10.TEA Break

「やっほー! アンジェリーク、いる〜!?」
 軽やかに鳴った呼び鈴の音と共に、それに負けないくらいの声がした。
「あら? レイチェル? どうぞ!」
 アンジェリークは少し驚いて、扉を開けに歩いて行った。
 今日は土の曜日。アンジェリークは今さっき研究院から戻って来た所だった。
「まだご飯の時間じゃないわよね?」
 と、声を掛けながらレイチェルを導き入れる。最近、とみに仲良くなってきた二人だったが、今日は夕食の誘いにしては時間が早すぎた。
「まだ早いわよ。それより…。」
思った通りレイチェルは言いながら笑い、アンジェリークを見た。「じゃじゃーん、ほらこれ、おみやげだよ!」
 そして後ろに隠していた小さな紙箱を取り出す。
「まぁ。」
 取っ手の付いた、白い箱。誰が見てもそれは…。 
「カフェのケーキだよ。今日初めて食べたんだけど、あんまり美味しかったから、アナタにもって思ってさ。」
 ワタシってやっさしいよねー!と、笑う。
「わあ…ありがとうレイチェル! 私もあのカフェ、気にはなっていたんだけどまだ行けなくて。座ってくれる?今紅茶を入れるわ。」
 そう言ってミニキッチンに立つアンジェリークの背中に向かい、レイチェルは箱を開けながら言った。
「まずねー、チョコケーキ。これはネー、スポンジの間にブルーベリーのソースが入ってんの。で、ショートケーキ。これは定番でしょ? それから…、マロンケーキ。これはあんまり甘くなくていい感じだったよ。それと…チーズケーキはねぇ、かなり濃い味だったわね…。それから…。」
 次々出てくるケーキの名前に、嬉しげに茶の用意をしていたアンジェリークは、おそるおそる振り返った。 
「ちょ、ちょっとまってレイチェル。一体いくつ買ってきたの?」
「えっと…10個…。」
 1、2、と数えて、レイチェルが答える。「ノルマは五個よ。」
「そんなに…?」
 いくら甘いものが好きで、幾らでも食べられると言っても、それはかなり無理がある。「食べきれないんじゃない…?」
「うーん、ちょっと思った…カナ? でも、色々あると買いたくなっちゃうじゃない? …大丈夫だよね。お腹減ってるでしょ?」
「えっと…。」
 どう言っていいのか分からなくて、アンジェリークは言葉に詰まる。「ねえ、レイチェルはもう、食べてきてるのよね?」
「そうよ。」
「いくつ食べたの?」
「うーん。三つだね! ミルフィーユと、マロンとシフォン。」
「あと幾つ食べられる?」
「だから…5個。…カナ?」
 アンジェリークは、目の前のスレンダーな身体と、その平然とした顔をまじまじと見比べた。
 毎日一緒に食事を摂っていたが、今まで彼女の事を『大食いだ』などと感じた事は無かった。
 だがしかし、それは大きな誤解だった。
── 五個? …食べきれるのかしら? でも、折角買ってきてくれたのに、食べないわけにはいかないわよね…。
 ちら、とレイチェルの様子を伺うと、彼女はケーキの箱を開けて、どれにしようかと言う風に、真剣な表情をしていた。
── そう…そうよね、レイチェル、私大丈夫! 私だって甘いもの大好きだもの。きっと…。
 その後の事は考えたくなかったが、今だけは考えないように努力をしてみよう、とアンジェリークはそう思った。
「あ、お湯沸いてるよ。」
 一人考え込むアンジェリークに、レイチェルが言った。
「いけない。」
 沸騰したお湯を、慌ててガスコンロから降ろす。そして、茶器を暖め、やや湯が冷めた頃に、ティーポットに注ぎ入れた。ふわりとオレンジの香りが漂う。
「あ。いい匂い。」
「これ? 実は昨日ティムカ様が下さったの。学習をしに行ったら、なんだかいい香りがして…、『いい匂いですね。』って言ったら…。」
 アンジェリークはレイチェルの前で、カップに紅茶を注いだ。
「へえ? じゃあ得しちゃったね。」
そう言いながら、レイチェルはカップに口をつける。「うん!おいしい!…でも、オレンジに似てるけど…違うみたい。」
「すごい。良く分かるね。」 
 アンジェリークが感嘆の声を上げると、レイチェルはにっこりと笑った。
「だって、好きだもの。…ほんと、これってはじめての味よ。なんなのかしら…?」
 カップを持って、真剣にその中を覗きこむその姿は、さすが研究院出身だけはある。
「ティムカ様の故郷の、アヴィリスという木から採れる葉っぱを紅茶にしたものなんだって。」
 言いながら、持ってきた皿をレイチェルと自分の前に置く。「あ、結構一つが小さいのね。…これなら食べられるかな…。」
「どれがいい? 先に選んでいいよ。一個ずつね。」
「うーん。レイチェルはもう何種類か食べたんでしょ? レイチェルが食べてないのを私が食べるわ。でも、味見もさせてね。」
「じゃ、ショートケーキと…ガドーショコラと、バナナケーキとダックワーズと…シュークリーム!」
「じゃあ、私はチョコとマロンとチーズと…、アップルパイとパンプキンタルトねっ。」
 なんだかんだ言いながら、すっかり食べる気満々のアンジェリークである。
 そうして、二人はケーキを食べながら、お喋りしはじめた。
「…ところでさぁ。ティムカ様って、どんな感じの人だと思った?」
 と、レイチェルが、少し探るような調子で言った。
「ティムカ様? うーん…。実は私も今日はじめて行ったから…。」
 アンジェリークのティムカの印象と言えば、やはり、気品に溢れた態度、礼儀正しい方、というのがますはじめに出てくる。「そんなところかな…。レイチェルは? どう思った?」
 アンジェリークが尋ねると、レイチェルは、ちょっとだけ困った顔をした。
「まだ会ってないからネ〜。なんとも言えないよ。、まだ学習に行ってないもん。。」
そういって、溜息を付く。「学芸館は昨日が初日だったし、私、行く予定は立ててたんだよ。…だけどマルセル様がさぁ、誘いに来るんだもん。やっぱ仲良くしておかなきゃっておもうじゃん?」
 腹立ち紛れ、と言う感じで、ケーキをほおばる。
「あ、レイチェル…折角美味しいのに、そんなに急いで食べちゃ…。」
 そんな言葉も耳に入っていない。
「アンジェリークは他の教官方の所にも行った?」
「うん、ヴィクトール様の所に行ったよ。」
 それを聞いて、レイチェルはからかう様にわらった。
「へ〜え。ヴィクトール様の所〜。」
「な、なに?」
 なぜかアンジェリークはほんのりと頬を染めた。
「どんな人だった?」
「ヴィクトール…さま? ええと…ヴィクトールさまは…。」
 慌てて、それを伝えようとするが、その思考を遮るかのように
「あの人ってさ、やっぱり怖そう…じゃない?」
 とレイチェルがフォークを2個目のケーキに伸ばしながら、言った。「やっぱり軍人さんだしさ…。学習とか、スパルタじゃないよね、まさか。」
 アンジェリークはふるふると頭を振った。
「そんなことないよ。…ヴィクトール様は確かに厳しいけど…怒鳴ったりはしないし、教え方だって凄く分かりやすかったわ。ヴィクトール様は身体が大きくて、だから怖いような気がするだけで、私きっと優しい方だとおもう。…それに、なんだか安心できるし。」
 レイチェルは頷く。
「確かに、落ちついた雰囲気は十分にあるよ。ホント。…ヴィクトール様には悪いけど、お父さん、って感じかな。」
「お、お父さん!?」
 アンジェリークは自分の父を思い出し、うーんと首を捻った。
「そうよ。うんっと厳しい、ケド優しいトコもあるかなってくらいの。」
 ちょっぴりね、というのを現すために、レイチェルは指先を細く近付けた。
 レイチェルにとってヴィクトールのイメージとは、アンジェリークを運んできたあの時のものだけなので、どうも堅苦しいものがある。 
「…そうかなぁ?」
「アンジェリークのお父さんって、どんな人?」
「うちのお父さん?」
 アンジェリークは二つ目のケーキに手をつけながら答える。「ルヴァ様に似てるの。顔じゃなくて、性格がね。ちょっとぼんやりしてて…。」
「アンタにそっくりじゃない。」
 レイチェルは大きく笑う。
「レイチェルの家族は?」
 ぷん、と膨れてアンジェリークはレイチェルに尋ねた。
「ウチ? 両親と弟と私よ。弟がねー、ワタシににて、すっごくカワイイの!」
「いいなぁ、弟。」
 アンジェリークは羨ましげに言った。
「いいじゃない、マルセル様とか、ティムカ様とか、メルくんとかで。」
「守護聖様よ? ティムカ様は凄く落ち着いてて弟って感じじゃないし。…そうね、メルさんなら…。」
と、アンジェリークは笑う。勿論、本人には内緒だ。
「私達と同じ年なのは、ゼフェル様だけね。」
 レイチェルの言葉に、アンジェリークは答える
「あら、すぐ上にランディ様がいるわよ。それに、ちょっと離れているけど、セイラン様も。」
「ランディ様こそ、弟みたいだわ。セイラン様は浮世離れしていて、とても同年代には見えないし。」
 言いながら、三つ目のケーキに手を付ける。
「そうかしら? 私はランディ様がお兄さんみたいに思えるけど。」
「それはアナタが幼いって証拠よ。」
 どちらにしても…。とレイチェルは言った。「ここに来て結構長いこと経って、やっと守護聖様も人間なんだわって思えるようになってきたわよ。」
 その言葉に、アンジェリークも頷き、それから呟くように言った。
「…でも…私まだ少し、慣れないかな…。」
 それに、レイチェルは首を傾げる。
「まだ? ヴィクトール様だって平気だって言ってたくせに、誰が…。」
 言いかけて、ふと気付いたように言った「分かった。ジュリアス様でしょ? この間叱られたから。」
 図星をさされて、アンジェリークは困ったような視線を向けた。
「アタシは結構気が合うんだけどな。って言うより、なんか機嫌悪そうにしてる事多いけど、無視してるもん。」
「む…無視?」
「明るくいっちゃえばいいのよ。それで。」
 これがこの女王候補に敵わないと思う所だ。と、アンジェリークは溜息を漏らした。
「それより、ほら、食べなさいよ。さっきから進んでないよ!」
 と、レイチェルがアンジェリークのケーキの皿を指す。そこにはまだ三つケーキが乗っていた。
 その言葉に、アンジェリークは僅かにひるんだ様子を見せたが、それでもフォークを持ちなおした。早くも四つ目のケーキを食べ出したレイチェルを、途方にくれた様子で見守る。
「あー。ほんっとに美味しいよね、このケーキ!」
「う…うん…。」
 確かにケーキは美味しかった。だが、元々アンジェリークは食が細いほうなのだ。
 それから、ふとアンジェリークは思い立ってレイチェルに尋ねた。
「ねえ、レイチェル。明日、おかいものに行く?」
 聞かれて、レイチェルは口をもぐもぐさせながら頷いた。
「行くよ。噂ではね〜、変な言葉を喋る『謎の商人』さんがいるらしいよ。」
「? 謎の?」
「ちょっと格好良くて、でも名前や年は秘密なんだってさ。」
 そんな噂にまで詳しいレイチェル。
「どんなもの売ってるのかな?」
 興味津々のアンジェリークに、レイチェルは首を傾げた。
「…さあ? 明日一緒に行ってみる?」
「うん!」
 頷いて、にっこりと笑う。レイチェルは、紅茶を一口飲んで、呟くようにいった。
「…ワタシもなにか買おっと。」
 実は、今日もエルンストとろくに話せなかったレイチェル。少し別の手で攻めてみようかと思っているところであった。「アンジェリークは?何か買う予定があるの?」
「私? 私は…ヴィクトール様に何か差し上げるものを探そうと思ってるんだけど…。」
「えっ?」
 レイチェルは驚いて、聞き返した。
── またヴィクトール様? このコったら、まさかホントに…。
 思わずアンジェリークの表情を伺ってしまったが、得に赤くなっているわけでもなく、他意は無い様子だった。
「あのね、この間倒れてしまったときのお礼、まだ出来ていないの。その前の事も含めて…なんだか色々ご迷惑をおかけしてしまったし、ゼフェル様たちには、また今度にしようかなって。」 
 そう言われて、なんだそういうことかと納得する。
「そっか。じゃあさ、明日公園で待ち合わせよっか。10時半でどう?」
「うん。分かった。」
 そう言って微笑んで頷くアンジェリークに笑いかけると、レイチェルは五つ目のケーキに手を出したのであった。

 

 

 
- continue -

 

さて。レイチェルと栗アンのお話。短かったですね。はい。
ヴィクアンでもエルレイでもなかった…かな?
掠ってはいる?(笑)
次回はこれを土台に、ヴィク×栗アンです。
エル×レイがいつになるかなぁ。いいのを思いついたら書くつもりです。
蒼太
2001.4.17

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