05.炎の守護聖オスカー

「んっ、ふっふっふっ♪ 私ったら、今日もキ、レ、イ☆」
 ここは宮殿のレストルーム。
 宮殿にだってトイレはある。
 大きな鏡を覗き込み、自慢のメイクの手直しを終えたのは、言わずと知れた『夢』の守護聖、オリヴィエであった。
 半端な女性よりも美しく、しかし本当は誰よりも芯の強い人間であろう、彼。
「ん。バッチリ!」
きっちりと整えられた眉を上げ、オリヴィエは鏡に映る自分に向かって笑顔を投げかける。
色彩豊かな髪を、手の平で流す。最終チェックも怠り無かった。
 その美しさに、メイク術を指導してもらおうと言う聖地の人間も後を絶たないほどの彼。しかし、守護聖の中ではやはりひときわ目立つ存在でもあり、その姿に小首を傾げるものも少なくない。
「おいおい…そろそろどいてくれないか?」
 そんな、美の追求に余念無い夢の守護聖の後ろから、声をかけた者がいる。
 オリヴィエはその声に鏡ごしに振り返り、その声が、真紅の髪の炎の守護聖のものである事に気付いた。
 しかし、普段なら声を掛けずとも、その存在感で人を振り返らせるような、自信たっぷりの態度が、今は影を潜めている。
「あら。オスカーじゃないの。鉢合わせだね。」
 髪を抑えていた手をはずして、オリヴィエが振り帰る。
「こんな所では会いたくないが。」
 その隣に立って、どこか投げ遣りな様子で蛇口を捻るオスカー。その様子に気付きはしたが、夢の守護聖は特にに何も言わず、いつも通りに話しかける。
「まっ。だったら陛下に頼んで、個別のレストルームを作ってもらってよ。」
 つん、と顎を上げて鏡に向き直る。だがその声には笑いが含まれている。
「こんな些細な事でおじょうちゃんを悩ませようって気にはなれないな。」
オスカーは軽く手を払って言った。「…ただでさえ、忙しいらしい…。」
 我知らず呟いたその声に、覇気はない。
 からかったつもりのオリヴィエは、あまりの憔悴ぶりに思わず手を止めてオスカーを見た。
「あら、あんた。…どうしたの? アンジェリークと上手くいってないのかい?」
 前回の女王試験から、一年。
 既に聖地での守護聖オスカーと女王との関係を知らない者はいなかった。
「…………。」
 むっつりと黙り込む。それはオリヴィエの言葉を肯定したも同然だった。
「はあ〜ん。 色男も形無しだね。やっぱり本気の恋は大変?」
 オリヴィエの茶化したような言葉に、オスカーは軽く首を振る。
「いや…こういう事も、新鮮というものさ。相手がお嬢ちゃんならな。」
 本気かどうか、それを聞いて鼻白むオリヴィエ。
「あーら。あてられちゃたね…。」
そして、軽く笑う。「あんたがそんなになるなんて、つい一年前には考えられなかったよ…」
 一年前。先代の女王が引退すると決まった頃のオスカーといったら、聖地で知られたプレイボーイだったが…今となっては、彼自身、その頃の行状を後悔している節さえある。それは偏に現女王金のアンジェリークの為だったが…。
 昔の手管をすっかり忘れたわけでもないだろうに、金のアンジェリークには、その技のほんの一部さえも使えないのであろう今のオスカーは、夢の守護聖オリヴィの目に、前より好ましく映った。 
「ま、あんたが振りまわされる姿を見るのも、楽しいけどね♪」
オリヴィエはそう言ってからからと笑い、オスカーの横顔を覗いた。案の定苦虫を噛み潰したようなオスカーは、軽く肩をすくめる。
「お嬢ちゃんの仕事をまさか、守護聖であるこの俺が邪魔するわけにはいかないからな…。」
「ま、それはそうだね。」
軽く相槌を打つオリヴィエを残し、オスカーは軽く手を払い、
「じゃあな。」
そういって、レストルームを出て行った。
 オリヴィエはその背中をやや、複雑な想いで見送った。しかし、その後姿が、酷くしおれて見えた気がして、オリヴィエは溜息を付く。
── あれは、大分やられてるみたいだね。
 女王アンジェリークがここのところ多忙な訳は、勿論今回の女王試験のせいだ。それがはっきりしているだけに、フェミニストのオスカーには邪魔が出来ないのだろう。
 以前は良く、アンジェリークがオスカーと並んで歩いているのを見かけたものだが、ここ最近は一人で歩くオスカーを見るばかりである。女王試験の謁見のあの日を除けば、オスカーのみならず、自分も含めて守護聖の誰も、アンジェリークの姿を見なくなって久しいような、そんな気がする。
「たまには息抜きも必要だよ…。ちゃんと支えてあげないとね、とられちゃうかもよ…?」
 誰にともなくそう呟いて、彼はようやく整った髪をなびかせ、執務に戻るべく鏡の前からはなれていった。

 

 さて一方オスカーは、すすまない仕事がたまったままの執務室に戻る気配も見せず、そのまま中庭へと出てきていた。
 宮殿の中庭は、二つの館を区切る役目を果たしており、中央には大きな噴水と、テラスが設けられている。そして、その真正面に見えるのが、女王の執務室、兼私室のある、宮殿際奥の建物であった。 
 オスカーは、ゆっくりと辺りを見まわす。宮殿の中はいつもよりしんと静まりかえって、人気がないように思えた。丁度誰もが集中できる時間なのか、それともただ出掛けているだけなのか。
 それぞれの執務室の窓を見上げたが、その場に立つ人影も、開いている窓も、カーテンが動く気配さえない。
 やがて、オスカーはその視線を女王の執務室へと投げかけた。
 昼の光がまぶしくて、宮殿のテラスは白く光っている。それがアンジェリークの私室の窓を反射版のように仕立て上げ、中をうかがうことは出来ない。
 オスカーの唇に、自嘲の笑いが浮かぶ。
「こういうのも、新鮮。…か…。」 
 本当の所、気が気ではない。アンジェリークが女王になってから一年。
 そしてその間に、アンジェリークもすっかり女王らしくなった。この短い間に、いくつかの事件は起こったが、どれも上手く…時には躓きもしたが、乗り越えてきた。
 アンジェリークが女王として成長して行くのを見るのは、喜ばしい事だった。だが、それも何かあるたびにさりげなく力を貸してやれた、これまでの話しだ。
「しかし、今回に限っては…。」
 今度の女王試験の目的については、一切不明。女王アンジェリークの力は、爪の先ほども翳りを見せていないと言うのに…。
── それとも、俺達が感じられないだけなのか…?
 この世界に二人の女王は必要ない。それはわかりきった事だ。けれどこうして実際試験は行われている。
 もしや、の悪い考えが頭の隅を過る。
 恋人だと大きな声で言えるようになって、まだ数ヶ月。
 僅かそれだけしか経っていない。
── この、俺が。
 試験中、キスの一つもできなかった。初心な少年のように。
 中の見えない部屋の窓が、自分を跳ねつけているような気がして、オスカーは思わず目を背け、そして、何かを考え込んだままその場を後にした。

 

 

 

占い師、メル
 

 聖地の一角を仕切ったような森の中に、その館はある。青い屋根の天辺に、星が掲げられ、その建物がこの聖地の中でも特殊なものである事を伝えている。
 一歩その室内に踏み込めば、だれもがその暗さに一瞬目を眩ませるだろう。
 そして、その奥には4本の金の柱で区切られた赤い天幕がしつらえられていた。
 その中には一枚の紫紺のベルベットを被せた机があり、そして今、その机の上にぐったりと身を投げ出した少年がいる。
「はぁあぁぁぁぁ〜ひ、ま。」
 深い深い溜息と共に、少年は仰向けに寝転がった。椅子に座ったままそれをするのだから、体は柔らかいし、なにより器用なものだ。
 女王試験が始まって、そろそろ日が一巡しようとしていた。
 が、しかしその間ずっと、この占いの館はすっかり忘れ去られているようなのである。
 女王候補も来なければ、守護聖も来ない。
 唯一来たのは研究院のエルンストと、その部下だけである。 
 もちろん占いもおまじないも、しやしない。
「あーん。もう嫌になったよ〜。」
 お客が来なければ、なんの為にここにいるのかさっぱりである。
 だがいつ客がくるか知れないために、ここを動く事もできない。
「 おっきゃくさんっ   こっないっかなっ ? ♪ 」
 自作の歌(?)を歌う始末。
 それで客が来る筈が無いのだが…。
 いや、しかし捨てたものでもなかったようだ。その歌が効いたのか…今、その赤い扉を開いて、薄暗い部屋の中に踏み入れるものの姿があった。
 その気配に気付き、少年は大慌てで扉に向き直った。
「いらっしゃい! …お待ちしてました!」
 本当に、待ちに待ったお客様である。
 扉からさし込んで来る光の中に立った人物に向かい、相好を崩して笑ったこの少年の名は、メル。若くして占いの館を任された、竜族の占い師である。
 が、メルは光を背にして立った訪問者の顔を見極めると、少し、驚いた顔をした。
 思いがけない顔であったからだ。
「…初めて会うことになったな。お前がサラの…?」
 微かに響く声。漆黒の髪が細い面を縁取っている。メルは、少し上ずった声で答えた。
「…はい、そうです。メルっていいます! …サラおねえちゃんからお話は伺ってます! クラヴィス様ですよね?」
「ああ……。」
 やってきたのは、闇の守護聖クラヴィスであった。メルの言葉にクラヴィスはゆっくりと動き、歩み寄ってくる。その手には、普段は執務室の机の上に置いてある、水晶が収められていた。
「一応、挨拶はしておこうと思ってな…。」
「ああっ! そうだった! ごめんなさい! メルったらすっかり忘れちゃってたんです! …〜ちゃんと言われてたのに〜。」
眉を八の字に落とし、メルは慌てて立ちあがった。
「よい…、私も来るつもりではいたのだ。…ただ、少々時間が取れなくてな。……では、合わせるか。」
「えっ? 今すぐですか?」
「不都合か?」
「いえっ! 大丈夫…だけど…。」
「では、始めよう。」
 クラヴィスは慌てるメルを尻目に、さっさとメルの前に立つ。メルも慌てながらも自分の水晶を前に押し出した。
「これっ…、これが僕の水晶です。…お姉ちゃんのとはちょっと違うんだけど…」

 

二人は一体何をしようと言うのか。

 

 闇の守護聖は、黙ったまま自分の薄青い水晶を、そっと濃紺の水晶の前に置いた。
 それを見て、覚悟を決めたメル。おろおろしていたその表情を一変させて、自分の水晶に手を掲げた。
 程なく、二人は呼吸を会わせ、何事かを唱え始めた。少年の高い声と、クラヴィスの微かな低い声が重なって行く。
 やがて、二つの水晶が、光を放ち初める。 
 そして、二人はお互いの水晶にじぶんの水晶を、触れさせた。
 その一瞬、天幕の中にまぶしいほどの光が溢れる。
「わあっ!」
「………っ!」
 濃紺と薄青が水晶から溶けだし、そして、交じり合う。水晶の使い手達に、衝撃が伝わる。
 二人は思わず目を細め、その衝撃に耐えた。
 そして、一瞬の後、光はまたお互いの水晶へと、戻って行った。
「……はぁ…。」
後に、呆然とした表情のメルが居る。「メル…、こんな強い力をもった水晶と合わせるのは、初めてだよ…。」
 そう言って、涼しい顔をした闇の守護聖を伺い見た。
「そうか。」
 言葉少なに返すクラヴィス。メルの感心したような表情も、目に入っていないかのようだった。
「では、帰るとしよう。…邪魔をしたな。」
「ええっ? もう帰っちゃうの!? …ですか?」
 お客ではなかったが、初めてやってきてくれた人である。メルは驚いて引きとめようとした。
 案の定、驚いた表情で振り帰るクラヴィス。まさか止められるとは思っても居なかったのであろう。
「…何かききたいことでもあるのか?」
「え…、いえ…。特にないけど…でも…。」
「そうか。では、…またな。」
 引きとめる手もなく、メルはただその後姿を見送る。
── あーあ、サラお姉ちゃんの言った通り。…でも、だんだん打ち解けられるよね? おねえちゃんだって、そうだって言ってたもん!
 そして、手もとの水晶に視線をやった。
 今、二人が行ったのは、同じ空間にある水晶を引き合わせる、言わば挨拶のようなものだった。メルの水晶とクラヴィスの水晶は、聖地と言う限られた空間の中にあるもので、初めに引き合わせておかなければ、後々面倒な事になるかもしれなかったのだ。たとえば、水晶同士の反発による、占い結果の変化。
 しかし、こうしてきちんと手順を踏めば、そう言う事は100%なくなると言っていい。メルはサラから、何よりもその事を初めにやっておけ、といわれたにもかかわらず、暇に任せて(?)すっかり忘れていたのであった。
── でも、本当に凄い力だったなぁ。
 今だ手の平に残る熱さを確認するように、メルは指を開いたり閉じたりして見た。
  水晶の持つ力は、それが経てきた年月と、それを持つ人の資質に比例する。力が大きければ大きいほど、他の水晶と合わせた時の反動が大きくなる。
 メルにとって、初めてと言っていいほどの強大な力だった。
 彼は自分の水晶を試すがえすした。
 メルの水晶は、曾祖母から譲り受けた由緒正しいものだった。それが、クラヴィスのものと合わせたあのとき、力負けした。
── メルだって、少しは自信、あったのにな…。
 彼は小さく溜息を付いた。
── メルの力って、まだまだなんだ…。 女王試験が始まって、もう5日も経つのに誰も来てくれないのは、きっとそのせいだ…。
 初めの日こそ王立研究院のエルンストが様子を見に来てくれたものの、それ以後猫の子一匹来ない。
 聖地に来る前に想像していたのは、毎日のように占いやおまじないをしに来てくれる、女王候補や、守護聖達の依頼で目が回るほど忙しい自分。だが、その思惑は思いきり外れてしまった。
「はあぁぁぁ…。ひ、ま。」
 メルはもう何度目か分からない呟きを漏らして、紫紺の布を引いたテーブルに、かくん、と肘を付いて溜息を付いた。
 と、その時。
「そんなに暇なら俺を占ってもらおうか。」
 張りのある声が響いて、メルは驚いて顔を上げた。
 真紅の髪を片手で掻きあげ、扉の近くに立っているのは。
「オスカー様!」
メルは思わず立ちあがり、歩み寄ってくるオスカーを手の平で導いた。「うわぁ。嬉しいな!…占いですか? オスカー様は、メルの初めてのお客さんだよ!?」
 その喜び様に、思わず口の端を上げるオスカー。
「そんなに喜んで貰っちゃ困るな…。しかし、『初めての』ってのはないだろう? 俺はクラヴィス様がここから出て行くのを見たぜ?」
 そういって親指を立て、後ろを指して見せる。クラヴィスが少しだけ苦手なオスカーは、何もわざわざ鉢合わせしようとは思わなかったのである。
 メルは軽く頷いて答えた。
「クラヴィス様? ううぅん。クラヴィス様は、水晶を合わせに来ただけで、お客さまじゃないの。だから、メルの初めてのお客さんはオスカー様だよ。」
 『水晶を合わせる』の意味は勿論わからなかったが、オスカーはその言葉に付いては軽く受け流すことにした。
「と、すると5日もここで一人だったのか?」
 そういって、薄暗い部屋の中を見まわす。顎に指先を当てるのは、彼の癖なのだろうか。
「ううぅん。エルンストさんが1度来てくれたよ。占いはしていかなかったけど。…でも、お客様ならオスカー様が来てくれたから、メル、もう大丈夫!」
「そうか…。」
 その言葉に、オスカーは小さく苦笑する。
 メルはその笑いに気付きもせず、オスカーに向かって微笑みかけた。
「それより、オスカー様は何をなさいますか? 占いですか? それともおまじない?」
「そうだな…まじないもいいが、生憎相性の方は、これ以上上げる必要は無いんでな。」
そういって、軽く笑った。「占ってもらいたい。」
 その言葉にメルが頷く。そして、先ほどの水晶に手をかざした。
「誰を占いますか?」
「アンジェ…女王陛下を頼む。」
「女王陛下ですね。わかりました。」
  さすが占い師としてのメルは、経験こそまだ無いものの、一流だった。炎の守護聖からの依頼が、予想外の人物でも眉一つ動かさない。
 その態度にオスカーも心ならずほっと胸を撫で下ろした。
 何事かを唱える少年の声が、だんだんと小さくなり、そして口の中でだけ響くような低いものに変わって行った。やがて、メルは閉じた目を薄く開けて言った。
「…わかりました。…さあ、水晶を覗いてください。」
 トランスしたままのメルの言葉にしたがって、オスカーは水晶を覗き込む。
「見えますか? オスカー様。」
 微かな少年の声に、オスカーは頷く。
 アンジェリークと、その周りに居る人間達の姿が、微かに歪んでは元に戻りながら映る。そしてその横にはパーセンテージに簡略化されたそれぞれの相性と親密度があった。
「ああ…。」
 メルに軽く頷いて見せると、メルは安心したように小さく笑った。
 オスカーはそれを見て、改めて水晶に目を移す。
 思った通り、アンジェリークと自分の状態は、一年前サラが最後に占った時と全く変わらない。そしてその他の守護聖達との関係も、相変わらずのままだった。
 気休め、気晴らしのつもりでふらりと立ち寄っただけではあったが、実際に数値として見たことで、実はほっとしている自分に気付き、思わず口端に自嘲の笑みを漏らした。
「分かった…もう良いぜ。」
「もう良いんですか? 他に誰か占いましょうか?」
「いや…いいんだ。」
「そうですか…。」
 あからさまにがっかりした様子のメルに、オスカーは笑い、片目をつぶって見せる。
「そうだな…なら、新しい女王候補達について占ってもらおうか。」
 そう言いながら、オスカーは胸の奥にちらりと痛みが走るのを感じた。
── 女王候補か…。
 一瞬忘れかけていた、女王交代の懸念が蘇る。
 メルの言葉と呪文を遠くに聞きながら、軽く頭を振る。
── まさか…。まさか、な。
「わかりましたよ、オスカー様。まず、レイチェルから…。」
「分かった。…ありがとう。」
我に返ったオスカーが、礼を言う。
 ぱっと花を咲かせたように笑うメル。占いを頼まれる事が、よっぽど嬉しいらしかった。
── これからもちょくちょく様子を見にきてやったほうがよさそうだな…。
 レイチェルの占いの結果と、メルのその笑顔を見ながら、オスカーはうっすらとそう思っていた。

 

 
- continue -

 

蒼太
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