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22.王様の耳はロバの耳

  




 

…喋りたいわ…。
 女王候補レイチェルは、ここ数日のそわそわ感を抑えつつ、早朝の聖地を歩いていた。
 土の曜日。研究院へ向かう道のりである。あまりに朝早いもので、彼女以外に人影はない。
 言わずと知れた彼女自身の恋。
 余りの会いたさに土の曜日はいつでも、遅くまで寝ていられずにこうして来てしまう。
── …喋りたい。しゃべりたい。…喋っちゃいたいのヨ〜〜〜〜!!
 しかし、彼女が今心の中で叫んでいる事それは、これから会える筈の薄蒼い髪をした男性についてではなかった。
 もう一人の女王候補、アンジェリークの恋、についてである。
 彼女から打ち明け話をされてから…、いや、無理矢理に聞き出してからもう数週間が経った。
 その間精神の教官を見るたびに、彼のうわさを聞くたびに、レイチェルはもう、口を滑らせたくて滑らせたくて仕方なかったのだ。
── アンジェリークはヴィクトール様が好きなのよ〜!!!
 会うたびにそわそわしていたレイチェルを、ヴィクトールが不審の眼差しで見たのは勿論だったが、彼女は普段が普段であったので、さほど変にも思われなかったらしい。
 詰まりは単純にストレスが溜まっていたのだ、レイチェルは。
 あの、レイチェルの目から見ても華奢で可愛らしくて、驚くほど優しくて…そんな彼女が、まさかあんな…ごつくて、気が利かなそうで、無骨な軍人に惚れるとは。
── わかんないモンだよね〜。
 レイチェルは歩きながら首を傾げた。
 どこが良かったのか。レイチェル自身の好みといったら、ヴィクトールとはまるで正反対の研究者タイプ。…詰まりはエルンストであるから、そう思うのも無理はない。
── いつから好きだったのかなぁ。
 まさか、自分がその話をしたのが切っ掛けとは思っていないレイチェルは、彼女の話を聞いてから何度目かの疑問を繰り返した。
 確か初めはあの子、図書館から運ばれてきて…ううん、その前に公園で躓いたって言ってたよね。
 そういえば、つい最近の事。
『今日ヴィクトール様と公園でご一緒したの!』
とアンジェリークが夕食時に嬉しげに話したのを覚えている。『あのね、ヴィクトール様って思ったよりずっと気さくな方だったの。…なんだか笑顔がとっても素敵で。』
 笑顔が素敵。
 その程度の誉め言葉なら守護聖や教官や協力者、誰にでも当てはまるから、レイチェルは気にも止めていなかった。けれど思えばあの辺りからなのかもね、とアンジェリークよりもレイチェルの方が良く分かっているのである。
 とにかく、とレイチェルは顔を上げた。
── 黙っているには重大な内緒話よ…。もちろん誰にも言ったりはしないケドさ!
 レイチェルは辺りを見まわした。
 もう彼女は研究院の前に到着している。なにせ彼女の足は長めに出来ているから。
 研究院は聖地の西の端近くに建てられていて、周りはやや広めの林で囲まれている。この林を南に抜ければ占いの館につくし、林から出て小道を上がって行けば自然と宮殿に向かう。
 レイチェルは辺りに誰もいないことを確認すると、唇に指先を置いた。
 そして2度唇を叩く。
 それから大きく大きく息を吸って…そして──
「王様の耳はロバの耳ーーー!!!!
 王様の耳はロバの耳ーー〜〜〜!!!」
と、叫んだのである。
 声は早朝の林の中に消えて行く。
「ふぅ〜〜〜。」
 すっきり。と、彼女が満足して振り返った、その時だった。
「…何をしているんですか、レイチェル。」
「え、え、エルンスト!!?」
縁なし眼鏡を中指で押し上げながら、そこに立って居るのは間違いなくエルンストその人。レイチェルは慌てて辺りをもう1度見直した。「ど、どうしてここに居るのヨっ!」
 他には本当に誰もいないことを確認してからレイチェルは、いつものようにファイルを小脇に抱えたエルンストに食ってかかった。
「何か疑問がおありのようですが…私は人に不可解と思われるような行動は全くしていませんよ。ただ出勤しようとしていただけです。」
そして、レイチェルを冷ややかな目で見た。「むしろ…妙なのはあなたです、レイチェル。こんな朝早くからこんな場所で何をしているんですか?」
「わ、ワタシ…? ワタシは…。そう、ワタシだって研究院に来たんだヨ! だって今日は土の曜日だもん。ワタシが居たって変じゃないでショ!?」
 エルンストは、あからさまに動揺するレイチェルをじっと見た。
「…そうですね。確かにそれ自体はおかしくもなんともありませんよ。しかし、妙な叫び声を上げる理由にはなりませんね。気でもお狂いになられたのですか?」
「気でも…って、失礼ネ! 相変わらず!」
 ぷうっと頬を膨らませるレイチェルに、エルンストは尚も言う。
「それはどうも。…で、研究院はまだ当分開きませんが…どうするんですか? ここでぼんやり立っているおつもりですか?」
「え…?」
 レイチェルは透紫の瞳を怪訝そうにエルンストに向ける。
「通用口の鍵は私が持っています。もしあなたが無駄な時間を過ごしたくないなら、研究院の中を案内してもよろしいですが。」
「ほ、本気ナノ…?」
 その猫のような瞳が大きく見開かれる。
「ええ。…失礼でなければね。」
 ちらり、とエルンストは微笑んだ…ようにレイチェルの目には見えた。
「じゃ…じゃあ、行こっか…な。」
 外見は冷静に保っていた筈だが、レイチェルの身体の中では心臓が踊り出していた。
── 嘘でしょ! こんな事って起こるものなの!?
 小脇に抱えたファイルの中から鍵束を取りだし、通用口に差しこんで、それからナンバーロック式のボタンを押すエルンストの後姿を見つめながら、レイチェルは驚きに目を見張っていた。
 エルンストに促がされて入ったそこは、いつもの入り口と違って雑多な研究用の廃品が置かれていた。割れたフラスコ、空いた一斗缶、何らかの毛のついたゲージまで。
「きったなーい、何コレ!」
 思わず言ったレイチェルにエルンストは、僅かに彼女を振り返って言った。
「おや、女王試験で忘れてしまったんですか? 研究院は…主星であなたが通っている研究院だって、こんなものだったでしょう?」
「そういえば…。」
 学校はいつでもこんな雰囲気だった。各々が研究にしか興味がなくて、一月に1度の掃除業者が入るまで、毎日こんな状態。しかもすぐにまた汚くなるのだ。
 レイチェルは、先を行くエルンストの背中を見た。
 女王試験で再会して以来、彼が主星での事を話すのはこれが初めてだ。それどころかレイチェルとまともに会話しようと言う姿勢を見せるのも全く初めてだった。
 どうしたのかな? 嬉しさより先に疑問が過るのは、研究者の悪い癖なのか。レイチェルの頭の中はハテナマークでいっぱいだった。
 しかし、通用口を抜けると、そこはもう他の研究者達がいつものように動き回っている、普段の研究院だった。
── なぁんだ。二人っきりじゃなかったのかぁ。
 ちょっとだけ期待していたレイチェルは、溜息をつく。
 そして、虚無の空間への入り口までやってくると、エルンストは自分のブースに書類の束を置いて、レイチェルを振り返った。
「さて…育成物観察の時間まで、研究院の中を見たいと言うことでしたが。…そこの君。」
 エルンストの声に、同じ部屋の研究員の一人が振り返った。若くもなく、年配でもない普通の人間。もっとも頭の中は見かけ以上であろうが。
 呼ばれて寄ってきた彼に、エルンストが言った。
「すみませんが、女王候補を案内してくださいませんか。…興味がおありのようだから。」
「えっ!!」
 声を上げたのは、その研究員とレイチェルと、同時であった。
「私などが女王候補の案内を…?いや、恐れ多いですよ!」
「エルンスト! アナタが案内してくれるんじゃあないノ!?」
 混乱した二人に言い寄られて、エルンストは僅かに眉を顰めた。
 研究員は言った。
「それに私はまだ勤務中ですし…。」
 エルンストは辺りを見まわした。声高に叫んだレイチェルの高く良く通る声のせいで、皆が注目している。
「…つまり、私にどうしろと?」
「アナタが案内してよネ! アナタが誘ったんだから!」
 レイチェルはともすれば尊大とも取れる態度で言いきった。そんな彼女にエルンストは渋ったような顔をする。
「どうしてあなたはそう誤解を招くようないい方をするんですか、全く…。」
そして腕につけた時計を見、ブースの中の面々を見た。それから小さく溜息をつく。「…分かりましたよ。良いでしょう。…君は元の仕事場に戻ってください。騒がせましたね。」
 言われて戻って行く研究員の背中を見送りながらレイチェルは、正直言って驚いていた。
 まさかこんなにあっさりと承知するとは思っていなかったのだ。
「不本意ではありますが…良く考えれば、女王候補であるあなたに、もしこの研究院内で怪我をさせるようなことがあれば、それは私にしか負えない責任ですからね。…行きましょう。とりあえずどこから見たいですか?」
「どこって…ワカンナイよ。虚無の空間しか知らないもん。」
 レイチェルは言った。
「まあ、それはそうですね。それならば取りあえず…宇宙化学関連からいきましょうか。あなたの選択科目でしたしね。」
「知ってたの?」
 レイチェルは思わず言って彼の顔をまじまじと見つめた。
 するとエルンストは、僅かに居心地悪げな視線をし、それからまたすっといつもの顔をした。
「知っていますよ。女王候補のデータは全部頭に入っています。」
「ふーん…。」
 そんなものかな。とレイチェルは思う。彼の脳内コンピュータなら何が入っていても不思議ではない。
「では行きますよ。遅れずについてきてください…私も余り時間がありませんからね。」

 

 レイチェルはそうして、エルンストの後について研究院をあちこちと歩き回る事になった。
「この部屋では惑星独自の化学式を持つ物質を、聖地基準に合わせてデータベース化している所です。あなたも知っているとは思いますが、どこの惑星でも原語が同じと言うわけではありませんからね。」
「知ってるよ。この宇宙だって女王陛下の力が及ぶ前までは、いくつかの原種が居たんでショ? 種族が分かれてるのもそのせいだネ。」
 レイチェルは得意そうに答えた。
「そうです。メルなどがその良い例ですね。」
エルンストはそう言って部屋の奥を指差した。「しかし、化学的に分析すればどの種族も結局の源は同じ…。昔は争う事もあったようですが、無駄な事をしましたね。」
 彼の指差した先には、進化の系譜。
「へえ…上手くできてるんだネ。」
彼女は枝分かれしたその絵を見つめた。「学校にあった奴よりずっとカッコイイよ。」
 そんな彼女の言いように、エルンストは僅かに笑ったが、夢中になっているレイチェルは気付かない。
 初めこそエルンストと並んで歩く事に緊張の様子を見せていた彼女だったが、やがて研究院のもつ技術と知識そのものに惹かれ、時間を忘れ始めていた。…もちろん、説明してくれるのがエルンストであること、それが重要な要因ではあった。
 彼の説明は、たとえば突然『あれは何?何に使うもの?』と聞いたとしても、最短でそして分かり易いものだったからだ。
「あれは?」
 次の部屋に進んで、レイチェルは暗い部屋の中に浮かんだ美しい模型に目を奪われた。
 この部屋には常時人を置く必要が無いのだろう。他と違って、居るのはレイチェルとエルンスト二人だけだった。
「あれは天体観測用の3D・4Dです。リアルタイムで惑星の動きが見られます。こうして惑星軌道をインプットすると…。」
そういって、エルンストは長い指先でパネルを叩いた。「…このようにその惑星が主体となったヴィジョンを見ることが出来るようになっています。そのうえでこうして…」
 もう1度、指先が踊る。
「…こうすると…。…その星の進化が辿れるのです。…時間がどんどんさかのぼって行くのが分かりますか?」
 そう言われるままにじっと眺めていると、星の姿が揺らめくように変わっていく。
 初めは砂ばかりだった。
 これは、どこの惑星なのだろう。エルンストは無作為に選んだようだったが…。
 砂が風に流されて地上に弧を描く。
 そして、雨が降り始め、川が流れる。
 緑が生まれる。
 雲が流れ、傍に立つ二人の頬を風が撫でる。
 砂漠の星がどんどん美しく蘇って行くのを、レイチェルは驚きの眼差しで見つめていた。
「…綺麗だネ。」
 やがて星がすっかり水に覆われて、その星の太陽を映すようになってからやっと、レイチェルは溜息混じりに呟いた。
「ええ。」
エルンストの薄青の瞳を隠すように、レンズに惑星の姿が映る。「惑星と言うものは…生きていますから。」
 レイチェルはそんな彼の声に惹かれるように、彼の横顔を見上げた。
 エルンストはレイチェルの視線に気付かないまま、惑星の動きを見つめている。
── ワタシね、エルンスト…。
 彼の蒼い髪を撫でる風を、自分も感じながら、レイチェルは心の中でつぶやく。
── アナタのこと、スキなんだよ?
 知らないだろうけど、ずっとずっとスキだったんだよ。アナタと初めて会った時から。

 

 レイチェルは天才少女、だった。
 飛び級を重ねて11才で主星の王立研究院に入ることになった時、レイチェルは得意になる反面、少しばかりの不安も抱えていた。
 研究院に居るのは、11歳の彼女にとっては大人ばかりだった。もちろん知識と頭の回転の良さでは負ける気がしなかったが、それでも周りの人達の大きな身体や、自分をどう扱うつもりなのか分からない様子のどことなくよそよそしい態度に、見えない壁を感じていたのだ。
 そんな大人が嫌で、学校に入ってからレイチェルは一人だった。子供の癖に、可愛げガないよとか、生意気な口を利くとか、そんな事ばかり言われていたのだから無理は無い。
 その日も、レイチェルは一人でお昼を食べていた。
 誰も一緒に食べる人がいないなどと知られるのはいやだったから、中庭の隅の、目立たない場所に座っていた。
 そんな自分が惨めで、少し悲しい気持ちになっていたとき。
 がさり、と音がしてレイチェルは顔を上げた。
 そこには、知らない男の人。薄い水色の髪。それから細い鋭い瞳。
 彼はレイチェルに気付かないようすだった。彼と一緒に居た年配の男性も。
 二人は何か談話しているようだったが、そのうち、年配の男性が後も見ずに置いてあったベンチに腰掛けようとして…その上に張り出していた木に頭を引っ掛けた。
 頭を、引っ掛けたのだ。
 レイチェルはそれまで、かつらと言うものを見たことが無かった。だからあまりのことに驚いて息を呑んだ。
 そんなレイチェルと、薄蒼い髪の青年との視線がかち合った。
 瞬間。
 かつらを拾う男性の背中ごしに、青年が少し笑って「しいっ」と言うように指先を唇に当てて見せたのだ。
 年配の男性は相当に慌てている様子だった。今のレイチェルならばその理由もわかるが、とにかく必死で口止めを頼んで居たように思う。
 レイチェルはそれで、このことがとても大変な秘密なのだと知った。
 自分と、蒼い髪の青年だけの秘密なんだと。
 青年は、年配の男性を落ちつかせると、自分もその場所からいなくなってしまった。
 それからというもの。
 レイチェルは「頭が外れる現象」について考えて、考えて、考えて。
 調べて、調べて、調べて。
 やっと納得がいくまでに、結構時間を要した。なにせ、二人だけの秘密だったから。
 しかし、その理由を知った彼女は、今度は誰かに話したくて話したくて話したくて。仕方が無くなってしまったのだ。
 丁度今、アンジェリークの秘密を抱えてしまったように。
 けれど、約束は約束。
 我慢した。三日。一月。半年。
 そして、ついに黙っていられなくなったのだ。
 レイチェルにはその頃になってもまだ、一緒にお昼を食べる人がいなかった。その日は屋上に誰も人影が無くて、絶好のチャンスに思えた。
 彼女は屋上を囲むフェンスに歩み寄った。
 そして、大きく息を吸った。
 それから、叫んだ。
「校長先生は…校長先生は…、校長先生の頭は、………っっズラなのヨ〜〜〜〜!!!!」
 …と。
 あの日見た年配の男性が、校長だと知ったのがまた失敗だったのだ。誰か知らない人間なら、まだ黙っていられたと思うのに。
 しかし、11歳のソプラノは、彼女が思うよりずっと遠くの方まで響いていってしまったらしい。
 彼女は校長室に呼び出された。
 そこには、あのときの蒼い髪の青年も居た。
 タコのように顔を真っ赤にした校長に怒られながら…それは、『誤解を生むような流言を流すのは止めなさい』と言う事だったが…。レイチェルは泣きそうな顔をして、隣に立つ青年の制服の裾を握り締めていた。
 二人してお説教を食らったあと。
 レイチェルは彼の服ノ裾を握ったまま廊下に出た。
 そして、困ったような彼の顔を見上げて、泣きじゃくりながら言ったのだ。
「ごめんね、ごめんネ〜…。ワタシのせいで怒られちゃったネ…。」
 青年は、ますます困ってしまったようだった。
 しばらくレイチェルを泣かせるままにしていたが、やがて彼女の前に膝をついてその顔を覗き込んだ。
「名前は?」
 レイチェルはきょとんとした瞳を上げた。
「レイチェル…。」
「年は?」
「11ダヨ…?」
「そうですか。私はエルンストといいます。年は25です。」
 真面目な顔をして、そう自己紹介をした青年に泣きはらした目を向けて、レイチェルはあらためて彼を見た。眼鏡の奥の瞳は驚くほど透明な翡翠で、虹彩が透けて見える。
「レイチェル、もしあなたがこれから、どうしても人に言いたくて仕方ない秘密を持ってしまったときには、こうしなさい。」
そう言うと、彼は彼女の唇に指先を置いた。そして軽く2度叩く。
「必ず2度、叩くんですよ。…間違えないように。そして言うんです。『王様の耳はロバの耳。』…これも2度繰り返します。」
「おうさまの…みみは、ろばのみみ…?」
 きょとんとしたレイチェルへ僅かに笑みを見せて、エルンストは大きく頷いた。
「これであなたは秘密を漏らせなくなります。唇の神様があなたの秘密を吸い取ってしまいますからね。」
「アナタもそうしたの?」
 レイチェルは尋ねた。
「は?」
 首を傾げるエルンストに、レイチェルはじれったそうに言った。
「アナタは秘密を守ったじゃないの。それっておまじないを知ってたから出来たんだワ。そうでショ?」
「ま、…まあ、そうですね。」
 それがまさか、彼が校長のかつらの事などすっかり忘れていたからだなどとは、レイチェルは思ってもみなかった。
 エルンストは立ちあがった。
「とにかく…、これでもう大丈夫ですね。秘密ももう無いし、校長もすぐに忘れてしまいますよ。…子供の言う事なんてね。」
 秘密はもう無い。子供の言う事。
 レイチェルははっとして彼を見上げた。
「ワタシ…子供?」
「?…少なくとも私の常識から言えば、子供ですね。」
 エルンストの言葉に、彼女は今まで泣いていたのが嘘のように、ぱぁっと笑った。
「やっぱり!? ワタシ、大人じゃなくて子供だよネ?」
「…はあ。」
「ワタシ知ってるの。みんなワタシのこと、どうしていいのか分かってないんだって。ワタシは大人? 子供? みんなそう思ってる。…ワタシも最近、わかんなくなってきちゃってたんだ。」
 エルンストは不可解そうに眼鏡を押しあげた。
 確かに生意気な感じは受けるが、泣いたばかりの顔でそんな聡いような台詞を吐かれても、もう彼のイメージは覆らない。
「秘密、無くなっちゃったね。」
「え?」
 急にケロッとした顔を見せた少女に、エルンストは混乱しているようだった。
「黙ってるの、大変だったけど…楽しかった…カモ。」
レイチェルはそう言って、微笑んだ。「ね、エルンストはどこに居るの?」
「は?」
 訳が分からない、と聞き返すエルンスト。
「何を専攻しているの?」
 年端も行かない少女にいきなり尋ねられて、エルンストは眉を顰めた。
「宇宙生成学ですが…。それを聞いて何を…。」
 レイチェルは最後まで言わせなかった。
「わかった! じゃあワタシ来年頑張ってそこを受けるネ。」
「ちょ…ちょっと、待ちなさい!…来年って…あなたはまだ11でしょう…! レイチェル!!」
 エルンストの声を後に聞きながら、レイチェルは廊下を駆けて行った。
 知識を詰め込まれるだけでつまらなかった学校生活に、楽しみができたような気がして、酷く嬉しかったのを今でも覚えている。

 

 

── 結局はさ…。
 レイチェルはエルンストの横顔を見ながら、小さく微笑んだ。
 あの事件のおかげで、レイチェルは周りの皆から「子供」として認められ、受け入れられる事になったし、宇宙生成学の専攻に至っては…研究院で一番難しい専攻科目だったことと、結局は彼女の興味がそちらに向かなかった事もあって、選ばなかったけれど。
── アナタのこういう横顔、見ていられたのは一年だけだったネ。
 26才になったエルンストが、聖地へ勤務すると知ったとき、レイチェルは泣いた。それは前述した通り。
 でも、今は。
── また見れちゃってるんだな、これが、サ。
 一年で主任と言う立場まで上り詰めた、研究院きっての秀才。宇宙生成学に全てを注いでいるような人。…これがワタシのスキな人。
 たとえ自分の事を覚えてないと言われても、それはそれでもういい。これからの自分を…十六歳になった自分を、覚えてもらえればいい。
 スタイルだって知識だって、もう子供じゃない。年はもう追い付けないけどこれ以上は望めないし。
「…何をぼんやりしているんです。」
思いにふけって彼を見つめていたレイチェルに向かって、エルンストは突然降り返った。「女王候補ともあろうものが、こういった機会を逃してどうするんですか。…なんの秘密を抱えているのか知りませんが…試験中はもっとしっかりしなくてはダメですよ。」
「…………ひみつ?」
 レイチェルは、今度こそ気が抜けるほどに驚いていた。
 エルンストは、あからさまにぎょっとして、それから彼女の視線を避けるようにコントロールパネルに向かった。
「秘密って…ひみつってナニヨ!!? エルンスト! …ねえ、エルンストってば!」
 エルンストは背中を向けたまま、彼女に答える。
「秘密は秘密でしょう。私が知るはずが無いじゃないですか。…まったく、あなたはいつでも訳のわからないことばかり言いますね。」
 そう言うとエルンストはいささか乱暴にパネルボックスを閉じ、次の部屋…虚無の空間に通じる、いつもの部屋に向かって歩き出していた。
「違うってば! そう言う意味じゃないんだって! ねえ、秘密って…。」
「知りません! …早くしなさい! もう時空の扉を開きますよ!」
 追いすがるレイチェルを振り切って、エルンストは行ってしまった。
「…ナニよ!? …なんなのよ、もぉ〜〜〜!! 莫迦エルンスト〜!!」
 残されたレイチェルは、もうどうしていいか分からないくらいの混乱に襲われるばかりで、一人地団駄を踏むのであった。

 

 
- continue -

 

なにやらまた勝手に作る過去。
CDやらなにやら、読んでいるわけでも聞いているわけでもないので、
エルンストとレイチェルの基本設定を蒼太は知りません。
ので、全然ちがうじゃん! と怒らないで…(泣)
でも、聖地と地上の時間は違うはずだから…というのがウチのHPでの
エルレイのテーマですね。
ほんの子供だと思ってた女のコが、大きくなって突然目の前に現れたら…。
どうおもいますか?
そのうちまたこの続きが、巡ってきますので、お楽しみに。
では、また
蒼太

2001.06.04

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