ている気密服は、確かにいくらかの衝撃には耐えられるように作られていたが、それでもあえて附加をかけるようなことはしたくない。
ここは幾ら空気があるとは言え、人が呼吸するには困難な場所だった。
「…ダーシー。これは俺の任務だ、戻ってくれ。」
 笑みを浮かべながらも強い口調で、ヴィクトールは言った。
 今日の任務は主ドームから第2ドームへの電力供給パイプラインの点検。一人でも全く支障はないと判断して自ら出てきたのだ。
 ダーシーと呼ばれた黒髪の男は、皮肉そうに笑った。
「『ドーム外での単独行動は禁ずる。』…これはお前が作った規則だろ? お前が守らなくてどうするんだ。」
 彼も今日のヴィクトールの任務についてはおおよそ分かっていた。第2ドームから、電圧が低くなっているから何とかしてくれと、再三言われていた事は知っている。ヴィクトールが手に持った工具の種類を見れば、ダーシーにももうどんな種類のエラーなのか見当はつく。
 ヴィクトールは困った顔をした。
 彼の上司…惑星ブエナ所属第一部隊指揮官:レイモンド・リー将軍は、彼らの直属の上司であり、彼らを手ずから育てた良き第2の父親でもあった。
 自分たちが軍での中堅になっていくに連れて、彼も階位が上がって行ったようなもので、彼に対してヴィクトール達が人に誇れることといえば、その人の良さくらいだったが、それでもヴィクトールたちは彼を愛し、尊敬していた。
 そんな人のいい彼が、ヴィクトールにこっそりと言ったのだ。
『急ぎの用事ではなかったから、すっかり忘れていたんだ。…放って置きっぱなしになっているなんて外聞が悪くてなぁ…済まんが、お前ちょっと行ってみてきてくれないか。…確かお前は電気関係も良く知っていたよなぁ…。』
 その済まなそうな顔に、ヴィクトールは苦笑した。
 彼はいつもこんな調子だ。何かを忘れては部下に頼み、それで信頼を失っていくかと思えば、物事は二転三転。彼が意識的にそうしたのではないかと思うような結果を引き出して、チームの結束を更に固めることになるのだ。
 しかし、今回のこれは聞いた限り大して重大な任務でもない。結束がどうのこうのよりも、彼のメンツのためにすばやく事を片付けてやりたかった。
 だから、一人で出てきたのだが…。
「…それに、見ろよこの景色を。」
 尚も付いて来る彼を追い返す上手い言い訳を考えていたヴィクトールの隣で、ダーシーは呟くようにいった。
「ん?」
 顔を上げて、ヴィクトールはダーシーの差す方向を見た。
「綺麗だろ? なあ、ヴィクトール。」
 剥き出しの岩肌には、惑星ブエナ特有の真昼に出る月の明かりが反射している。この月がもう少ししたら二つに増える。そうして夜は、ヴィクトールの知るどんな惑星の夜よりも一層明るくなるのだ。
 空気が薄いことと、自転の周期の早いこの惑星が今年何度目かの冬に入っていることで、遠くの景色もぐっと近くに見える。その岩肌を舐めるように続く亀裂や、その奥へかかる月の影までも。
 それを綺麗だと取るか、不気味だと取るか、もしくは神秘的な光景だと思うのかは別として、ヴィクトールはダーシーの言葉に改めて辺りを見た。
「…雪が、降るかもしれんな。」
 ダーシーはそんな味気のないヴィクトールの答えに軽く笑った。
「お前らしいよ、ヴィクトール。…なあ、雪が降ったらお前、どうする?」
「どうするって?」
 ヴィクトールは首を傾げて歩き続けた。
「ここの雪景色、見たことあるだろう? …俺はね、ヴィクトール。あの風景には怖気が走るよ。」
「おぞけが?」
 怖いものなどない。いつだってそんなことを言っていたこの同僚に、ヴィクトールは困惑の眼差しを投げた。
「攫われる、俺は攫われてしまう、って思うのさ。」
「どこへだ?」
 僅かに興味をそそられて、ヴィクトールは尋ねた。
 ダーシーは肩をすくめる。
「しらんよ。どっか、知らない場所へだ。セオリー通り暗いところかもしれんし、もしかしたら光り溢れる美女が出迎えてくれるかもしれんな。…ただな…。」
彼は一瞬、えもいわれぬ瞳をヴィクトールに向けた。「二度とここへは帰って来られないこと、それだけは確かなのさ…。」
 彼の低く呟くように言われた言葉は、惑星ブエナの大地に吸い込まれて行き、ヴィクトールは思わず軽く身を震わせた。
 彼の恐れが伝わって来たのだろうか、それとも本当に雪が降り始めるのか、身体がぐんと冷えた気がした。
 そんな彼を見て、ダーシーは大きく笑った。
「はっはっはっはっ…! …本気にしたのか? ヴィクトール。」
「作り話なのか?」
 やや呆気に取られて、ヴィクトールは尋ねた。ダーシーはさも面白げに頷いた。
「怪談ってやつだよヴィクトール…どうだった?」
 ヴィクトールは呆れて同僚の顔を見ると、僅かに口端を上げた。
「さあ、どうかな? 俺は雪が降ったら困る、ただそれだけさ。帰りが辛くなるからな。」
 その言いように、ダーシーはまたヴィクトールをこずくふりをする。
「任務、任務。そうだなお前はいつだって任務が大事だからな…。だから早く出世したんだぜ?俺を差し置いてさ。」
「お前は不真面目過ぎるんだ。」
軽くそのこぶしをかわして、ヴィクトールは笑った。「さあ、莫迦な話しはこれくらいにしよう…ついたぞ、ダーシー。もうここまで来たからには手伝ってもらう事にするよ。」
 まんまと彼の計略にはまったことにやっと気付いて、ヴィクトールは工具をダーシーに手渡した。
「了解! ヴィクトール閣下!」
 軍形式の敬礼を、おどけた調子でやって見せるとダーシーは工具箱を開けて、CCV端子専用のコードとパスカウンターを取り出した。
 電圧が低くなるのは、どこかで接触が悪くなっているからに違いない、と二人とも分かっていた。それが一番起こり得るのはこうした、ドームとドームの間を繋ぐパルスを高速ネット上に転換する部分だ。
 パネルを開けると、そこには電圧を示すフラグが幾つか立っている。
 案の定、ここで電圧が落ちているらしく、ランプは数個しか付いていなかった。
 ヴィクトールの見つめる前で、ダーシーは手際良くバスカウンターとチップを繋ぎ、そして端子の先にコードを差した。
 その瞬間だった。
「うわっ!」
 ばしん! と何かが跳ねる音とともに、派手な火花が飛び散った。
「ダーシー! 大丈夫か!?」
「くそっ! …なんで火なんか出るんだ!」
 ダーシーはその場で思いつく限りの悪態を付くと、もうそれ以上触らないようにU字コルクを使ってコードを引きぬいた。
 ヴィクトールはその手元を見る。
 電圧を示すフラグは全部立っていて、すっかり調子は戻ったようだった。
「運が良かったな…。」
ヴィクトールは思わず安堵の溜息を付いた。「もしかしたら、第2ドームの全ての電力を落としてしまっていたかもしれんぞ。」
「……そうかな?」
 ダーシーは、低く呟いた。
 そして、ヴィクトールに向かってその指先を突き出す。
「…少なくとも俺にとっては運の無い出来事だったみたいだぜ…?」
「!!」
 薄手の気密服の指先には、爪の先ほどの穴が、しかし縦に長く開いていた。耳を澄ますとそこからどんどん空気の抜ける音がする。
 しかし、二人とも流石に長年軍に在籍しているだけのものはあった。
「パテをいれよう。ドームに戻るまでは余裕で持つさ。」
 ヴィクトールがそういって、ダーシーは工具箱の中を探った。中には端子接続のためのパテが入っている…筈だった。
「おい…無いぞ。」
 ダーシーは青ざめた顔でヴィクトールを見上げた。
「なんだと? そんな筈は無いぞ。俺は昨日確かに…。」
 電気系統の故障と聞いてパテを入れて来ない筈が無い。しかし、今はそんなことを言っている暇はなかった。
 ヴィクトールは、その琥珀の瞳を鋭く光らせて、ダーシーを見た。
「…帰るぞ。」
 彼の言葉に、ダーシーが頷く。指先の穴を、ぐっと抑えてはいるが、空気の抜けるのはそんなことでは抑えられるものではない。
 二人はコントロールパネルを閉じる間もなく、走り出していた。
 折りしも、空は更に暗転し、いよいよ雪が降り始めていた。
 気密服は薄手で軽いとは言え、15キロは軽くある。二人は無言で走りつづけた。
 しかし、もちろんどんどんと薄くなって行くダーシーを包む空気が、彼の息を上がらせる。
「…はっ…はっ…。…シニヨン山の上でマラソンしてる気分だぜ…。」
 それでも彼の故郷の高山をダシにして、まだ軽口を叩こうとするダーシーを、ヴィクトールは降り返って諌める。
「無駄口を叩くな、ダーシー。…まだ半分も来てない。」
「そうか?俺には惑星半周したように思えたが…。」
 そして彼は、ギリギリまでその状態を続けた後、予備酸素のスイッチを押した。
 とたんに溢れる新鮮な空気に思わず噎せ込む。
 走りつづける二人。
 流石に無言になっていたダーシーは、前を走るヴィクトールに、言った。
「おい、ヴィクトール…目の前が白く見えるのは、俺が気を失いかけているからか…? それとも吹雪いてきたのか?」
「吹雪だ。」
 ヴィクトールは短く答えた。
 そして、立ち止まる。
 ダーシーはそれに気付かずに、ヴィクトールの腕の中に倒れ込んだ。
「………。」
 酸素欠乏の独特の症状。白目をむいた眼球が赤く充血して僅かに浮いているのは、彼の言う高山などよりもよほどここの空気が薄いからだ。
 もう、意識が無くなったのだろう、ぐったりとヴィクトールに寄りかかる彼の背中を開いて自分の気密服と繋ぐと、大して背丈の変わらない彼を背中に負った。
「…死ぬなよ…。」
 辺りは夕闇にまぎれかけていた。
 白く翳む視界の向こうには、まだドームの天井部分さえも見えない。
 後は、時間との勝負だった。
 ダーシーの指先の穴をきつく握ると、ヴィクトールは走り出した。

 

── 綺麗だ。
 倒れたときに仰向けに転がって、ヴィクトールは虚ろな頭でダーシーの言葉を思い出していた。
 惑星ブエナのニ連月が、舞い落ちる雪を照らしている。
 それは美しい光景だった。
 今までそんな風に感じたことなどなかったのに、こうなって始めてそう思った。
 目の前がだんだんと雪に埋もれて白く、そして暗くなってゆく。
 夢に誘われるように。
 そんな風景を眺めながら、これがこの世で一番最後に見る風景ならばそれもいいかもしれない。と、ヴィクトールは薄らと思っていた。
 遠くで、人声が聞こえた。

 

 目を覚ましたとき、ヴィクトールとダーシーは隣り合わせのベットに横たわっていた。
 どうやら最後に気を失ったのは、ドームの扉を開いてからだったのだと聞かされる。
 開けっぱなしにされて、空気が漏れつづけていることに気付いた管理者が怪訝に思ってやってくると、二人がそこに倒れていたという事。
 ヴィクトールもダーシーも死ぬ寸前だったと言われて、ああ、と頷くしかなかった。
「こう言っちゃなんなんだがな、ヴィクトール。」
 その後の精密検査にうんざりした様子のダーシーが、ヴィクトールに話しかけた。
「なんだ?」
 ヴィクトールはベッドの上で降り返る。
 ダーシーは口端を上げた。
「気持ちいいもんだな、凍死…いや、酸欠死…ってやつは。」
「何を言ってるんだ、全く…。」
 呆れて言葉も出ない。
 そんあヴィクトールに、ダーシーはまあまあ、と手を振って制すると、言葉を続けた。
「お前に背負われて行くときに…時々目がふと覚めた。お前の背中はまるで…獅子の背中だったよ、ヴィクトール。…夢のようだった。俺の視界の隅で雪の一片ひとひらがスローで散って…その向こうでは月に照らされた岩肌がすごいスピードで流れて行く…分からないだろうなぁ…俺があのときどんな気持ちだったか。」
「攫われる、と思ったんだろ。」
ヴィクトールはそんなダーシーに向かって皮肉に笑ってやった。「どこか知らない場所へ。明るいのか暗いのか分からんような、場所に。」
 ダーシーは一瞬きょとんとした顔をしたが…次の瞬間には破願した。
「わかってるじゃないか! …お前もこれで任務漬けの朴念仁とはもう言い難くなったな!」
「任務漬けの朴念仁…そうか。お前はそんな風に俺のことを思っていたんだな。」
 わざと拗ねたように言ってやると、ダーシーはますます嬉しげに微笑んだ。
「思ってただけじゃない。ちゃんといつも言ってやってただろう。イメージってのはたいせつだからな、上司様。」
「都合の良いときだけ上司にするな。」
「…上司さ。」
ダーシーは一通り笑い終わると、小さく言った。「お前は俺の誇れる上司だよ、ヴィクトール。いつか…この恩は倍にして返してやるからな。」
 ヴィクトールは彼の本気の眼差しに、少しだけ面食らったが、やがて肩をすくめた。
「そうか…。なら、期待しないで待っている事にするよ。」
「おう、任せてくれよ。…いいな、絶対にいつか、お前の役に立ってやるからな…。」

 

 

あの日は雪が降っていた。
 凍るような寒さの中で、初めてあの雪を美しいと思った。

 

 いつかまた、あの景色を見られるのだろうか。
 一人で見るのか、それとも…
 誰と、見るのだろうか…。


 

 

 
- continue -

 

蒼太ってば甘々なお話に煮詰まってしまいました。
元々、こういう書き出しだったので、あんまり驚かないで欲しいとは思うのですが…。
SF好きです。ワケワカンナイ単語書いてもああ、そうなの?で済みますし(笑)。

 

しかし…天レクでは「白亜宮の惑星」とか「白き極光の惑星」とか。
惑星にはそんな名前が付けられる筈ですのに…こんな色気の無い名前ですみませんねぇ。


 

では、また
蒼太

2001.06.08

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