12.うわさ。

 

「君は噂ってものを信じるかい?」
 常緑の木々と、原色のインテリア。エキセントリックな香りのする、温室のようなその場所で、『感性』の教官、セイランは言った。
「うわさ…ですか?」
 明るいオレンジの貫頭衣を身に着け、彼のもとに淹れたばかりの紅茶を運びながら、『品性』の教官、ティムカが困惑したように答えた。
「そう、噂さ。」
 頷くと、セイランは皮のソファに身を沈めた。 その姿は酷く気怠げだ。「僕たちがここへ来て、すでに1ヶ月近く経つね。君はその間にどんな噂を耳にした?」
 聞かれて、ティムカは僅かに眉を顰めた。
 手にした紅茶を彼に渡しながら、自分もソファ前にしいてある大きなクッションの上に座す。
「…そうですね。色々ありましたよ。面白いのから、腹の立つようなものまで。」
「そう、それだよ。」
 セイランは紅茶を受取りながら、体を起こした。「その噂について、どうおもう?」
「…それは噂の種類にも寄りますが…。」
 もともと人の事を影でひそひそとやるタイプの人間ではないので、ティムカは少し困ったような顔をした。
 それを見て、セイランは言葉を足す。
「いや、違うんだよ。噂、そのものについてさ。…あの、噂ってものは、どうしてあんなにも不確かで、脈絡がないのだろう。そして、得てしてその傾向が強ければ強いほど、広がるのが早い。」 
 そのものの言い方に、ティムカはくすりと笑って小首を傾げた。
「なにかあったんですね?」
 聡明な13歳の質問に、セイランは微笑んだ。
「君は鋭いね。…だから好きだよ。」
「有難うございます。」
 ティムカは軽く頭を下げる。
「じゃあ、話してあげよう。…あれは、そう、一月ほど前の事さ。」

 

 あのときはまだ、学芸館は開いていなかったね? 覚えてる?
 僕ははじめ、呼びつけておいて仕事がないから遊んでいろなんて、馬鹿げてるとおもったものさ…。最も、すぐにそれが女王の配慮だった事に気付いたけれど…。 とにかく、僕はあの頃、毎日新しく目にするもの全てに感動して居たんだ。
 で、毎日のように出かけていた。芸術的散策…ってやつだね。
 その日僕は、ふと思いついて宮殿へ向かった。
 あの日以来、足を向けていなかった事に気付いたのさ。大して面白いものもなさそうだったけど、それでも僕の心の琴線に触れるものがないとは限らなかったしね。
 宮殿の前庭…つまり、僕たちが初めて会った場所。…そうそう、君が大層な荷物を持ったまま、ぼんやりと突っ立っていた、丁度あそこで僕は見たのさ。
 女王陛下と、炎の守護聖オスカー様が、いたく仲良くしている所をね。…ま。早い話が抱き合ってたわけだ。
 おいおい、そんな顔をするなよ。話だけでそんなに動揺してどうするんだい?
 …その様子を見ると、君もあの『噂』を知ってるみたいだな。
 兎も角、僕はそんな場面に遭遇した。
 抱き合ってたのなんて一瞬で、大して見たくもないシーンだったけど、目にはいちゃったから仕方ないね。
 ところが、そんな些細な出来事が、僕の興味をすごくそそってくれることになったんだ。
 次の日、僕は公園に行った。時たま現れるっていう、謎の商人に会うためさ。
 はは…、これもまた噂に引きずられたって事になっちゃうのかな。僕とした事が。
 そこで、僕は商人の姿を見つける事は出来なかったけれど、それ以上に面白かったのは、公園に居た人達が囁きあってた、
「女王陛下とオスカー様は、二人で駆け落ちしたらしい。」
 なんて、根も葉もない噂、だったのさ。
 僕は笑ったね。ほんとに久しぶりに大笑いしたよ。だって、その日も僕は女王のサクリアをちゃーんと感じていたから。聖地に居る人間なら当たり前の事だろ?
 どうやら、僕が見た女王陛下とオスカーの、いちゃいちゃシーンは、ドラマティックに脚色されて聖地中を駆け巡ったようだった。
 僕は場所を移して、更にその噂を追うことにした。
 色々あったよ。
「オスカー様の愛馬が居なくなってた」とか、「女王陛下の執務室は、実はもぬけの殻で、ロザリア様があわてふためいている」とか。
 そして、時間が経つうちにそれがまた変化して行ったんだ。
「オスカー様は振られたらしい。一人で歩いている所を見た。」とか、「女王陛下はちゃんといらっしゃる。だが、その左薬指に指輪を見た。なんてね。
 僕は驚いたね。いや、そんな根も葉もない噂で驚いたんじゃないよ。僕は確かめたんだ。女王陛下の薬指をね。
 オスカー様が一人出歩いてるなんて、珍しくもない。でも、女王陛下の薬指に関しては、誰も確認できないだろ? …宮殿の中にいるもの以外にはね。
 ちゃーんと、あったよ。
 君も驚いた?
 僕のセンスから言っても、あれはかなりの価値があると思った。…いや、そんな値をつけなければならない品では、もちろん無いのだけれど…。
 初めの噂は、ウソだと僕は知っている。でも、その噂が消えて行く早さに驚かされたよ。
 後の噂は、どちらとも言えない。どうやってストーリーが紡ぎ出されたのか、僕には見当がつかないし、あの指輪にしても、本当に婚約指輪かどうか、僕には確かめようが無いからね。
 さて、君はこの話を聞いて、噂って言うものを、どう考える?
 僕は、実際この一月、聖地の噂を聞きまくったよ。噂の謎を解くためにね。

 

そういってセイランは、紅茶を一口啜った。
 ティムカは少し考えている様子だ。
 その俯いた横顔を眺めながら、セイランは面白げに笑う。
 この教官には、知識はあっても経験というものが足りない。言わば今の質問は、実例を挙げて、この少年を試すためのようなものだ。
 『品性』を司るからには、噂そのものの性質に付いては、否定の態度を取るだろう。
 だが、個人として、そして王国の主となる身としては、どんな反応を返すだろうか?
「そうですね…。僕の考えは…。」
 ティムカはそう言って話はじめた。

 

 ごく個人的に言うならば、確証の無い事を自分から広める事は、僕には出来ません。
 それが人に対してでも、そのほかの物事に対してのものでも、結果、何を引き起こすかわかりませんし、第一礼儀のない振る舞いだと思いますから。
 けれど、全体としては、こうです。
 噂を知る事以上に、その本質を手早く知る手段はありません。
 もちろん、その噂の真実を、一つ一つ確かめることは、とても大事な事ですが、良い噂にしろ、悪い噂にしろ、それはその噂を流す人の心が反映されているものです。
 あなたがはじめの例として挙げた、
「ウソだと知っていた」
 場合が、これに当たると思います。
 真実を知っているのなら、その真実がどのように変化したかによって、僕は彼らの心理を知る事が出来ますよね。
 多分、聖地の人々は、女王陛下とオスカー様の関係に気付いているのでしょう。…元々、そんなに必死で隠しているわけではない様子ですしね。
 それに対する反応が、「駆け落ちした。」と言う事になった。
 それは、聖地の人々の心の奥のどこかに、二人が突然居なくなるかもしれないという思いがあった事を意味すると思います。
 …良くないかもしれませんね。
 そして、次の、「オスカー様が一人出歩いていた。」
 これは勿論前者の打消しであり、たぶん、真実でしょう。あなたが言ったように、オスカー様が一人出歩く事がそんなに珍しいとも思えませんし。
 ここに二つの心理を読む事が出来ます。
 一つ、「駆け落ちではない。これで安泰だ。」。二つ、「でもまだ安心はできない。オスカー様が居る限りは。」です。
 これが、「一人出歩いていた、振られたらしい」という噂を更に流す事になった要因でしょうね。
 酷い話ですが、オスカー様は聖地の人間の深層心理では、女王を攫って行く大泥棒。そんな存在かもしれませんよ。 
 そして、「陛下が指輪をしていた。」…左薬指に、と言うからには、彼らのなかでも、それは婚約指輪として認識されているのでしょう。 
 これは良い方向に向かっていると思います。…二人の事を認めている。本当の婚約指輪かどうか、誰も知らないのに、そういう噂が流れるのは、彼らを応援している人がいるといって良いでしょうから。 

 

其処まで一気に言うと、ティムカは冷めかけた紅茶を一口飲んだ。オレンジの香りがなごる。

 

 さて。これからは、もっと大きな見方をしましょう。
 噂と言うものは、恐ろしいものだと僕は思います。
 人心を酷く乱します。
 そして、穏やかにすることも出来ます。
 たとえば僕が、これから外に出ていき、「明日の真夜中、オスカー様と女王陛下は、聖地を出る。」という噂を流しましょう。
 だた、今その噂を流せば、百人中百人が、「駆け落ちの続き」だと思うでしょうね。たとえそれが「惑星の視察ですぐ戻ってくる」としても。
 だから僕だったら、何人かの人を使って、その噂を一定の方向へ導いて行きます。
「今回の出立は、秘密裏に式を挙げるためのものらしい。そうすれば、どちらかがサクリアを失っても、聖地に居続けることが出来るらしい…。」
 少し弱いかもしれませんが、そんな類の噂を、2、3個用意して、方々に撒きます。…実際の仕組みについて僕は知りませんが、なんだか信じやすいような気がするでしょう?
 危険な賭けですが、これでオスカー様に対する不信感も消えますよ。その時の噂の撒き具合が良ければ良いほどね。
 そしてまた、聖地の人々が不安をあおられるような事があれば新しい噂を流すのです。
 …こんなことを考えるなんて、軽蔑しましたか?

 

ティムカは、そう締めくくると、彼らしくない気弱げな表情で、感性の教官を見上げた。
 セイランは、ティムカの話の途中から、ずっと呆気に取られたままだった。
「…凄い。…君は…、僕の予想を遥かに上回る答えを出してくれたよ…。」
 こう言うのを、帝王学というのか…いや。違うだろう。帝王学はもっと威圧的なイメージがある。ティムカのこの考えは、一体どこから来ているのか。
「よければ聞かせてくれないか…。君のその頭の中に、どんな基盤があるのか。」
 そう言われて、ティムカは少し困ったような表情を見せ、それから話し始めた。
「…僕の故郷は、白亜宮の惑星と言います。…オアシスに支えられた、小さな星です。いまでこそ緑に溢れ、人口も増えて豊かな星ですが、5代前の王…僕の曾々祖父ですが…のときには、水の守護聖の交代があったと聞かされています。」
「守護聖の交代…か。」
 セイランは、その頃の歴史的背景を、思い出した。
 ティムカは頷いて続ける。
「そのころ、宇宙にはまだ戦争、というものがありました。女王陛下の元に統一された中で、惑星間の争いがあった時代だったのです。」
 今は戦争と言うものは、この世界には存在しない。戦争とはどういうものなのか、セイランたちは文献の中でしか知らなかった。
「水の守護聖の力が衰えて、僕たちの星のオアシスは渇枯し始めました。そこに、臨在する惑星からの侵攻があったと聞いています。」
「常套手段だね。」
 そう言ったセイランに、ティムカは僅かに頷く。
「水の補給線を断たれ、そこで住民達が恐慌に陥らないようにと、王は噂を流しました。新しい水の守護聖が立った。と。」
「でも、本当はウソだった?」
 ティムカは頷く。
「けれどその噂は、敵地にも届きました。もちろん、王の密偵が敵がわに命をかけてもぐり込み、流した噂です。」
漆黒の瞳が、セイランを見上げた。「戦況は一変。その時から僕達には、噂を操るための方法、それが受け継がれる事になったのです。」
「…なるほどね。」
 ふう、と溜息を付き、セイランは額に手をやった。「相手が悪かった…。」
 その言葉に、ティムカが「え?」と小首を傾げる。
「なに…君を試すつもりだったのさ。どうも君って人は、現実を見る力に欠けているような気がしていたしね。…とんだ誤算だった。僕のほうが参ってしまったよ。…ホントに君は一国の王子だたったんだね。」 
 そう言われて、ティムカは口元に手をやり、くすりと笑った。
「なんだ…信用してなかったんですか?」
「信用? 僕が? 誰を? …女王陛下かい?君を選んだ。…僕は誰も信用しないよ。僕自身が認めるまではね。さあ、おめでとう。第一関門クリアだよ。君は僕のおめがねに叶った、ってわけさ。」
 そういって、セイランは空になったカップを、細く長い指で傾けて見せた。「出来ればもう一杯頂けるかな…。今日はもう少し君と語ろうと思うよ。…噂についてね。」
 そして二人はその日、夜がふけるまで語りあったのであった。

 

 

 

 

 
- continue -

 



いつからウチはセイラン×ティムカに??
次回は、ヴィクトールの日常、としてお送りしたいと思っています。
では、また。
蒼太

UP 2001.04.26.

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