日の曜日

 日の曜日になった。
 聖地は相変わらず好天で、アンジェリークはレイチェルと待ち合わせた公園に、一人で向かっていた。
 いつもと変わらぬスモルニィの制服姿だったが、どこか浮き足立ったような雰囲気を纏っている。
 育成と学習ばかりしてきて、本当にしばらくぶりの余暇…守護聖達と過すのとはまた違った期待で、アンジェリークは浮かれていたのだ。
 暖かい風が吹いている。今日は聖地でも研究院を除いてどこもお休みと言う事もあり、人出が多かった。
 アンジェリークは公園に入ると、噴水の前に行って、そこで待っているはずのレイチェルの姿を探して、きょろきょろと辺りを見回した。 
 だが、その目にレイチェルは映らない。
── どうしちゃったのかしら?
 すぐ側で子供達が転げまわるのを横目に、アンジェリークは公園の時計を見上げた。
 時刻はもう約束の10時30分を回っている。
 そして、首を傾げたアンジェリークに、声を掛けた者がいた。
「お嬢はん、なんか見ていかへん?」
 アンジェリークがその声に振り向くと、そこには見なれない異国めいたいでたちをした若い男が立っていた。
 小さな鼻眼鏡。サッシュを肩から掛け、幅の広いベルトで留め上げている。それはどこか海賊を思わせるような、メルやティムカとはまた違った姿だった。  
── ひょっとして、この人…
「人を待っとるんやろ? せやったら、ここで暇つぶしたらええ。ここやったら公園の入り口からでも良ぉ見えるしな。」
 アンジェリークはレイチェルの姿を探すのに夢中で気付かなかったが、そのこじんまりとした露天は、言われて見れば良く目に付く位置に建てられていた。 
「でも…私…。」
 約束していたのは、このお店を見にくる、と言う事だったのに、一人で先に見てしまってもいいのだろうか?
「な、ええやろ? ほんのちょびっとだけでも見てってや。決して損はさせへんで。」
 アンジェリークは途方にくれて辺りを見回した。
 レイチェルがやってくる気配は無い。
「…じゃ、ちょっとだけ…。」
 アンジェリークはそう言って、ゆるく張られたテントの中に足を踏み入れた。光をわずかながらさえぎって、薄暗い店内に、小さな棚がいくつかしつらえてある。
「わぁ…。」
 店内の様子に目が慣れてくると、アンジェリークは思わず感嘆のため息をもらした。
 一つ一つは雑多なもので、一貫性が無いような品揃えではあったが、それらはアンジェリークの目にも明らかに良く出来た品物ばかりだったのだ。 
 その横顔を眺め、商人はにっこりと微笑んだ。
── この瞬間がたまらん。やっぱ、こうやって人と直接触れ合うようでなきゃあ、アカンわ。
 そうして、しばらくゆっくりと品物を見ていられるようにと、1歩下がって、このお客を…アンジェリークをじっくりと観察し始めた。 
 背はあまり高くなく、華奢な体つき。明るい栗色の髪につけられた山吹色のリボンが、澄んだ翠の瞳に映えて、なかなか可愛らしかった。 
── なんや…よぉ見たら、べっぴんさんやんか。
 商人は、ちらりと微笑んだ。
 渋っていた割に、すっかり夢中になっているその横顔が、嬉しげにきらきらとしている。
── この子やったら…そうやなぁ。口紅もなんも、まだいらんやろな。肌は白いし、顔立ちも…あんま派手とは言えんけど、ほんまに、地で十分やわ…。 
 そんな事を考えながら、商人は、
「お嬢はんは、どっから来はったん?」
 と、、思わず尋ねていた。
「えっ?」
 アンジェリークは唐突に声をかけられて、驚いたように振り返る。
「どこで働いてはるん?」
「私ですか…? えっと…。」
 アンジェリークが、どう答えていいものか、考えていると、そこに。
「ごっめーん!! おそくなっちゃった〜! アンジェ、待った?」
 勢い良く見せに飛び込んできた姿があった。
「あっ、レイチェル。」
 アンジェリークは、嬉しげに微笑んで、それからはっとしたように困り顔になった。「…ごめんなさい、私もう品物を見てしまって…。」
「ええ? ああ、そんなのイイよ! 遅れたのはアタシなんだもん。」
 その会話を端で聞きながら、商人は正直驚いていた。
── なんや、ウチにくるんやったんか…。そりゃ野暮なことしてもうたわ…。いや、それより…。
 改めて、二人を見比べる。
 金髪の少女と、栗色の髪の少女。
── アカン。女王候補やったんか…。
 商人は、思わずため息をついた。協力者として聖地に呼ばれて、女王候補たちの特徴は聞き知っていたし、レイチェルに付いては一目で分かったと言うのに、もう一人のこの候補…アンジェリーク・コレットについては、商人の勘もまったく働かなかった。
── せっかく仲良うなろうとしとったトコやったのに。
 心の中で舌を打つ。それはまあ禁止されている事ではないが、中立の立場とすると、やはり気が引ける。
 だが、商人は気を取り直す事にした。
 二人の傍に、ゆっくりと歩み寄る。そして目一杯明るく話し掛けた。
「堪忍な〜。ふたりともウチにくるもんとは思わんかったんや。…そっちのお嬢はん、女王候補のレイチェルはんやろ? …ってことは…。栗色のお嬢はんも、女王候補、って事やね。悪い事したなぁ、どこで働いてるんなんて、聞いて。」 
 その言葉に、アンジェリークは笑って答えた。
「そんな…いいんです。私ってほら…あんまり女王候補らしくないし。」
「またそんなコト言って! アンタもうちょっと自信もちなさいよね!」
 レイチェルがアンジェリークを叱る。アンジェリークはそれに対して気弱げに微笑む。
「そやそや。自信を持つ事は大切や。」
 そして商人はするりと話を変える。「…それより、何買うてくれるん? いいモンそろっとるやろ?」
「あ、そうだった。アンジェ、何にするの?」
 レイチェルがアンジェリークに尋ねる。
「あ、…えっと…。さっきね、いいのを見つけたの。」
 アンジェリークはきょろきょろと棚の上を探す。「あ、ほら…あれ。」
 アンジェリークが指差した場所には、いかにも重そうな、ライオンの置物があった。
 商人はそれを見てちょっと首を傾げた。
── こりゃ意外なモンを選ばはったなぁ…。
 それはレイチェルにしても同じだったかもしれない。
「ちょっとアンジェ〜。アレって、けっこうきわどくない?」
「きわどい?」
 アンジェリークはどうして? という顔をレイチェルにむけた。「ヴィクトール様に、ぴったりだと思ったんだけどな…。」
── ヴィクトール!? あのヴィクトール様に差し上げるんかいな。
 商人は内心ひどく驚いていた。ヴィクトール将軍と言えば、宇宙でその名を知らないものはない、というほどの英雄だった。そのヴィクトールの名が目の前のこの可愛らしい少女の口から出てくるとは思っても見なかった。
── まあ、この歳じゃ「あの事件」のことはよう知らんのかも知れんな…。
 そんな商人の心中をよそに、少女たちはまたあれこれと考えている様子だった。
「じゃあ、あれは?」
 レイチェルの指差す方向には、額に入ったナイフ。
「うーん。」
「何? だめなの〜? じゃ、これ。」
 と、イチゴのクッションを抱えてみせる。そして二人は顔を見合わせて爆笑する。
「だめだよ〜。」
「確かにねー。学習に行ってあれがヴィクトール様のお尻の下にあったら、ワタシ勉強どころじゃなくなっちゃう。」
 涙目になりながら、レイチェルが言う。
 アンジェリークも笑いながら答えた。
「私も。…可愛いとは思うけど…。」
そうして、ちらりと視線をまた元に戻す。「ねえ、やっぱりあのライオンの置物がいいかなぁって思うんだけど…。」
 レイチェルも今度はじっとそれを眺めた。
「そうね〜。…アンタも結構言い出したら聞かないし…。ま、重そうだけど、がんばって持っていきなさいよ。」
「うん! じゃ、そうするね。」
 商人は、アンジェリークの視線を受けて、にっこりと笑う。
「決まったようやね。ヴィクトール様に差し上げるんやったら、俺もこれがぴったりやと思うわ。…まいどおおきに。」
 二人の前で置物を手早く包む。
「ありがとうございます。」
 アンジェリークはにっこり微笑む。
「ほな、お代としてハートを一個、いただきまっせ。」
 商人はそう言うと、アンジェリークの体から、目に見えない力をするりと引き抜いた。
 アンジェリークは一瞬、きょとんとした表情を見せた。レイチェルもそうだが、ハートを抜かれると、その本人は気付かないのだろうが、少し呆けてしまう瞬間があるらしい。 
 栗色の髪の女王候補は、すぐに正気に戻り、何事も無かったように笑顔を見せる。
「まいど! ほんならまた来てな〜。次に来たときにはまた品を換えとくわ。」
 そうして商人はぱたぱたと手を振って、二人を見送った。

 

 さて。店を出た二人は、これからどうしようか、と言う感じでとりあえず噴水のふちに座り込んだ。
 アンジェリークは包んでもらった置物を悪戦苦闘しながらピンクのバスケットに入れ、ようやく一息つく。
 レイチェルは、バスケットの底が不自然に歪んでいるのを見て、眉をひそめた。
「やっぱ重そうね〜。交代で運んであげたいけど…ワタシ、実はこれからオリヴィエ様とデートなんだ〜。」 
「大丈夫よ。学芸館まではすぐだし、お休みしながら行くから。」
 アンジェリークは微笑んで言う。
「そう? …大丈夫?」
「うん。平気。」
 レイチェルはそれを聞いてちら、と時計を見上げる。
「ご飯食べてく?」
 アンジェリークも時計を見あげた。まだ、11時を少し過ぎたくらいだ。
「まだちょっと早いね。」
「うーん。じゃあ、ワタシはもう行くね。アンジェ、気をつけて帰んなよ。」
 レイチェルはそう言うと、アンジェリークを後に残して歩いていった。
 一人残されたアンジェリークは、しばらくぼんやりと噴水のふちに座っていた。
── そういえば…。
 アンジェリークはふと思い立って、噴水の中を覗き込んだ。
 ロザリアが言っていた。願いを込めてこの噴水を見つめると、望む人の姿が映ると。
 アンジェリークはしばらく考え込んでいたが、ためしに、とばかりに手を組んで瞳を閉じた。
── お父さん、お母さんを見せて。…お願いします。
 そうして、そっと目を開ける。が、そこには何も映っていない。
── やっぱり、聖地の中にいる人じゃあないと、だめなのかな。
 がっかりと肩を落とす。
 アンジェリークと両親の間では、手紙こそやり取りされてたものの、もう2ヶ月…地上の単位で行くなら、そのくらい会っていなかった。
── このまま、会えないのかな…。
 その考えに、ぞくん、と震える。
 周りでは、会いかわらず子供たちが遊びまわっていた。その姿を、一回り離れて、子供たちの親が見ている。もしくはいっしょに遊んでいる。 
 明るい笑い声の中、アンジェリークだけがそんな薄ら寒い気持ちになりかけて、ふるふると、頭を振った。
── そんな事無いよね。会えるよね…。
 アンジェリークは気を取り直して、改めて、噴水を覗きこんだ。
「じゃあ…レイチェルは…。」
 行き先は分かっているが、一応ものはためしと言うものである。「あ、オリヴィエ様だわ。執務室へ行ったのね。じゃあええと…ロザリア様は…? ふんふん、ルヴァさまの執務室ね。」
 こうしていると、次から次へと試したくなってくるものである。
「ジュリアスさまは…。え? ゼフェル様と…うわぁ…ゼフェル様、叱られてる…。あれ? オスカー様も叱られてるわ…どうしてかしら??」
 これではまるで出歯亀というものだ。
「クラヴィス様は…どこかしら? 暗くって良く見えない…。マルセル様は、私邸のお庭ね。」
 アンジェリークは夢中になってますます身を乗り出す。そして、やっと今日の目的を思い出した。
「えっと、じゃあ…ヴィクトール様は…。」
「俺が、どうしたって?」
 突然、後ろから声を掛けられ、アンジェリークはおどろいてバランスを崩した。 
「きゃあっ」
「おいっ、危ないぞ。」 
 噴水に落ちかけたアンジェリークの体を、逞しい腕がひらりと掠め取る。
 抱きかかえられるようにして、アンジェリークは振り返る。
 そこには、こんなところで会うとは思わなかった、というような表情で、ヴィクトールがいた。
 アンジェリークも目を丸くしてヴィクトールを見上げる。その腕に抱きかかえられたまま。
「全く…お前からは目が離せんな…。」
 ヴィクトールはアンジェリークを立ち直らせると、そう言って笑った。
「ヴィクトール様…どうしてここに?」
 どきどきする胸を抑えて、アンジェリークはヴィクトールに尋ねた。
「いや…俺はただ、ちょっとした息抜きにな…。」
 少しばつの悪そうな顔をしたのは、ルヴァのところの書庫整理から逃げ出してきたせいである。
「お前はどうしたんだ?」
 聞かれて、アンジェリークは言葉に詰まる。
「あ…。その…。」
「ん?」
 ちら、とアンジェリークの視線が、商人の店に動いたのを、ヴィクトールは見逃さなかった。
── ほう、なるほど。
 アンジェリークが向かっていた噴水の傍においてあるバスケットや、アンジェリークの様子。それらをひっくるめると、答えは簡単に出てくる。 
「…そうか。今日は買い物が出来る日だったんだな。」
 アンジェリークはこくりと頷いた。これからヴィクトールに会いに行く筈だったのに、ここで会っては誘うことも出来ない。アンジェリークは僅かに表情を暗くした。
「おいおい…どうしたんだ? そんな顔をして。欲しかったものが手に入らなかったのか?」
「いいえっ!」
 大声で答えたアンジェリークに、ヴィクトールは驚き、それから苦笑する。
「そうか…。ふむ…。」
 ヴィクトールは辺りを見回した。昼時で、広場には沢山の人があふれている。
 そして、アンジェリークを見やる。彼女は、そこから立ち去ろうともせず、ただヴィクトールが次に何かを言うのを期待するかのように彼をじっと見詰めていた。 
 ヴィクトールは少し困った顔をした。
── 思わず声をかけてしまったが…。何か言わなければならないのだろうか?
 このままここを立ち去るか、それとも…。
 そうして、気付いたときには、こう言っていた。
「アンジェリーク、俺はこれから飯を…いや、食事に行くが、お前もくるか?」
「え…?」
 ヴィクトールを見上げていたアンジェリークは、きょとんと瞳を丸くする。
「大丈夫だ、正式に誘ったわけじゃないんだから。今日は俺を教官だと思わなくて良い。ただ、もう食事の時間だから…お前もこれから寮に帰るんでは、遅くなってしまうだろう。」
 時計を見上げ、アンジェリークは迷っている様子だった。
── しまった。変に誤解でもさせてしまったのか?
 ヴィクトールは軽く頬を掻く。
「そうだな…お前が嫌なら、別に良いんだが…。」
「いえっ。…ご一緒、したいです…。」
 アンジェリークは、なぜか軽く頬を染めそう答えた。
「そうか…。なら、奥のカフェに行くか? 美味いケーキがあるって話だ。」
 その言葉に、アンジェリークはぎょっとする。
「あ…あの、ケーキは…えっと…。」
「なんだ? はっきり言わなきゃ分からないぞ?」
 ヴィクトールは相変わらずなアンジェリークの様子に、少し語調を強めて言った。その言葉に、アンジェリークはこぶしを握って思わず叫んだ。
「ケーキは昨日食べたんです! 5個も!!」
「………。」
「………あ。」
 はっと口をつぐむアンジェリークに向かい、ヴィクトールははじめきょとんとした顔をして、それから…
「くっ…。…あっはっはっはっ…。…そうか。5個もたべたら…そりゃあしばらくは見たくもないかもしれんな…。いや…5個も食べたのか…。」
 大きな体を、もうくの字に曲げてしまうほど、爆笑する。
 アンジェリークはその様子をぽかんと見ていたが
「…ひ、ひどい、ヴィクトール様! そんな、そんなに笑わなくっても…。」
 かあぁっと頬を染め、言う。
「いや…すまん。…しかし、良かったな。食欲が出てきたみたいで。これならもう倒れたりしないだろう。」
 涙を浮かべながら、そう言ったヴィクトールに、アンジェリークははっとする。
「あ…。あの、私…あのときのお礼をまだ…。」
 その言葉をさえぎって、ヴィクトールが言った。
「それはもう良いんだ。お前が元気になったのを見たからな。」
 相変わらず楽しそうに笑って、ヴィクトールは一息ついた。「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ…。どうも、聖地って所は俺には少しお上品すぎてな。楽しい事も興味深い事もあるが、あまり単純な事がなくて…。」
 それを聞いて、アンジェリークはちょっぴり怒って小声で言った。
「そ、それって…私が単純、ってことですか?」
 その僅かながらの抵抗に、ヴィクトールが面白げに眉を上げる。
「ほう。お前も結構言うじゃないか。…そうだな。悪かった。そういう意味じゃない。大声で笑う機会が少ないってだけの事だ。しかし…そうやって素直に気持ちを話してくれると、俺も気分が良いよ。」
「え…?」
 ヴィクトールは、困惑ぎみのアンジェリークに微笑みかけた。
 それは、学習のときとも、初めて公園で会ったときとも、また違った、気さくなヴィクトールの表情だった。
「お前は俺に対して少し萎縮している所があった気がしてな…。そうやって怒ったりする所を見るまでは、どう接したら良いのか、正直分からなかった。」 
「ヴィクトールさま…。」
 アンジェリークのなんとも言えない眼差しを向けられ、ヴィクトールは少し照れたようだった。
「…なら、行くか。カフェのケーキはこりごりなんだろう? そうだな…それなら、そのへんの屋台でなにか買って食う…いや、食べる事にしよう。それでいいか?」
 アンジェリークはちょっと驚いた表情をし、それからほんわりと微笑んだ。
「…はい!」
 そうして二人はそのまま噴水の脇のベンチに腰を下ろし、屋台でサンドイッチと珈琲を買って食べ始めた。
「…ほう、結構美味いじゃないか。」
 一口食べて、ヴィクトールは思わず感嘆の声を上げた。
「本当…美味しい。」
 アンジェリークも同意を示して頷く。
 その横顔を見て、ヴィクトールはくすりと笑う。
 美味しいと言いながら、まるで小鳥がついばむかのように、一口がとても小さい。
 両手で、落とさないようにとしっかりパンを掴む姿が、どこか小動物を思わせて、仕方がない。
── そう言えば、こんな時間も久しぶりだな…。
 外で食事を取ることも、屋台で買い物をする事も、あの事件以来、絶えて久しかった。
「ヴィクトール様、聞いてもいいですか?」
 アンジェリークがふと口を開いて、少しぼんやりしていたヴィクトールを見上げた。 
「聞きたい事? なんだ? 何かあるなら今のうちだぞ。明日からはまた、俺は教官に戻るからな。」
 ヴィクトールは手に持ったままだったサンドイッチに食いつきながら、余り深く考えずに答えた。「なんでも良いぞ。大して気の利いた答えもできんが。」  
 それを聞いて、アンジェリークは嬉しげに微笑み、首を傾げてこう尋ねた。
「あの…。ヴィクトール様は、何をなさってる方なんですか?」
「…何をって…。」
 ヴィクトールは思わず隣に座っている少女を見た。少女は、首を傾げたまま微笑んでいる。
「ヴィクトール様は軍人さんなんですよね…?」
 勿論そうである。ただ、軍人と言っても、王立派遣軍というものは、古今東西、戦争から近所のレスキューまで、およそ危険だといわれている物事全てに関わる体力組織と言っても過言ではない。勿論現代では、戦争は無くなっていたが…。とにかく少女には、そのなかでヴィクトールが何をしているのかが分からないらしかった。        
── 軍人さん…か。
 ヴィクトールは思わず苦笑した。はじめて会話をしたときも、この少女はそんな事を言っていたな。と思い出す。
 アンジェリークのほんやりしたその言葉にはどこか、出航前に港で見送る人達に向かい、手を振るような、そんなイメージがあった。
「俺か…? 俺はデスクワークだよ。昔は外に出ていたがな。」
「デスクワークって、なにをするんですか?」
 まさか突っ込んで聞かれるとは思っていなくて、ヴィクトールは一瞬考え込む。
「そうだな…一口には言えないが、惑星に食料を送ったり…人をやったり…。…難しいな。人に説明するってのは。」
「ふうん…なんだか、大変そうなお仕事ですね…。」
 アンジェリークはちょっと想像してみた。ヴィクトールが大きな机に向かい、次から次へと書類をさばいて行く姿を。
「じゃあ、ヴィクトール様は、甘いものはお好きですか?」
 その脈絡のない質問に、ヴィクトールはまたも思わず少女を見つめた。
 そんなヴィクトールの困惑が伝わったのか、アンジェリークは慌てて言葉を足した。
「ち、違うんです、あの…、きっと、そういうお仕事って、疲れるだろうなって…それで、疲れたら甘いものがいいかなって…。」
「ああ…。」
 そう言われて、漸く納得する。だんだんこの年頃の思考回路が分かってきたような気がする。…気がするだけだが。
── 軍の事も、食べ物の事も、どうやら同じレベルらしいな…。全く…。
 我知らず、構えてしまっていた自分に気付いて苦笑する。そして言った。
「甘いもの…か? そうだな、全く食えないわけでは勿論無いが…お前ほどじゃあない。」
 わざとそう言って、ぷうっと膨れるアンジェリークを見て笑う。「俺はどちらかと言うと、疲れたら酒を飲んで寝てしまうな。特に、ロッカ砂漠のオアシスでつくられた酒は…。 おっと。これはお前に言う事ではなかったな。…こんな事言ったなんて、他の方たちには言うなよ。」
 そう悪戯げに言われて、アンジェリークはくすくすと笑った。
「…お前はいつも笑っているな。」
 呟くように、ヴィクトールが言った。
 アンジェリークが首を傾げる。
「い、いや…得に深い意味はないんだが…。ただ、見かけるたびに、お前はいつも微笑んでいるから…。」
 学芸館の窓から見かけたときも、それ以前も。
 だから、どうだと続けようとしたのか、ヴィクトールにも分からなかった。
「俺は…むしろ怖がられる方だから…。笑顔が似合うとも言えないしな。お前のように、笑っただけで人を暖かくさせるような人間だったら良かったんだが。」
 僅か、自嘲を含めた言葉に、アンジェリークは困ったような顔をして、それから言った。
「あの…私は、ヴィクトール様笑顔の方が私なんかのよりずっと、素敵だなって思います。」
 ヴィクトールは思わずアンジェリークを見詰めた。
 アンジェリークは自分のいった言葉を反芻するように、頷く。
「ヴィクトール様は、学習のときは確かに笑わないけど、でもそうでない時は…今もこの間も、私に笑いかけてくださったし、私はそれで、凄く嬉しかったんです。」  
 すごく。と、アンジェリークは言った。
 ヴィクトールはそんなアンジェリークを見るのははじめてだったので、実際少し驚いていた。
── 思ったよりも、自分の意見と言うものを、はっきり言うタイプなんだな。
 言われた事の内容は別として、その言い方は、アンジェリークの物腰の柔らかさと相反し、ヴィクトールに新鮮な驚きをもたらした。
── これは、期待できそうだ。
 レイチェルが勝ち取った、一つ目のハート。あれ以来、聖地の下馬評は更にレイチェルに傾いていたが、ヴィクトールはそれでも、この栗色の髪の女王候補に対する僅かな期待と、彼女がこれから大きく成長するような予感を、捨てきれずにいた。
「そうだな…。」
 自分の勘が正しいのかもしれない、密かにそう考えながら、ヴィクトールは少し意地悪く微笑んだ。「なら、また月の曜日からの学習は、心してくる事だ。俺は厳しいぞ。」
 そしてアンジェリークがその言葉にうろたえるのを、面白げに見ながら立ちあがった。
「さあ、そろそろお前を送って帰ろうか。…戻るんだろ?」
「はい。」
 アンジェリークも続いて立ちあがり、側に置いたバスケットを持ち上げる。
「…なんだ、何が入ってるんだ? …重そうだが。」
「こ、これは…その…。」
 アンジェリークは慌ててそれを後ろ手に隠す。
 ヴィクトールが手を差し出した。
「中を見たりはしないから、貸してみろ。」
「で、でも…。」
「いいから。」
 そう強く言われて、アンジェリークはしぶしぶそれを差し出した。
 受取ったヴィクトールは、その重みにぎょっとする。もちろんヴィクトールにとっては軽いものだが、こんな可愛らしいバスケットの中に、一体何が入っているというのだろう。
 それでも歩き出したヴィクトールの背中に付いて歩きながら、アンジェリークは申し訳なさげに心の中で呟いた。
──  差し上げる筈のプレゼントを当の本人に持って貰うなんて…私って…。
 そして二人は、いつかのように公園の奥を抜けて、女王候補寮まで戻ったのであった。

 

 

 

 

 
- continue -

 


今回は『ナンパする謎の商人』と『ナンバするヴィクトール』が書きたくて書きました。
成功したのはもちろん…。(笑)
これからしばらくは、次回の定期審査までの幕間として、短い話を続けて行こうと思います。
では、また。
蒼太

UP  2001.4.26

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